▼産めよ増やせよ! 美しい国、滅びぬように。

教育再生会議の資料を一枚ずつ開いては、「社会奉仕」とかキーワードで検索をかけている。勉強中。


第二分科会の第2回平成18年11月29日議事次第・配布資料、参考資料1の3ページに

○「家族の日」創設関連資料
【概要】
内閣府、関係省庁において家族の絆再生フォーラムの開催、全国の取組事例の選定、ポスター・標語の募集等、国民運動を展開。
・「家族・地域の絆」再生国民運動について【P29】
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai2/sankou1.pdf

とあり、参考資料3 PDFの6ページに脱力気味のページがある。



少子化は行き過ぎた個人主義のせい──思想統制が肝要

内閣府の中を探ってみると、あったあった。
例の、「子守うたをうたう」「読み聞かせをする」「家族の日の創設」という発言の出典はここかも知れぬ。
読んでみると、これまた腹立たしい。ワンワン・ガウガウ噛み付きたくなる。
予め断りしておくと、以下は私の「読み」であって、ナナメに構えているし、恣意的な抜粋ではある。誤読は容赦賜りたい。いちいち断らなくてもいつもそうだけど。


抜粋

http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2006/0516seimukan_pt.html

「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめ

平成18年5月
「家族・地域の絆再生」政務官会議PT−あったかハッピープロジェクト−

Ⅰ.基本的な考え方
  • 今日の深刻な少子化の原因の一つとして、過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮があると考えられる。家庭生活よりも職業生活を優先させ、個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し、「結婚しない」あるいは「結婚しても子どもを持たない」方が、経済的、時間的な制約に縛られることがより少ないという考え方を背景に、非婚化、晩婚化、少子化が進んでいるという側面は無視し得ないと考えられる。
  • このような状況に対応して、政府としても、経済的な支援、職業と生活との両立支援などを進めてきたが、……上記のような背景を前提とするものであるため不十分であると考えられる。
  • ……長期的な観点から少子化問題に対応するためには、経済優先・個人優先の価値観とは異なる新しい価値観に基づき、「結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会」を実現することが必要であると考える。
II.視点

……家族と地域の絆を再生することにより、「結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会」の実現を目指す。

III.『家族と地域の絆再生プラン(仮称)』
1.  家族の絆を再生する国民運動の推進

家族や地域の絆を再生するための国民運動を推進する。その際、男女共同参画の観点については、『男女共同参画基本計画(第2次)』(平成17年12月閣議決定)にも明記されているように、ジェンダー・フリー」という用語を使用して家族や伝統文化を否定することは「国民が求める男女共同参画社会とは異なる」ということに留意する。

≪施策例≫
(1) 「家族の週間」運動の推進【関係省庁】
 家族や地域の人々が触れあう機会を増やし、相互の絆をより深めるため、毎月一週間程度を「家族の週間」とし、国民運動を推進する。
1) 残業をしないで、早めに帰宅して一家団欒の機会を設ける。
……略……
4.  社会全体で子どもや生命を大切にする運動

……男女共同参画の観点については、『男女共同参画基本計画(第2次)』にも明記されているように、「性と生殖の権利(リプロダクティブ・ライツ)〔末尾に資料〕」について、「我が国では、人工妊娠中絶については刑法及び母体保護法において規定されていることから、それらに反し中絶の自由を認めるものではない」ことに留意する。

引用していると私も「あんたら一回○ね」と提言したくなってきた。


7年前の少子化対策──「夢を持てる社会環境の整備が肝要」

おなじ官邸内で検索してみると、平成10年には「少子化への対応を考える有識者会議」というのが開催されていた。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syoshika/980928kesai.html

― 夢と絆の家庭支援 ―
少子化への対応を考える有識者会議」の開催等について

平成10年7月10日 内閣総理大臣決裁 平成10年9月4日一部改正
2.検討課題
 有識者会議は、職場のあり方や働き方の見直し、結婚や子育てに夢を持てる家庭、地域、学校の実現に向け、幅広い観点から検討を行い、具体的な提案を行う。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syoshika/980806dai1.html
内閣官房内閣内政審議室

−夢と絆の家庭支援−
少子化への対応を考える有識者会議
第1回議事録

日時 平成10年7月17日
【橋本内閣総理大臣
……

 私が社会保障構造改革や財政構造改革など6つの改革に取り組む決意をした原点には、高齢化に加えてこの少子化という現実にどう対応するかという強い問題意識がございました。

 もとより、結婚や出産は個人の選択の問題でありますから、国や社会が干渉すべきものではありません。しかし、我が国では多くの人々が結婚や出産を望んでいるにもかかわらず、未婚率が高まり、少子化が進んでおります。この背景には何か妨げとなっているさまざまな社会的、経済的要因があるのではないか。豊かさを目指して走り続けてきた日本は、気が付いてみれば若い人たちが結婚や子育てに夢を持てない社会になっているのではないか。そのような気がしてなりません。
 私はこのような状況を改め、男女がともに暮らし、子どもを産み、育てることに夢を持てる社会をつくっていくための環境を整備することが、これからの日本にとって非常に大切な課題であると確信しております。

