▼生活保護の掟──生活保護関連裁判電網管見──

生活保護制度の擁護、福祉・社会保障制度の充実はますます必要になっていると思う。受給者も増えているし、制度は「受益者負担」という新自由主義的な原理でやせ細っているし。
生活保護制度の適用されるケースには、

  • これから(雇用されたり、事業を始めたり、公私の年金を受給したりすることによって)経済的に「自立」しようにも不可能だと思われるケースと、
  • 具体的で懇切丁寧な就労支援によって早期に「自立」できるであろうケースと、
  • どちらにもすぐには当てはまらないケースとあるだろう。

だからそれぞれに応じた制度なり運用になり分けたほうが良いというのは、そういうようにも思えはする。とりわけ就労支援(一般常識的なスキルから就職まで)は生活保護とは別に、もっと充実させるべきであると思う。
また、詳論しないが、医療保険制度・老人保健制度が「医者にかかりにくい」制度になっているので、医療扶助だけ独立させるのも有効だと思う。医療費負担が大きいのが恐くて医者にかかれない、医療扶助は受けたいが、生活保護を受給すると多くの資産を手放さねばならないので(車を売り・貯金が50万円以下になったらまた「相談に来てください」と追い返される)、結局我慢する。病状が重くなって不可逆的な症状となり、結局保護を受けても「自立」できない資産と身体とになっている、というケースは少なくないはずだ。


生活保護に関する裁判は、大学などで社会福祉を学んでおられる方はもっと体系的に・広く知っておられるであろう。
生活保護について書き散らしながらまともに勉強していないというのも恥ずかしいこととは思うが、誰か適当な本とか紹介してくれるかもしれないのと、自分の知識のメモのために。
以下は、資料の丸写しばかり。

自動車の掟

自動車を持っても運転してもならぬという掟

有名な裁判がある。大牟田・増永「自動車裁判」である。

[1994年10月17日提訴、福岡地裁1998年5月26日判決]
 福岡県大牟田市の増永さんは、母子家庭の母として生活保護を受給しながら働きに出ていましたが、当時勤務していた会社は交通の便が悪く、また他市に住む長女に会いに行くためにも、やむを得ず弟の自動車を借用するなどして通勤していたところ、福祉事務所が以前に増永さんから取り付けていた「自動車を使用しない旨の誓約書」を根拠に、指導指示違反であるとして保護廃止処分を行い、これを不服とした増永さんが処分の取り消しを求めて訴訟を起こしました。
 地裁は、一方で①自動車の保有・借用について「他の被保護世帯や一般低所得世帯との均衡」などを理由に、「自動車は贅沢品で生活保護世帯にはふさわしくない」として自動車の保有・借用を原則認めない現在の行政実務を肯定しながら、他方で②今回のケースにおいては福祉事務所の性急な保護廃止は不利益処分としては相当性を欠く(つまり生活保護が廃止されればそれ以外の生活保障手段が絶たれるため、廃止には慎重な手続が必要である)として、結論としては処分を違法と認める判断を下しました(確定)。
http://www7.ocn.ne.jp/~seiho/case/masunaga.htm

関連・参考

しかし、前にも調べてみたが自動車禁止は「原則」である。
ところで、テレビの「銭金」というビンボーさんが頑張って暮らしている番組が好きでよく視聴しているが、農業系・自給自足系のビンボーさん一家が資産はあっても事故や病気で当座の収入がないとき、自動車を取られてしまったら本当に困るだろうなと思う。過疎地なので土地も家屋もそんなに資産価値があるとは思えないし、自動車がなければ買い物にも行けないし、わずかな農作物も売りにいけない。
本当に困ってしまって、でも生活保護で田畑や自動車の処分を迫られれば、彼らは再び自立できるのだろうか。こういうとき、サラ金に手を出してしまうのだろうか。田舎にサラ金の看板や端末が多いのはそのせいだろうか。農協はすぐに貸してくれるのだろうか。農協ってそんな機能をはたしているのか。そもそもビンボーさんは農協に入っているのか。
大黒柱の入院だとか、農業機器の更新だとか、息子が高校に行くとか、そういう一時的に資金が必要なときに、もっと段階的に、資産を処分せずとも自立した生活を続けられる生活支援の網がきめ細かに整備されてしかるべきである。それとも私が知らないだけか。

