▼フリーターについての古典的・原点的認識

いまだにフリーターがなぜ増えたのかとかいう設問をしている人もいるようだが。

『ビジネス・レーバー・トレンド』創刊号「総力特集 フリーター・若年無業からの脱出――キャリア形成と支援のあり方――」独立行政法人 労働政策研究・研修機構 2003年10月
http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/bn/2003-11/index0311.html

<総合解説>
増加する若年非正規雇用者の実態とその問題点 (1.2MB) 副統括研究員 小杉礼子
http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/bn/2003-11/p4-9.pdf

ではこのように説明され述べられている。

フリーター・無業の増加の背景

1.労働力需要側の変化

第一に、新卒採用の枠を絞り続けている採用側の行動である。とりわけ高校生への求人はピークの……8分の1まで減ってしまった。……大学生への求人は、三分の二程度の減少でとどまっている。すなわち、学歴によって求人の減少程度は大きく異なるのである。
……雇用慣行の変化は、……非正社員方雇用形態での雇用の拡大につながっている。

2.労働力供給側の問題

高校・大学卒業時にフリーターや無業を選んでいる傾向があり、青年の自発的離職率も高い。
しかし、フリーターを選ぶまでの過程を調べてみると、半数は何らかの段階で諦めた者である。この背景には、求人の減少と就職斡旋システムの問題とがある。就職斡旋システムの問題とは、劣位の学校・劣位の生徒には求人が来ないという現実があるということである。
フリーターを選んだ残りの半数は、進路についてあまり考えてこなかったり、或いは迷っていた生徒であった。これは学校での就業についての組織的計画的な教育がなされてこなかったという問題がある。ここから「自由で気楽で収入を得たい」という意識が生まれてしまっているのは事実であり、社会の大問題である。

3.フリーター・無業問題

フリーターや無業は何が問題か。

  1. 職業能力の蓄積ができない
  2. キャリアの展望が持てない。アルバイト・パート歴が評価される社会ではない
  3. 社会の中に自分の居場所を確保できない。アイデンティティの危機にもつながる。
  4. 経済的自立が困難で、個人の生活・人生設計が困難。

個人にとっての問題は、そのまま社会の問題である。……わが国全体の技術力の低下が危惧される。……社会不安の要因にもなる。……社会の再生産さえ危うくなる……。若く学歴の低い者がまず安定的雇用機会から排除されている現状からは、格差の課具体とその固定化の危険も浮かび上がってくる。

4.問題への対応

大切なのは当該諸個人の問題ではなく、次の世代の育成という社会全体の基本的な問題として捉えることである。
……


フリーター自己責任論、だから再チャレンジというが

フリーターになってんのは無能だから

最近、自民党総裁選などを前に格差問題・失業問題などがシンクタンクでもテーマに取上げられているが、多く見受けられるのが、あからさまではないにしても結果としてフリーターの自己責任論である。
簡単に言うとフリーターや無業者がいつまでも正社員に雇用されないのは彼らが無能だからである。情報の収拾取扱もずさんである。だから彼らをとらえて訓練してやらねばならない。訓練して商品としてある程度まともにしてやらねばならないと、子どもも生ませられない。
結局、労働者の育成を企業が放棄放擲してしまっているのには目をつぶり、無能なフリーター、失敗した愚か者は自分でカネを出して自己啓発でもやんなはれ、という。だから過程にも結果にも無責任で傍観的な「再チャレンジ」などという、青年たちに「オノレの無能」を再確認させるような適当なスローガンになる。(再チャレンジ政策そのものはもうすこし丁寧だが、本当に実行されるのか、実行されて実効あるのかは別の話)

企業には大甘。国際競争が錦の御旗

一方で企業の立場に立ちきった青年たちへの要求は、企業にとってまことに都合の良い人材像であって、彼らの求める人材を短期の半公設の訓練所での訓練で育成できるはずもなく、かといって自ら育てる気もない。欲しいのは今の即戦力であり、近い将来何が必要になるか分からないが、それにも何にでも対応できるマルチで可塑的なタレントだけである。
勢い、人材ヒット率の高い高学歴の者をのみ物色したり、外国から高度技術者を招いたりすることになっている。
国際競争に負けたらなんだというのか。日本には経済主権はないのか。
とにかく国際競争力に負けそうだから、国際競争に勝ち続けなければならないから、という名分は「錦の御旗」で何でも許され・何でも緩和される。
シンクタンクの文章を読んでると例外なくそうである。
それでは国際競争力に負けた国はどうなっているのか、それはなぜそうなっているのか。勝った国による「仕打ち」だろうが。ガードの手をIMFとかなんとかで無理やり後ろ手に縛ってグーで顔面を殴るような仕打ちをしているんじゃないのか。(不勉強なのであまりわからんが、巨大企業が国際競争に負けるとどうなるのか誰も説明してくれない)


そんなに青年、フリーターだけが悪いのか

熱心には読んでいないけれど、冒頭の小杉氏の文も副題にあるように「キャリア形成と支援」、低学歴青年層の「雇われやすさ」を向上させる仕組み(訓練・支援・評価)をなんとかしようという論になっているし、引用していないが続く対談「玄田有史×苅谷剛彦 対談」も興味ある論点*1はありはするが、結局青少年の側のことばかりで、企業の雇用、企業内での育成のことなどには触れていない。青少年の側のことだけがテーマだったのかもしれないが。


みんな企業社会の奴隷

最近閉鎖宣言をされた本田由紀氏の「もじれ」の「こじれ」なども、私の「うすら読み」では、企業の国際競争という「御旗」の前に拝跪してしまうような前提の文章を書いたのがきっかけだったのではないかと思う。一読したとき、「この方も企業の活動を無批判に前提した考え方をしてしまうのだな」と思った。まずは「国民の先頭に立って国際競争をしている企業」の味方なのだと。「国際競争に勝つ」ということは聖域なのだなぁと。
そんならいっそ、国際競争に負けたらどうやねん。一億総奴隷にでもなるのか。奴隷になってもなおわれわれは互いに足蹴に蹴落としながら弱いも者に唾を吐きかけながら、国際競争に負けたのはフリーターを正社員にしたからだ、福祉を充実させて怠け者が増えたからだと、と呪いの言葉を同胞に向かって互いに吐き続けるのだろうか。
将来、企業様に雇っていただけるかどうかを気にしながら学校に行き、余計なカネも払って来年には無意味な紙片になるかもしれぬ「資格の免状」を購入するような人生を送っている青年たちは、すでに企業の奴隷である。
2007年を超えて再来年まで持てば定年までクビにならないかもしれないから、当たらず触らず、かといって目立たなくもなく、70〜75%で行こうなどと連合傘下でヌルヌルしているオヤジさんたちも骨の髄まで奴隷である。
奴隷でないと生活できない国なのだから、資本主義的奴隷制国家と言わねばなるまい。「やれるものならやってみろ」という「再チャレンジ」でうまく行かねば、奴隷未満の身分に落とされ、市民の払う消費税で人並み未満の生活を送ることになり、ことあるごとに「どうしてわれわれが薄い財布から負け犬のエサまで払わねばならないのか」とバカにされるわけだ。

奴隷未満への道はまだまだいろいろある。落とし穴に落ちなくても同じゴールのその道を、たどらずにはおれずにたどってしまういろいろな道が。


もう少し勉強します。今日の到達はここまで。

*1:「児童労働の解放が近代の教育原理とぶつかっている〔?〕」「早めの職業教育」など。教育における労働の意義を重視し、労働と教育の隔離に反対する旧ソビエトの総合技術教育などは再検討されても良い。もちろん再興という意味ではなく。