▼公教育の変質

昔懐かしい構造主義的分析

旧教育基本法(昭和22年3月31日法律第25号)
前文 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない
第一条 (教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


教育再生会議社会総がかりで教育再生を 〜公教育再生への第一歩〜 ―第一次報告―」(2007/01/24)を読めば読むほど憤激を通り越して悲しい気持ちになる。
この「報告」はあちこちに「それは今までなぜできなかったのか不明の奇麗事スローガン」と「とんでもない統制」などがちりばめられているが、検索してみると良い。結果を下に示した。ちょっと画面上間延びして見にくいかもしれないが。こういうのを構造主義的分析というのだろうか?

「第一次報告」PDFファイル検索結果
「第一次報告」における旧教育基本法関連用語
  • 「(人格の)完成」「真理」「尊厳」「平和」「形成者」「普遍」「発達権」「学習権」「教養」「喜」「嬉」……なし
  • 「人格」……2ヶ所「しっかりとした学力と人格を磨き、……」「教員の人間性、専門性や指導力、学級経営の方法が子供の人格形成や学力に大きな影響を与えます。」
  • 「自主」……3ヶ所「企業の自主規制」のみ
  • 「個人」……1ヶ所子供の成長や能力には個人差があり、興味・関心、家庭環境等は多様です
  • 「価値」……6ヶ所
    • グローバルな知識基盤社会の到来で、情報や知識の社会的価値の重要性が格段に高まる
    • 学校は……子供の多様な能力・適性、価値観、興味・関心、進路等に応える
    • 子供が命を尊び、自分の存在価値を理解し
    • 保護者が家庭教育に責任を持つこと、及び保護者としての責任を果たせる環境づくりが何より重要であるという価値観を社会全体で共有し行動す
    • 家族が集う正月、盆、彼岸などにおいて、家族、ふるさとの価値・すばらしさ、生命継承の大切さを考える気運を高める
    • 企業は、採用に当たって、企業が求める人材像を明らかにし、社会の多様な価値観を教育界に伝える。
  • 「個性」……なし
  • 「人権」……1ヶ所「いじめている子供に、その行為が人権侵害にもなり、不正義で人間として恥ずべき愚かな行為」
  • 「楽」……1ヶ所「学校は、安心して学べるしい場所でなければなりません」(いじめ問題に対応した箇所)
  • 「発達」……6ヶ所
    • 子供の発達と成長、育児環境の在り方などを〔家庭が〕考える
    • 親が子供の発達と成長などについて理解を得られる機会を提供する
    • 以下の諸点を検討します。心身の障害、LD、ADHD等の発達障害、虐待や愛着障害など特別な支援を要する子供……に対する、きめ細かいニーズに応じた指導・支援の在り方
    • 以下の諸点を検討します。社会のニーズや学習者のニーズ・適性と発達段階、各段階での教育課題を踏まえた柔軟な教育システムの在り方
    • ⑥ 発達段階等に応じた多様な奉仕活動、自然体験等を
    • 子供の教育と成長発達を保障する観点からの監督・監査機関やこれらを保障するための関係府省の垣根を越えた横断的・具体的な教育・支援内容の充実
  • 人間性」……4ヶ所
    • 「幅広い人間性と創造性、健やかな心身をもって、21世紀の世界に大きく羽ばたいて欲しいと願っています。」
    • 「子供が命を尊び、自分の存在価値を理解し、家族、友、地域、国を愛し、豊かな人間性をそなえられるよう」
    • 人間性に溢れ、多様な経験と専門知識を持った教員を採用」
    • 「教員の人間性、専門性や指導力、学級経営の方法が子供の人格形成や学力に大きな影響を与えます」
「第一次報告」における能力主義・競争拍車関連用語
  • 「能力」……26ヶ所
  • 「関心」……7ヶ所
  • 「多様」……23ヶ所
  • 「それぞれの」……5ヶ所
    • 個に応じそれぞれの能力を最大限伸ばす教育
    • それぞれの能力や興味・関心、進路希望等に応じ、落ちこぼれる子供をつくらず、子供の能力を最大限に伸ばすきめ細かな教育
    • 子供がそれぞれの興味・関心に沿って、各自のゴールを目指す
    • いじめが起こった件数、それぞれの原因・態様
    • 都道府県教育委員会に対する国の関与、市町村教育委員会に対する都道府県の関与、さらに教育委員会の学校現場への関与など、それぞれの責任と権限の在り方について
「第一次報告」における統制・復古関連
  • 「評価」……34ヶ所
  • 「責任」……45ヶ所
  • 「家庭」……37ヶ所
  • 「家族」……8ヶ所
  • 「親」……13ヶ所
  • 「父母」……4ヶ所
  • 「地域」……62ヶ所
  • 「伝統」……2ヶ所
  • 「我が国」……7ヶ所
  • 「愛」……12ヶ所
  • 「義務」……8ヶ所(うち6ヶ所が義務教育)
    • 学校は、子供たちに、……国民の義務や様々な立場に伴う責任を教える。
    • 国(又は国の独立行政法人)は新任教育委員にこの研修への参加を義務付ける
  • 「体験」……21ヶ所
  • 「奉仕」……10ヶ所
「第一次報告」におけるその他財界の要求など
  • 「企業」……33ヶ所
  • 「国際」……12ヶ所
  • 「競争」……4ヶ所(「国際競争」(力)、「大競争」)
  • 「公正」……1ヶ所

