▼「不徳の政治」小泉政治

ニッセイ基礎研究所
http://www.nli-research.co.jp/stp/nnet/nn060920.html
エコノミストの眼 2006年09月20日
「小泉構造改革が残したもの」
経済調査部門 取締役研究理事 森重 透(もりしげ とおる)

共感的抜粋

2.二極化・分断化の進行

……「構造改革なくして回復(成長)なし」、「官から民へ」、「中央から地方へ」を標榜した構造改革路線が、スローガン通りの実行力を伴ったものでなく、今回の景気回復とは無関係であることは、すでに本コラムでも何度か指摘した。また今年の「経済財政白書」(7月)も、企業の適応努力こそが日本経済回復の主役と正当に位置づけているし、多くの識者の見方もこれに沿うものが圧倒的に多い。
 むしろそのことよりも、この小泉政権下の経済運営によって、構造的には深刻な問題が発生した。経済社会の二極化・分断化の進行、社会生活基盤の劣化、という由々しき問題である。下掲グラフは年齢階級別完全失業率だが、15〜24歳の若年層の失業率・学卒未就職率は、この間一段と上昇し、高止まりしていると言ってよい状況である。失業こそは、一個人を社会的・経済的弱者に転落させるもので、とくに若年層で定職に就かない者がなお多く存在するという現実は、これからの日本の国力や競争力、社会保障システムへの悪影響を考えると憂慮させるものがある。

 さらに、パート、アルバイト、派遣社員など「非正規雇用者」は、すでに雇用者数の約3人に1人となった。ここでも若年層(15〜34歳)の雇用情勢は厳しく、失業の長期化、フリーターやニートの増加、そしてフリーター経験をプラスに評価している企業がほとんどないことから、彼らが中高年になっても非正規雇用者にとどまってしまう懸念がある。こうなると、4対1とも言われる正社員との給与格差が固定化されるとともに、累積的に所得格差が拡がり、生活基盤の劣化、ひいては非婚・少子化などの様々な問題を助長する恐れがあるのだ。過重な労働実態、過労による労災件数の増大、ワーキングプアの増加、うつ病、突然死など、今日、雇用の劣化あるいは崩壊とも呼べる事例は枚挙にいとまがない。
 このような状況も反映してか、7月に発表されたOECDの「対日経済審査報告書」によれば、先進30カ国の相対的貧困率(平均値に比べて所得が半分未満の相対的貧困層の割合)で、日本は米国(13.7%)に次ぐ二番目の高さ(13.5%)だったそうだ。そして、労働市場の二極化傾向の固定化の恐れを警告され、格差是正の具体策として、非正社員への社会保険の適用などを指摘されているのである。
 このほかにも、大企業と中小企業、都会と地方、高齢層と若年層、官と民等々・・・規模・地域・年齢・官民間に存在する諸々の二極分化(格差の拡大と固定化)の問題を真摯にとらえ、これを是正しながら持続的成長を模索していくというような、「徳のある経済政策」は、小泉政権下ではついにお目にかかれなかったと言ってよい。

3.何が欠けていたのか

……
 新規国債発行30兆円枠の公約は、「この程度の約束を守れなかったというのは大したことではない」と言って、簡単に破られてしまった。
 公的年金改革を審議する年金国会での、「人生いろいろ」発言に見られるような、おちゃらかし発言。はぐらかしや、レトリック依存型の国会答弁も多く見られた。
 地方の景気にも目配りすべきではないかとの記者の問いに、小泉首相は「官から民への流れは変わらない。政府が口出しすべきではない」と答えたそうだ。
 道路公団の「民営化」は、結局、妥協の産物に終わった。

 そして、改革の「本丸」と意気込んだ「郵政民営化」は、その意味や効果が不鮮明なまま、分社化を伴う株式会社化で行き暮れようとしている。

 「改革なくして景気回復なし」の名の下に、実体的な景気対策には関心が薄く、かと言って、公的セクターの改革、すなわち、責任ある社会インフラの構築と質の高い公共サービスの供給という、「民」が果たせない「官」の固有の役割というものを、いかに実効ある形で遂行していくかといった制度問題を、徹底的に真摯に議論する風でもない。詰めた議論よりは、歯切れの良い「ワン・フレーズ」で「改革」をくさびとして使い、多くの「抵抗勢力」を放逐しつつ人気を得ていくという手法は、まさに独壇場と言えるものだった。
 しかし、「改革の本丸」であるべき財政再建問題と、これに密接にからむ社会保障制度と税制のあり方に関する真摯かつ周到な議論と実践を抜きにしては、「経世済民」を託された責任ある政治家としての本務は果たせないのではないか。「ノブレス・オブリージュ」とは、財産、権力、社会的地位には責任が伴うことを言う。小泉首相に限らず、政治家全員がこのことを心に銘じるべきだろう。

この森繁って方は、2年前
2004年09月21日号「徳のある経済政策を」で、「官から民」を支持しながらも、

○ 構造改革の名の下で進行する日本経済の二極分化−デフレ下の勝者と敗者、レッセ・フェール的無作為(政治の不在)の中での苛烈な自然淘汰非正社員化の加速、フリーター217万人、未婚の若者で仕事も通学もしていない無業者(NEET)推計52万人、中高年リストラ組の増加等を背景に、所得格差の拡大はジニ係数の上昇に表れている。さらに憂うべきは、地域間格差の拡大であろう。内閣府の分析によれば、生産活動で見た景気の地域間格差が、バブル崩壊後の過去二回の回復局面と比べて2倍程度にまで開いている。また、当研究所が全国・全規模企業対象に年2回行っている「景況アンケート」によっても、景況感(D.I.)の水準・改善のペースともに、大都市圏と地方との地域間格差が拡大傾向にあることが見て取れる。

○ 「地方の景気にも目配りすべきではないか」と問われて、小泉首相は「官から民への流れは変わらない。政府が口出しすべきではない」とニベもなく答えたそうだ。民間の努力、政府の怠慢の中で、二極分化が進行し、分断と不安がつのる社会に向かっていまいか。「上善は水の若し」(老子)−最高の善とは水のように低いところを潤すものだという。敗者・弱者に目配りのない、徳のない経済政策は、本来の政治とは言えない。せめて、必死の努力を続ける国民や企業や地方に思いを致す政治が、リーダーには求められるところだ。

と述べ、今年に入ってからは、


2006年03月22日号「経済と政治」において

 この分配と成長という、成熟社会下の二大テーゼは、二者択一ではなく、車の両輪であろう。安全・安心と幸せを国民に与えることが経済学の使命だとすれば、この二つを合わせて実現するための最適な政策ミックスを追求していく以外に途(みち)はない。

 分配の問題は様々に論じられ、多岐にわたる検討点を有するが、官と民、中央と地方の役割分担、受益と負担の問題、多面的格差の是正、税制見直しの5点について、再度冷静な検討を始めるべきであり、当然ながらそれが政治の役割であると思う。このとき、何事も一辺倒では救えない、画一性や直線的な方向性だけでは利害調整は成就しないと知るべきであろう。個性や頑固一徹さというのは、実は困りものなのである。「コミュニケーションで最も重要なのは、話されていないことがらを聞くことである」(P.ドラッカー)。一方的に論破した積もりになったり、数の力で押しつけたりするのではなく、効率と安全、競争と協調、開発と保護、新自由主義経済政策の「光と影」を踏まえた、率直かつ冷静な議論が大切だと思われる。
 「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」(二宮尊徳) 

と述べている。まぁ、政権党に期待する文章がなんだかなぁなのだが。