▼体験崇拝と自己陶酔と腕力の饗宴──教育崩壊会議の一次報告骨子

「教育崩壊会議」と呼ぶのは、皮肉とか非難とかではなく、教育再生会議自身が「教育総崩壊」という認識を基本にしているからである。
「社会奉仕活動」がどうして規範意識や学習規律を形成し身につけさせるのだと論議したのか、自分でも丁寧に資料や議事要旨、議事録を閲覧したつもりだが、残念ながら本日現在まともな議論はされていないようだし、中教審論議よりも後退していると思われる。

今(実は1月24日)、教育再生会議 第1次報告についてというのが発表されたのを初めて見た。当然未読であり、あとの苦しみにとっておこう。
ここでは「骨子」までのところで、コメントしてみる。ちょっと賞味期限が1日切れてますけど、健康に害はありませんから。
[1/25 追記]:なお、この記事で俎上に載せるのは、「第4回教育再生会議」の「(配付資料) 資料1 第1次報告(骨子案)」の「基本的な考え方」の部分と、これまでの議事要旨や議事録などに限られる。(その他のところは読んでいないので、ニュース性もございません。)

体験崇拝と自己陶酔としごきや腕力の論理

骨子案に言及する前に、骨子案が出されるまでの、分科会の議事録や議事要旨を「社会奉仕」「ボランティア」「規律」「規範」で検索しながら拾い読みしてきた印象を述べる。(丁寧に読んだと書きながら実は拾い読み)
だから、「ちゃんと読んでいない」とかいう突っ込みの対象外である。
また、この読後印象文で全体を判断しないようにしていただきたい(そんな人はいないだろうが)。念のため書き添えさせていただく。興味のある方は、是非本尊の議事録などをお読みいただきたい。本尊全体はもっとひどいと思われる。「委員の語録をつくってみようか」という虚しい衝動に駆られるはずである。[1/25追記]


体験崇拝

これまでの議事録等の印象を約言すると、無反省・無内容な体験崇拝・復古崇拝である。自然体験・社会奉仕体験・ボランティアなどをとにかく体験させればなんとかなり、それ抜きには規律も規範もありえない、というような論調である。むやみやたらな体験への拝跪である。

自己陶酔

また、自分たちのテレビがなかった時代、家の手伝いをさせられた時代、先生にさんざん殴られた時代、「キヨツケ」をさせられて整列させられた時代、ゲームセンターもパソコンもなかったのでギャングエイジを山で「基地」を作ってすごした自分たちの昔の体験をそのまま、今の否定的な教育病理事象にあてはめ投影して、テレビから隔絶した合宿所に監禁して自然体験をさせてはどうかなどと発言しているように読める。
これは年寄りが「自分たちの若い頃は、云々」と全く同じで、それを現代について言い募るのだから懐古主義というより自己陶酔の世界である。それが無意味とは言わないが、子どもたちが生きているのはギャングエイジも自然も田舎の活気もなくなった現代なのであることにほとんど注意は払われていない。
またこうした「合宿」や奉仕がどのような年齢に、どのように適当かなども論議されていない。規律を乱す者には社会奉仕、規範意識を身につけさせるために社会奉仕(社会奉仕は強制)、というのは軍隊的なしごき・形を変えた体罰のようなもので、委員自ら「意味が分からない」とも言い出す始末。どうも、第二分科会では、社会奉仕によって規律が身につくという崇拝のデタラメさはうっすら認識されているようである。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiroku.pdf
○ 門川委員 「違反を繰り返す子供に対しては、規律を確保するため、社会奉仕」とあります。規律を確保するために社会奉仕ではなく、「子供に対しては、心を育み、規律を確保するため」とかにしたらいいと思うんです。
○ 葛西委員 このまま書くと、意味がよくわからないですね。

余談だが、社会奉仕については「具体的に何をするのかは『高校や地域の清掃、校内のトイレ掃除』といった程度の議論(1/15 毎日新聞)」らしい。門川委員は京都市の職員なのであるが、2006年度まで「5年あまりで68人処分、 このうち19人は、2回以上繰り返し処分を受けていた」のが京都市環境局(旧清掃局)職員だということについて、どのような整合的な見解を持っておられるのか、是非発表してもらいたいものである。

しごき・腕力・絶対服従の悪しき体育会系の論理

第二分科会 第2回 平成18年11月29日 議事録
○ 葛西委員 先生は体力や知力において生徒から抜きん出ていることで尊敬を集めることができ、指導が成り立つ。言うことを聞かない生徒達には、剣道なら剣道の先生が1 時間か2 時間徹底的に稽古を付けて、その後で今度いろんなことを教えてあげるというような仕組みを考えるといいと思います。その際には担任は1 人ではなくて、2 人とか3 人でやるといいのではないかという感じがいたします。

音楽とか美術とか、数学ではなくて武道系の先生なのがミソ。これで腕力以外の「知力や人格」を想定していると言えようか。もぉ、極道学園のマンガみたい。武断政治ならぬ武断教育と言ってよいだろう。


第一次案骨子の分解読解

再掲。この記事で俎上に載せるのは、「第4回教育再生会議」の「(配付資料) 資料1 第1次報告(骨子案)」の「基本的な考え方」の部分に限られる。(その他のところは読んでいないので、ニュース性もございません。)
「1.基本的な考え方」が総論部分だろうと思ったわけです。

