▼現実遊離の「学問」が御用に成り下がる

ケインズ経済学者だが 共産党「提言」と一致点』

東京大学教授 大瀧雅之さんに聞く

……
――近代経済学者は日本の経済の現状に関心をもっていないのですか。
 現実の経済に関心が薄い経済学者は大変な数に上ります。近代経済学にとって、マルクス経済学は基本的に批判勢力として意味がありました。今は、緊張関係がなくなり近代経済学者の多くは現実の経済問題への関心を失っています。現実とはまったく遊離した論文を書いて英語の雑誌に掲載することをよしとする人がたくさんいます。大体そういう人は行き詰ります。一定の年齢が過ぎると御用学者になるというのがパターンです。
……
(2012-07-31 赤旗より)

これは学者ではない私にとってはなかなか興味深い話である。

経済「学者」というイデオロギーを持った社会的存在、職業として「頭で立って」暮らしている人々について。
  • 現実から遊離していても経済学でありうる。
  • 近経では英語の雑誌に英語で書くというのが、ひとつのステータスになっている。
  • 現実から遊離している「学問」者はいずれ行き詰まる
  • それは、現状をだらだら追認・擁護する「御用」学者に成り下がる

現状を追認し擁護する「学問」は仕事としては楽だろう。マルクス経済学者も、現実から遊離した単なる「反」御用の者が多かった、と考えられる。それゆえ、こんな近代経済学に対してすら「緊張関係」を保てないのだから。
また、社会科学系の学問・学者全般にこのことは言えるだろう。
「経済学者」が「多くは現実の経済問題への関心を失っています」とは、どういうことか。経済学者のヒトたちは何に関心があるというのか。簡単に言うと「保身」とその延長にしか関心がない、ということだろう。
こうした保身学者の下に青年たちが現状追認の理屈を学んで、「ワーキング・プアや失業者がいないと、大企業が海外に逃げてしまう」とか知った風な口をきくのだろうか。


それにしても、キョーレツな批判ですね。