▼学校に「自由」競争を強制する教育バウチャー制度

Benesse(ベネッセ)教育情報サイト「安倍首相が導入を掲げる「教育バウチャー」って何?」2006/10/24 斎藤剛史氏

教育バウチャー制度は学校間競争の強制

現在の教育バウチャーの論議は、所得などに関係なく一律に子どもをもつ家庭にバウチャーを配布することを前提としているようです。教育バウチャーの利点としては、(1)国公私立学校を問わず適用することで、家庭の授業料負担などの公私格差が解消される (2)国公私立学校を問わず自由に保護者や子どもが学校を選択することができるようになる (3)集まったバウチャーの数に応じて学校運営費が交付されるので、学校はより多くの子どもを集めるため努力し教育の質が上がる……などが挙げられています。教育バウチャー制度は、選択の自由、自由競争による質の向上という規制緩和の考え方が背景にあると言ってよいでしょう。

今議論されている教育バウチャー制度は全ての学校に学校間競争を強いることになるらしい。

問題点としては、

  • 一部の人気校だけに予算が集中し学校間の格差が拡大する、
  • 保護者や子どもに迎合する学校が増えて逆に教育が荒廃する、
  • 地理的に学校選択が困難な地方部と自由に学校選択できる都市部の教育格差が広がる

を斉藤氏は挙げている。

どんな学校を「選んでしまう」かは自己責任

Benesse(ベネッセ)教育情報サイト「学校選択制について」山田剛氏

●どの学校が良いかを見極める努力が必要になる
仮に学校選択制を導入した地域にお住まいの場合、学校公開日などを利用して、どの学校を選ぶか判断しなければいけません。限られた情報で判断するのは大変ですが、学校選択制は、そうした努力と責任を保護者に要求します。
学校選択制は、子どもの将来をもっと真剣に考える機会を保護者に提供しているとも言えます。その際に重要なのは、その選択が自分の子どもの個性や体質に合っているのか、将来の幸せにつながるのかという点だと思います。そして、こうした観点からすれば、学校選択制がない地域であっても、自分の子どもが進学しようとしている学校がどんな学校なのか、これまで以上に関心をもつことが必要になっているのではないでしょうか。保護者のかたが学校に関心を寄せて、関わるようになることは、学校教育の質を上げていくうえで大切なことだと思います。

三者的・観察者的にはこのように言えるだろう。ここに言及されていないのは、父母・教師・児童生徒が真に対等に、そこに通う児童生徒の立場に立って学校や授業を良くしていこうという運営上の課題である思う。
はじめから何かの序列や序列的な「個性」(「数学はできないがスポーツは得意だ」などという、烙印として押し付けられた能無しの証明としての「個性」)に染められた学校。つまり与えられる選択肢の中の学校は、学力テストやその結果の公表ともあいまって、予めランク付けられていないわけには行かないではないか。
そして、学校を良くするというのは、その序列の数直線上のバーチカルな位置を上下させるということに矮小化されてしまうだろう。
そこに教育産業・教育情報産業の巣食う栄養源があるのだろう。


参考
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/archive/news/2005/09/19/20050919ddm004040145000c.html

新教育の森:広がる小中学校自由選択制 生徒集めに走る先生
 公立の小中学校が「自由化」の波に洗われている。東京都品川区で始まった学校自由選択制が今年6年目を迎え、全国で都市部を中心にさらに広がる気配だ。黙っていても生徒が来る時代は終わり、教員は「客集め」に奔走している。【井上英介】
 ◆新入生「ゼロ」の衝撃

 お茶の水女子大に隣接し、木々に囲まれ静かなたたずまいの東京都文京区立第七中学校。04年2月、区教委からの連絡に教職員たちは衝撃を受けた。入学者がいないというのだ。区が自由選択制を導入して2年目。わが子を同校へ入れようと考えていた5世帯は入学者が少ないと知り、全員他校を選んだ。

 だから、昨春は始業式のみで、入学式はなし。「在校生はがっかりしていた。後輩がいなければ生徒会や部活動もままならず、影響は大きい」と一坂倭子(しずこ)校長が語る。自由選択による「想定外の事態」(区教委)で親たちにも不安が広がり、臨時の保護者会が夜遅くまで開かれた。

 「教育だけが(競争社会の)カヤの外にいるわけにはいかないと承知しているが、選ばれない側はつらい。(努力しなくても生徒が来るという)現場の意識を変えるのは難しい」(一坂校長)

 4月から涙ぐましい努力が始まった。卒業生に呼びかけて同窓会「七友会」を設立し、周辺に会報を各戸配布した。落語家や沖縄ミュージシャンを招き、住民を学校に呼び込んで独演会やコンサートを開いた。

