▼諮問会議から自問会議へ

諮問どおりの答申を期待して諮問すると、諮問どおりの答申が返ってくる、というのは中曽根行政改革の第二臨調以降のやり方だったと思う。



でも、こんどのやり方は「大衆受け」を狙ったところが違う。メンバーもよくマスコミに登場する。


一家言ある門外漢を何人も集めてみる。当人の自己認識に拘わらず正真正銘の門外漢がよい。視野の狭いメンバーが良い。一家言あるメンバーが良い。人気者が良い。関係者がいてもよい。
あるテーマで議論していただく。メンバーがそのテーマの事象に不満をもっているとよい。触れて欲しくないところには触れないような方向性の設定をしておくとよい。
この視野狭窄症の門外漢たちは互いに一致したり反発したりするだろうけど、「不満」で一致しながら互いに心の底では馬鹿にし合いながら、「こんな馬鹿な会議に出られるか! いや、まてよ……こんな馬鹿ばかり集まっているのだから、俺様の“このこと”だけでもきちんと発言しておかねば大変なことになる!」と思うだろう。
彼らの意見は全部、会議を召集するときに「想定範囲内」である。


テレビや新聞で見てると(あんまり熱心には見ていない)、そうやって真剣に真剣に、まじめにまじめに発言し論議したのだろうけれど、かの陰山氏も海老名氏もヤンキー先生ワタミの社長も、自分の言いたいことだけは言った・通した! という妙な熱心さや使命感、達成感は伝わってくる。でも、かれらが自説を強調すればするほど、そのことで彼らの意思に関わりなく、教育再生会議とその安倍流「美しい国へ」の教育改革が合理化され・市民権を得ていく。
心底熱心に操られているという印象を抱く。



教育再生会議は諮問会議ではありません。諮問会議に諮問するのではなくて自分が主催するのだから自問自答会議ですね。

教育再生会議の設置について

平成18年10月10日
閣 議 決 定
会議は、内閣総理大臣内閣官房長官及び文部科学大臣並びに有識者により構成し、内閣総理大臣が開催する。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/konkyo.html


温暖化とリサイクル

ところで、温暖化である。大変である。教育どころか地球環境の崩壊である。
リサイクルが必要だ。ゴミをリサイクルして資源にするのである。
ゴミは分別して、過熱したり化学的に分解再構成するなど加工してはじめてリサイクルとして利用できるものが多い。まあ、自転車のように手直しするだけで使えるものもあるがな。


だが、ゴミを分解もせず、手当たり次第に寄せ集めるだけで「再生」されてしまうのはやっぱり大型ゴミなのだなぁ。