公教育は誰のために

各分科会でのお馬鹿な発言の数々を脇において、謙虚な気持ちのつもりで読んでみても違和感が強いのは、まず「Ⅰ.第一次報告に当たっての基本的考え方」「1.公教育再生のために」である。
結局、この報告において目指される教育は「我が国の伝統を身につけた・メガコンペティションを勝ち抜く・エリートの育成」なのである。
エリートでない者の教育はある程度配慮しながらも「それぞれの能力」「それぞれの関心」「多様な進路」という、もっともらしいタームで結局は医学も動員しながら「勉強してもダメな奴はダメ」というところに落ち着かせる、というところに、「再生」の目標があるのではないか。
いじめや学力低下に関する国民・父母の深刻な危機感を逆手にとって、如何に「国際競争」に勝つかということのために全てを注ぎ込む形になっている。
たとえば、報告書が「我が国は、魅力と実力を高め、国際社会から尊敬と信頼を得なければなりません」と強迫的に言うとき、

 ……イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーの養成が急務です。近未来の我が国と国際社会の情勢を見据え、世界最高水準の教育を達成しなければなりません。
 しかし、今日の学校教育は……

と続くのである。企業オリンピックの選手を輩出して何が何でも金メダルを取り、メダルが取れなければ「意味がないのだ」と言わんばかりの勢いではないか。
そもそも、この強迫の発信者は経団連御手洗ビジョン希望の国、日本」の「第2章 めざす国のかたち / 3.世界から尊敬され親しみを持たれる国」(17ページ)ではないか。
日本国憲法と旧教育基本法であれば、

  • 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。……いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、……この法則に従ふことは、……他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 (日本国憲法前文
  • われらは、……世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。(旧教育基本法

と応えるところである。
だから、この報告書の立場は問いから答に至るまで、全て財界の求める国際競争力至上主義・エリート至上主義(至上でないものは「それなりに」)に貫かれていると私には映る。
もちろん、児童生徒・青少年や父母の願いが財界の狙いと徹頭徹尾相容れないかというと、そうではなかろう。しかし、この「美しい国」「希望の国」の主人公は国民ではなく「国際競争」をしている財界なのである。国民は「財界あっての」・「国際競争に勝ってこそ」ものを言うことが許される存在に過ぎない。

変質する公教育

では、国際的な信頼とか、財界向けだとかということは置いておいて、「Ⅰ.第一次報告に当たっての基本的考え方」「1.公教育再生のために」を読めばどうか。
私の「感覚」では、いじめや低学力を問題にするのなら、「発達権や学習権、教育を受ける権利がいかに損なわれているか、如何に児童生徒・青少年の心を傷つけ、意欲を剥奪してきたか、その根源は何か」というような反省と分析とが、まずもって述べられるべきである。
なぜなら、公教育は個人の個性と人格(定義は別にして)の完成をこそ目指すべきものであり、教育の目的は端的に言って「個人」であるからである。これは旧教育基本法が前文で高らかに謳った理念に近いと思っている。教育の目標が個人であるからこそ、一人一人が無限に大切にされるのではないだろうか。
ここで、新旧教育基本法の理念部分の改変が想起される。

旧教育基本法(昭和22年3月31日法律第25号)
前文 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない
第一条 (教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法(平成十八年法律第百二十号)
前文 我々は、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

どうだろうか。同じような文章ではある。同じような文章ではあるのにわざわざ「全文を改正」したのだから、削除された文言・挿入された文言に注意を払わねばならぬ。
改定後の教育基本法で゙気がつくのは、ブッシュばりの「民主」と「正義」、そして個人としてではなく、不必要なものをそぎ落とされた国家社会の形成者としての国民の育成である。条文における「形成者」の位置づけが異なることに注意。


マヌーバ的手法で

私的諮問会議ってのもマヌーバーだが。

教育再生会議の設置について 平成18年10月10日 閣 議 決 定
21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する必要がある。このため、内閣に「教育再生会議」を設置する。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/konkyo.html

こうして、教育基本法が改定される前に設置されたこの会議は、「熱心」そうな・微妙な「関係者」を集めて、教育病理を逆手に取りながら、エリートの育成と統制と服従を強いる教育制度へと「社会総がかり」で変質再生させていこうとしていると言えまいか。