まず、直接のコピー

一読しても良く分からなかったので、分解しながら考えてみた。

一次報告に当たっての基本的な考え方

世界に開かれた「美しい国、日本」の実現の基本は、次代を背負う子供や若者の育成にあります。
しかしながら、我が国の学校教育には、問題山積です。

  • 第一に、初等中等教育においては学力面やいじめなどの安全面で、学校が、学習者や保護者をはじめ国民の期待に応えていない
  • 第二に、学校や教育委員会など教育界の責任体制が不徹底であることに加え、取組を評価・検証する仕組みがない
  • 第三に、教育の供給者側の論理が優先し、教育機関や教員が切磋琢磨する環境がない。働き方や学び方の複線化や子供の多様な才能を伸ばす教育システムとなっていない
  • 第四に、幼児教育から高等教育まで、学習者の発達段階を踏まえた一貫した教育システムに十分にはなっていない
  • 第五に、国の競争力に直接的影響を及ぼす高等教育、とりわけ大学院教育が国際水準を満たしていない

以上の学校教育問題に加えて、家庭、地域社会、経済界、メディアを含むあらゆる層の人びとが、当事者としての自覚を欠き、あるべき教育行動を起こしていないことが、現在の教育荒廃を招いた大きな原因であると深刻に受けとめています。

少し分解

複数の事柄を一つの項目で言及しているので分かりにくい。

  • 第一に、初等中等教育においては学力面(やいじめなどの安全面)で、学校が、学習者や保護者をはじめ国民の期待に応えていない
  • 第一に、初等中等教育においては(学力面や)いじめなどの安全面で、学校が、学習者や保護者をはじめ国民の期待に応えていない
  • 第一に、言い換えると「戦後教育は「崩壊」したという認識」(第三分科会での検討課題
    • 第二に、学校や教育委員会など教育界の責任体制が不徹底であることに加え、
    • 取組を評価・検証する仕組みがない
    • 第三に、教育の供給者側の論理が優先し、教育機関や教員が切磋琢磨する環境がない。
    • 働き方や学び方の複線化や子供の多様な才能を伸ばす教育システムとなっていない
    • 第四に、幼児教育から高等教育まで、学習者の発達段階を踏まえた一貫した教育システムに十分にはなっていない
  • 第五に、国の競争力に直接的影響を及ぼす高等教育、とりわけ大学院教育が国際水準を満たしていない

以上の学校教育問題に加えて、家庭、地域社会、経済界、メディアを含むあらゆる層の人びとが、当事者としての自覚を欠き、あるべき教育行動を起こしていないことが、現在の教育荒廃を招いた大きな原因であると深刻に受けとめています。

第一の問題の原因根拠が第二〜第四だと言いたいらしい。そして、その結末が第五という「始末」である。そしてその責任は学校・教育制度・教育関係者以外に「家庭、地域社会、……」というものが挙げられている。


批判的ノート
  • 第一に、初等中等教育における学力面で、学校や児童生徒が、どのような困難に直面しているのか十分論議されたのか
  • 第一に、初等中等教育におけるいじめなどの安全面で、「規範意識の欠落」など「いじめの単なる別の呼び方」ではなく、その病理の根源・発生源をえぐることができたのか。
  • 第一に、初等中等教育における学習規律・集団規律・学習意欲・規範意識の相互の関係が十分解明されたのか。初等教育における道徳教育の総括は如何になされたのか。
  • 第一に、「戦後教育は「崩壊」したという認識」に基づいているので、教育現場や児童生徒の病理的な現象について丁寧な原因の分析や究明がなされていないのではないか。「総崩壊」という認識の粗雑さ。メンバー的にも無理。
    • 第二に、学校や教育委員会など教育界の体制が官僚的な「無責任の体系」になっていることについての無反省に加え、
    • 自己批判・自己浄化する意欲も能力もない。
    • 第三に、教育の統制者側の論理が優先し、自由な環境のもとで教育的力量を伸長させるのではなく、業務命令に従わせることのみに汲々としてきたのではないか。
    • どの子も伸ばさねばならない「建前」なのに、逆に差別・選別・落ちこぼれ量産のシステムとなっている。
    • 第四に、小中高一貫などエリート校の広範囲な導入に抵抗勢力が存在する。
  • 第五に、初等中等教育での失敗が、とりわけ大学院教育が国際水準を満たしていないという財界からのお叱りがある。


以上の学校教育問題に加えて、家庭、地域社会、経済界、メディアを含むあらゆる層の(政界・官界以外の)人びとが、当事者としての自覚を欠き、……と、経済界を記しはしたが、政界・官界の堕落腐敗については論議の中で一部委員(第二分科会 第3回 平成18年12月 8日 議事録の川勝委員)が発言したのみ。
主として、家庭と地域社会とメディア(テレビ・マスコミは一貫して頭から敵視)とに悪役のお鉢をまわしている。
家庭崩壊や貧困の資料は提出されたが、このことについてのまともな論議はされていない。テレビから隔離された全寮制の学校や合宿が一方的に称揚される。


まぁ、以上がナナメ読み感想。
これはひどい」。


こんな会議でどんな論議がなされても、その論議の一言一言が現場や児童生徒、青年たちを直撃するわけではないし、知らなくても良いだろう。問題は提言に基づく施策が現場にどのような影響をもたらすかであって、以上のような(私のような)論議経過の「いじくり」(そんなに曲解を目指したつもりはない)は遊びに過ぎないし、今後の対応の直接の参考にもなりはしないだろう。
愚かしいものを愚かしいと述べているに過ぎない。虚しい。
陰山委員の発言は、一方では家庭崩壊を言い立て、一方では崩壊した家庭で「みんなでメシを食え」と言うように、みんなで食事することの意義にも言及しないし、「家族の日」が20%〜40%にもなるという離婚家庭にとってどうなのか、ということにも一言も触れないので、ちっとも賛同する気になれないが、当日配布資料は(データの信憑性に問題ないとして)、教育再生会議にしてはまともなものと思われた。