第1回会議には小泉純一郎氏は厚生大臣として、伊吹文明氏は労働大臣として出席している。町村氏は文部大臣である。発言を読むと面白い。


そしてこの「有識者会議」の結論は次の通りである。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syoshika/981228teigen.html

「夢ある家庭づくりや子育てができる社会を築くために(提言)」

平成10年12月21日
少子化への対応を考える有識者会議

はじめに

……しかし、現在の日本には、若い男女が、親から自立して働きながら新たな家庭を築き、子どもを育てていく、という責任ある喜びや楽しさを経験することを困難にするような社会経済的・心理的な要因がある。そのような制約要因は、社会全体の取組みとして取り除いていくべきだ。
……若い世代に未婚者が増えている背景には、若い男女特に女性にとって、結婚・出産・子育てに伴う家事・育児等の生活上の負担感が大きく意識されるようになっていることがある。家庭・家族があらゆる面でゆとりを持って互いを大切にし合える豊かな人間関係をつくり維持できる社会を築いていくべきである。

このときは、政府の自己批判の内容や程度はともかく、結婚・出産・育児に夢が持てるような社会・経済などの環境整備が政府の責任であると、大変まともなことを言っている。

180度転換して青年に「矛先」

ところが、この橋本首相の大変な「改革」の後、森政権、そして小泉政権の「構造改革」があり、今や「少子化は行き過ぎた個人主義・享楽主義が原因であるから、結婚して子どもを産まないと不自然だと指弾される社会をつくる必要がある」という認識に至っているのである。
少子化にしろ、いじめにしろ、社会的な諸問題を何もかも家庭・個人・労働者にその原因と責任をなすりつけ、政府の責任については無批判・放棄しながら「結婚しないヤツ産まないヤツ不自然・キモイ」という一大思想運動を構築しようというのである。



産めよ増やせよ──我国人口ノ急激ニシテ且ツ永続的ナル発展増殖ハ喫緊ノ要務ナリ──

少子化対策ではないが、日本においては過去にも政府が国民に多産を勧奨する強迫的なキャンペーンはあった。
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00302.htm
国立国会図書館 議会官庁資料室 閣議決定等フルテキストデータ より抜粋

人口政策確立綱項

昭和16年1月22日 閣議決定
第一、趣旨

 東亜共栄圏ヲ建設シテ其ノ悠久ニシテ健全ナル発展ヲ図ルハ皇国ノ使命ナリ、我国人口ノ急激ニシテ且ツ永続的ナル発展増殖ト其ノ資質ノ飛躍的ナル向上トヲ図ルト共ニ東亜ニ於ケル指導力ヲ確保スル為其ノ配置ヲ適正ニスルコト特ニ喫緊ノ要務ナリ

第二、目標

 差当リ昭和三十五年総人口一億ヲ目標トス

 一、人口ノ永遠ノ発展性ヲ確保スルコト
 二、増殖力及資質ニ於テ他国ヲ凌駕スルモノトスルコト
 三、高度国防国家ニ於ケル兵力及労力ノ必要ヲ確保スルコト

第三、右ノ目的ヲ達成スル為採ルベキ方策ハ左ノ精神ヲ確立スルコトヲ旨トシ之ヲ基本トシテ計画ス
 一、永遠ニ発展スベキ民族タルコトヲ自覚スルコト
 二、個人ヲ基礎トスル世界観ヲ排シテ家ト民族トヲ基礎トスル世界観ノ確立、徹底ヲ図ルコト
 三、東亜共栄圏ノ確立、発展ノ指導者タルノ矜持ト責務トヲ自覚スルコト
 四、皇国ノ使命達成ハ内地人人口ノ量的及質的ノ飛躍的発展ヲ基本条件トスルノ認識ヲ徹底スルコト
第四、人口増加ノ方策
 人口ノ増加ハ永遠ノ発展ヲ確保スル為出生ノ増加ヲ基調トスルモノトシ伴セテ死亡ノ減少ヲ図ルモノトス
 一、出生増加ノ方策
 出生ノ増加ハ今後ノ十年間ニ婚姻年齢ヲ現在ニ比シ概ネ三年早ムルト共ニ一夫婦ノ出生数平均五児ニ達スルコトヲ目標トシテ計画ス
 之ガ為採ルベキ方策概ネ左ノ如シ
 (イ) 人口増殖ノ基本的前提トシテ不健全ナル思想ノ排除ニ努ムルト共ニ健全ナル家族制度ノ維持強化ヲ図ルコト

 (ホ) 高等女学校及女子青年学校等ニ於テハ母性ノ国家的使命ヲ認識セシメ保育及保健ノ知識、技術ニ関スル教育ヲ強化徹底シテ健全ナル母性ノ育成ニ努ムルコトヲ旨トスルコト
 (ヘ) 女子ノ被傭者トシテノ就業ニ就キテハ二十歳ヲ超ユル者ノ就業ヲ可成抑制スル方針ヲ採ルト共ニ婚姻ヲ阻害スルガ如キ雇傭及就業条件ヲ緩和又ハ改善セシムル如ク措置スルコト
 (ト) 扶養家族多キ者ノ負担ヲ軽減スルト共ニ独身者ノ負担ヲ加重スル等租税政策ニ就キ人口政策トノ関係ヲ考慮スルコト