貯金の掟

加藤裁判

 秋田県の重度障害者で高齢の加藤鉄男さん(当時六十八歳)が、病気のときの介護費用にと、生活保護費を切りつめて、八十一万円余を貯金したことにたいし、当局がそのなかから約二十七万円を収入認定し、保護費を減額し、約四十五万円を葬式費用にと、使途を固定した(八五年二月)ことを、「違法だ」として、90年6月に訴訟を起こした裁判で、93年4月23日、秋田地裁は加藤さんに全面勝訴を言いわたしました。
 国、県が控訴せず判決は五月七日に確定しました。
 地裁判決は、生活保護費等の「預貯金は、収入認定することには、本来的になじまない性質のもの」であり、「預貯金の目的が、健康で文化的な最低限度の生活の保障、自立更生という生活保護費の支給の目的ないし趣旨に反せず、かつ一般国民の感情からして違和感を覚える程度の高額でない限りは、これを収入認定せず、保有させることが相当」と判示しました。
http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/seido/seiho3.html

保険の掟

中嶋学資保険裁判

 福岡市の中嶋豊治さん(当時五十九歳・故人)は子どもの高校進学のために生活保護費を節約して、十四年間、学資保険を掛けてきました。
 九〇年六月に福祉事務所に学資保険を解約させられ、その払戻金を収入として認定(収入認定)され、六か月間、生活保護費を減額されました。
 これを不当であるとして処分の取り消しと損害賠償を求めて裁判を起こしました。
 裁判の途中で豊治さんは死亡し、娘の明子さんが引き続きたたかってきました。

高訴訟

高(たか)さんは、手も足も身体も動かすことができない24時間介護が必要な方です。しかし、20年以上も一人で暮らしています。障害年金生活保護を受け、その費用で介護の方を雇い生活をしています。
しかし、介護の方は、ボランテイアを含めて1日の内、約8時間しかお願いできません。できるだけ安くしてもらい、一部は無料にしてもらってもこれだけです。
だから高さんは、布団の上で寝ることができるのは1週間に1日だけです。あとは車椅子に座ったまま、寝ています。

高さんのお母さんは、愛する息子の将来を心配して大変なやりくりをして障害者扶養共済年金掛け金を納めて来られました。そして息子のことを案じながらお母さんは亡くなられました。そして、そのことで高さんに支給されるべき共済年金は、高さんに支給されている生活保護支給額から差し引かれて、実際に高さんには支給されませんでした。
生活保護訴訟は、大変な思いをして掛けた扶養共済年金が、実際には高さんに支給されないことが、
憲法の人間らしく生きる権利の原則
②高さんの生活実態からみて「いかがなものか」ということ
で、司法による判断を求めて、提訴された訴訟です。(一部略)

http://www7.ocn.ne.jp/~seiho/takasckaisetsu.htm
つゆはれま 夢のかなたに ひかりさす
〜高訴訟 生活保護裁判史上初の最高裁勝訴確定!〜

人間の尊厳が争点

いずれの裁判も、断じて不正な受給者が法律をタテに争うというものではなく、つましい生活者によるギリギリの人間の尊厳をかけた訴えであることが特徴である。
涙なくして読めないものもある。
生活保護を守ることは人間の尊厳を守ることであり、生活保護を蔑視・敵視する思想とたたかうことは、人間を人間として扱うかどうかのたたかいである。
すべての保護受給者が正義と人間性を体現しているとは言わない。だが、ここで大切なことは個別のケースではなく制度が具体化している憲法の精神であろう。

きめ細かなセーフティネット

それと失敗したらサラ金生活保護と一直線に落ちてしまうようなセーフティネットでは困る。一定の資産に依拠して自立していた世帯が、身ぐるみはがれて、それが「セーフティ」では自立が困難である。
さまざまな段階・つまづきに対してきめ細かいネットが整備されるべきである。