 区民の教育への関心は高く、同校はいじめや校内暴力と無縁だ。もともと小規模校で、自由選択導入直前の02年春の新入生は38人、直後の03年春は26人。私立進学組の増加に加え「大規模校で子どもの世界を広げてやりたい」という親が増えたのが背景とみられる。

 この春は努力が実を結び、21人の新入生を迎えた。長男を今春まで通わせ、現在中1の二男を通わせる父親(51)は、新入生ゼロについて「聞いた時はわが子を失ったようなショックを受けた。廃校を避けようとPRに協力した。でも、少人数教育には子ども一人一人の活躍の機会や役割が増えるなどいい面もあることに気付いた」と語る。

 ◆うわさに踊り?悪循環

 「なんで私の時(自分が校長を務める時代)に自由選択なのか」。あと数年で定年を迎える首都圏の中学校長が、深いため息をついた。

 この校長の学校では自由選択が始まって以降、じわじわ生徒が減り続けた。ところが、600メートルしか離れていない別の中学校では逆に増え続けている。

 やれることは何でもやろう−−現場の教員たちにはっぱをかけ、昨年、生徒たちを地域の祭りに参加させたり、近くの小学校に「アシスタント・ティーチャー」として派遣するなど必死の巻き返しを試みた。

 ところが、今春の新入生はついに40人を割り込み、それまで2クラス編成だったのが、1クラスしか組めなくなった。うなだれる教員たちをこう言ってなぐさめた。「努力したからまだ30人台で踏みとどまれたんだよ」

 「自由選択は功罪相半ばする」と校長は言う。「学校は特色を出そうと頑張る半面、広域から生徒を集めるため長年築いた学校と周辺住民のつながりが希薄になる」

 何よりつらいのは、生徒減に応じ教員も減らされることだという。教員が減れば1人当たりの仕事量は増え、授業がおろそかになり、生徒に目が届かなくなる。「それが生徒減につながるという悪循環がある。少人数教育はいい面もあるのに、多くの親は『みんなが行くのでうちも……』とうわさに踊る」。校長は悲痛な表情だ。

 ◆ルーツは臨教審答申

 学校自由選択制の最大の狙いは、競争原理を導入して公立学校の質を高めることにある。ルーツは、臨時教育審議会の第3次答申(87年)の「通学区域制度の見直し」にまでさかのぼる。臨教審は中曽根康弘首相(当時)が「戦後教育の総決算」を目指して設けた首相の諮問機関。旧文相の諮問機関である中央教育審議会中教審)とは異なる立場から教育改革を唱えた。

 その答申から13年後の00年、品川区教委が全国で初めて小学校で導入した。同区教組は「児童の流動化で廃校や特定学年の異常な増減を招き、児童や親に不安と不信を与える。市場原理で教育の機会均等が失われる」と猛反発した。

 自由選択について文部科学省は強制はせず、自治体教委に判断を任せている。同省によると昨年11月現在、小学校では2校以上置く2576自治体のうち227(8・8%)が導入し、150が導入を検討する。中学校では同1448自治体のうち161(11・1%)が導入、138が検討中だ(隣接校選択など“部分自由化”も含む)。

 ◇一定数は地元限定 入学希望者の転居が増加−−先進導入の英国

 【ロンドン山科武司】日本の教育改革の“手本”とされる英国(イングランド)では、サッチャー政権から改革が始まった。教育現場に競争原理を導入して学校の自由選択を認め、全国統一のカリキュラム導入や全国統一テストが始まった。

 選挙中から「教育、教育、そして教育」と訴えたブレア政権は、すべての学校での「学力の底上げ」を目指す。7、11、14歳対象の全国テストの結果は学校ごとに順位がついて公表される。

 その結果、OECD経済協力開発機構)が15歳を対象に行う学習到達度調査(PISA)で英国は日本などと並び上位に位置するまでに学力は伸びた。

 全国テストの結果をもとに生徒側は進学希望校を決めるが、地域重視の観点から入学者の一定数は地元に限定される。このためトップ校の近隣に入学希望者が一家ぐるみで越して来るケースが後を絶たず、校区の不動産価格上昇を招いている。裕福ならば引っ越しもできるが貧しいと難しい。

 また貧しい家庭は、高額の授業料が必要な私立校に進学できない。不合格を避けて公立のトップ校も受けない傾向にあるという。

 学校側も成績を良くするために全国テストに即した授業を組みがちで、「知識偏重の詰め込み教育に陥っている」とも指摘されている。

毎日新聞 2005年9月19日 東京朝刊