 (リ) 多子家族ニ対シ物資ノ優先配給、表彰、其ノ他各種ノ適切ナル優遇ノ方法ヲ講ズルコト

 (ル) 避妊、堕胎等ノ人為的産児制限ヲ禁止防遏スルト共ニ、花柳病ノ絶滅ヲ期スルコト
二、死亡減少ノ方策
〔以下略〕

産めよ増やせよ」の国策とはこの閣議決定のことである。「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめに通ずるところ大ではないか。


参考:この閣議決定がなされた頃の日本の世相などについては下記。
昭和ドキドキ」の「昭和16年 1941年」やWikipediaなどを参照。

情念に訴える排斥思想運動としての少子化対策

産むが当然・産まぬは異常・独身キモイのキャンペーン

今回の「中間とりまとめ」の思想運動・精神動員の、66年前の閣議決定と異なるところは、「中間とりまとめ」の提唱する運動が、「結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える」=「独身や子どもを産まないのは当たり前ではないと皆が自然に考える」=「結婚しないなんて異常だ」「子どもをつくらないなんてフツーじゃない」、「はっきり言って独身なんてキモイ」という運動になっていることである。
次世代を形成するその喜び・楽しさ・重要性を啓蒙したり整備したりするのではなく(全く言及していないというわけではないが)、「次世代を生むのは当然なのだ」という理屈や価値観・人生観の多様性を排除したスローガンを提唱しているところに、「中間とりまとめ」の異様さがあると思う。

国策としての性格を明確にしている昭和16年閣議決定

その点、66年前のキャンペーン「日本人の人口を増やし・優秀な人材を輩出することは、アジアのリーダーとしての日本に課せられた使命なのだ」「だから子どもを産めるよう支援するし・囲い込みもする」「子どもを産まないのは、国に協力しないことと同じだ」という論理むき出しのほうがまだスッキリしている。(こうした論理が良いと思うと述べているわけではない。)

新自由主義下における全体主義による少子化対策

繰り返しになるが、新自由主義的原理の支配する日本において、ますます深刻さを迎えている少子化対策は、子育て支援はそこそこに、「結婚して子どもを産まないやつは不自然」「独身は異常」キャンペーンで乗り切ろうということだろう。これは、新たな制度や原資を必要とせず、安価にできるところがミソなのかも。

また、こうした「排除」と「差別」の論理を生み出す可能性の高い「中間とりまとめ」の目指すところは、見てきたように個人主義=多様な価値観を排除しながら「別の価値観」を「○○だから」という理屈を抜いていきなり「当然だ」という断言の形式で、政府がカネも人も使って拡げようとするもので、ファッショ的・全体主義的なキャンペーンだと言えるのではないか。
「中間とりまとめ」を一読したときの違和感をコネ回していくと、その違和感はどんどん大きくなってきた。


性と生殖の権利(リプロダクティブ・ライツ)とは

http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/054/01.html

女性の自己決定権の主張の背景

 1994年、カイロで開かれた国連の国際人口・開発会議で採択された行動計画の中に「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康/権利)」という新しい概念が取り入れられ、その後の北京女性会議(1995年)や、ニューヨークでの女性2000年会議でも重要な課題になった。これは「身体的・精神的・社会的に良好な状態」で「安全で満足な性生活を営めること、子どもを産むかどうか、産むならばいつ、何人産むかを決定する自由を持つ」ことと定義されている。そしてこの概念は、女性が自分の意思で人生について選択できる「自己決定権」を尊重する考え方に基づいている。だが、この「自己決定権」という言葉を、表層的な女性の欲望の問題としてとらえてしまうと、人工妊娠中絶をひとまとめに「命の選別」と名づけて断罪する議論が生まれかねない。
 そもそも女性の自己決定権とは、これまで国家や家族や夫によって支配されてきた女性の身体や生殖の機能を、女性自身の手に取り戻すという文脈の中でこそ理解されるべきものである。イギリスでは二十世紀初頭でも、未婚で子どもを産むと「理性がない」として精神病院に入れられることがあったという。「遺伝性疾患を持つ子孫の出生予防」を目指したナチス・ドイツの時代には、「自分はふしだらだから子宮をとられるのだ」と思い込まされて不妊手術を受けた女性がいた。発展途上国の女性たちが「人口管理」のために十分な説明もなく安全性を欠く避妊処置をされていた事実もあるし、日本の女性たちも戦時中は「産めよ増やせよ」と国家から出産を奨励され、産めないと激しい差別を受けた。家父長制のもと、連綿と続いたこうした悲しみの末に世界の女性たちがようやく高く掲げるに至った権利が、この「自己決定権」なのである。

先の昭和16年閣議決定をも参照されたい。