▼無職で財産もない、そんな奴の愛なんて何の価値もない(結婚紹介所)

http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20061123/p1 でも言及したし、いろんなところで言及されている近大の「新卒で就職出来ていない人は落ちこぼれであり,欠陥品だからです。」という「指導」、まぁ言説は適切妥当か、不適切か。
第一感では不適切だが、読めば読むほど事実の表現としては妥当。修辞上の問題に過ぎないのか。

J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2006/11/27004007.html の抜粋

名誉毀損か、正論か、意見が分かれる

しかし、このページが一時「停止」に追い込まれた。

「フリーターと名乗るひとから、『傷ついた』という抗議のメールがありまして」

さらに、ネット上の掲示2ちゃんねるでも「近畿大学『フリーター、ニートは欠陥品。人生台無し。復帰できません。2度とチャンスはありません』」と題されたスレッドが4本前後立てられ、話題になったこともあり、同大同コースでは該当するページを閉鎖した。
ただ、抗議のメールはたった1件だけ。

「(抗議のメールには)返信しました。(内容は)『お詫びします』としたうえで、『配慮に欠けた』というものです」

意見は分かれている。

で、フリーター・ニートが「欠陥品」として「無能」で「人生台無し」「復帰不可能」というのが事実的運命的かどうかということより、

  • フリーター、ニート=欠陥品という「=」という認識の発露がニートやフリーターと呼ばれる人々を「蔑視」しているかどうか
  • 他人の人格を物件化して、指導的立場から言及する、この表現感覚・人権感覚についてどうか
  • 他人の人格の物件化扱いによって、近畿大学はいかなる立場を表明しているか。それは学問の府という建前からどうか。学問の府でなければどうか。じゃあ、学問って何。職業訓練所の訓示ならよいのか。

とか色々考えてしまう。
まぁ言い換えると、「無職で財産もなければ、そんな奴の「愛」なんて何の価値もない」と結婚紹介所が公言したのと同じか。
同じ問題構制:渡辺美智雄(? 間違っていたら御容赦)「老人に(医療や福祉で)金を使うのは枯木に水をやるようなもの」



以下は、このJ-cast記事へのコメントより。

  • 「結婚できない女は欠陥品だ」と言うのもOKでしょうか…?
  • 人の事を欠陥でしかも品物扱いしているこの人は、さぞや人格も優れて人として完成品なのでしょうね。(結局この教職員も品物か)というか、未だに学歴偏重主義そのものみたい
  • 学生とか大学の文章としてはいかがなものかとは思うが、採用担当の本音としてはほぼ正確なもの。表立って言ったら炎上間違いなしだから、みんな口をつぐむけど新卒で就職しない人間は現実では落ちこぼれ、欠陥品扱いになる。
  • 近畿大学の発言は階級固定化を是認したもので、現代の格差拡大社会を助長する教育者としての重大な責任を問われるものである。
  • 問題になっているのは、近畿大学の就職課の方が、近畿大学の学生に向かって発信している内容ですよね?その前提で見た時、その文章を評価するのは、その大学の学生だけであるべきじゃないでしょうか。
  • 他人のことを欠陥品と発言すること自体、人として問題がある
  • なるほど、社会福祉に携わる人間が見下されるわけだ。
  • 差別そのものでは。教育機関の言う所ではないね。

  • 「欠陥」……未完というよりは不完全。要修理。瑕疵。
  • 「品」………人間扱いではない。
  • 「…人は欠陥品」……人間を人間扱いせず蔑視している。

というわけで、


それなら問題は、大学がフリーター・ニート・新卒未就職者を「社会では欠陥品とみなされています」と言っているのか、それとも大学としては「欠陥品とみなしています」言っているのか、両方なのか。

何故なら,新卒で就職出来ていない人は落ちこぼれであり、欠陥品だからです。 君がどのように言い訳をしようと、社会は欠陥品と見ます。

両方でしたね。社会が失業者を差別的に見ているから、差別されて当然なのだ。それが事実である、というわけ。
ややこしいのはフリーターやニート、失業青年が欠陥品だと表現したくなるような現実が先行して存在していることですね。


「新卒時点で就職していなかったり、長期に正職員として就業していないと、企業は正職員として採用しない傾向があるし、不安定雇用だとキャリアが身につかなかったり、身についても認められない傾向がある。そのことで、従来のような人生設計が経済的に困難になっているという現実がある」
というような表現のほうが、人を物件視せず、物件としての現実を説明できていると思うので、より適切だと思う。



もうひとつ、

フリータやニートになっては、人生台無しです。

これは、フリーター・ニートたちの主観や来歴や現在・将来に拘わらず、大学の機関が彼らの人生をのみ指して「台無しなのだ」と断定しているわけで、「30過ぎて結婚していない男・女はダメなやつです」「障害者は福祉がなければ生きていけない、健常者にとってお荷物です」とかいう差別的言説と同様だと、わたくしは思いますね。

言語学的問題? 言語行為論?

ところで、現に差別的処遇を受けていれば、それを説明する差別的言説は許されるのか? 
たとえば「日本人と黒人との混血だと差別されますよ」と、結婚相談所が「アドバイス」したら、それは差別なのだろうか。


「万引きしたら逮捕されてしまいますよ」というのは、ふつーに警告だよね。


今でこそ「うつ病」は誰でも罹患しうる病として認知されるようになっているが、「うつ病になるなんて人格に欠陥がある証拠だ、と世間では言われているんだよ」という言説はどうだろうか。
「世間」「社会」を借りて発言者が差別を実践しているということになるのではないだろうか。少なくとも可能性はある。



そのほか、「無能な正社員」とかもひっかかるけど。
言語行為論についていつか調べてみましょうかね。
少し中途半端ですが、人を「欠陥品」呼ばわりするのは、差別的であるから宜しくない、というとことで落ち着きます、か?(吉本新喜劇か)。