▼仕事から帰ったらビールをあおる習慣

私はビールは飲まない。お酒は殆ど飲まない。弱いのである。舌が子どもなのかもしれない。
牛乳も飲まない。ミルクくさいのが苦手なのだ。
ところが、この二つを毎日飲用していた時期があった。



今は昔。
一身上の都合により退職して、失業保険を受給しながら親と暮らしていた。
私は長男であるので、働きもせず意味不明な「学習」にいそしむ私と父親との仲は険悪になっていった。
家族の誰とも口をきかない日々を暮らした。朝起きて、階下に行き置いてある朝食を食し、2階の自室で勉強もしくは睡眠。昼・夜も概ね同様。
自室での「学習」はその頃考えていた進学や採用試験などのためであって、いわゆる「ひきこもり」になるつもりはなかったが、家人と顔をあわせても共通の話題もなく、会話もなかった。弟たちは大学に通っていたが、うっかり家族全員で食事になってしまうと、父親はみんなの前で私をなじり始めたりして、互いに不愉快になるのであった。


ある朝、階下に行くとすでに日が高いこともあり、無人であった。
炊飯器を覗くと「赤飯」が炊いてあって、好物なので喜んでどんぶりに盛って食べ始めた。
「今日は、何かの慶事があったのだろうか? それともアズキがたまたま手に入ったのかな?」
と数口食べて思い出した。
「今日はボクの誕生日だった」
母が何も言わずに私の誕生日を祝って炊いてくれたのだった。
はからずも嗚咽して箸が止まってしまった。



それでも、父親との関係は悪くなるばかりであったので、たまりかねて家を出ることにした。ずっと自宅にいたので、一人暮らしは初めてとなった。しかし、所持金は30万円くらいであった。
今思えば、自宅にいて失業手当を貰いながら、無駄遣いもせずどうして所持金が少ないのか分からない。奨学金を返済したからかもしれない。
賃料2万くらいのアパートを探し、リサイクルショップなどという名称はまだ一般的でなかった頃の古道具屋に電気釜と冷蔵庫を買いに行った。
自宅の冷蔵庫は大人○人の食材を保管するためかなり前から大きかった。

「冷蔵庫でっか?
 お一人ですかいな?
 そやったら、そんな大きいのは要りまへんで。ビールが冷え取ったら十分や。仕事から帰ってグビー飲めよったらよろしいが!」
 これでもちぃと大きいくらいや。まぁ、氷も作れまっさかいな」

「それもそうですね」

その呪縛によって、傾いだ四畳半+二畳の流しの片隅の冷蔵庫にはビールが数缶常備されることになった。
失業手当も切れ、バイトだけで暮らすのは昔も不安であった。とりわけ病気にだけはならないよう、食べ物のバランスに気をつけた。と言っても栄養学の知識は小学生並である。
キャベツは毎日食べる。
信仰していたのは牛乳である。牛乳さえ飲んでいればひどいことにはならないと思われたので、毎日牛乳を飲んだ。

こうして毎日朝は牛乳、夜はビールの飲用が「カレー月間」「そうめん週間」「ポトフ月間」「ラーメン週間」の日々の始まりと終わりに添えられることになったのだ。



誕生日を迎えた若い同僚から、若かった同じ年に何をしていたか尋ねられて思い出した、今は昔の話である。