▼貧困とは何か//「日本における相対的剥奪指標と貧困の実証研究」

表題は、
http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20060815/p1
で読むことを宿題にしていたもの。
まず、阿部さんをはじめ皆さんには敬意を表しますが、以後敬称を省略させていただきます。

IPSS Discussion Paper Series (No.2005-07)
「日本における相対的剥奪指標と貧困の実証研究」
http://www.ipss.go.jp/publication/j/DP/dp2005_07.pdf
阿部彩(国立社会保障・人口問題研究所)
2005年12月


ネット上のコメントは
平岡 公一(お茶の水女子大学
http://www.ipss.go.jp/publication/j/DP/dp2005_07_c1.pdf
柴田謙治(金城学院大学現代文化学部)2005年
http://www.ipss.go.jp/publication/j/DP/dp2005_07_c2.pdf

貧困とは何か

貧困というものをどう捉えるのか。
念のために前置きしておくと、私は知っていることは何でも中途半端であり、学術的な厳密を持っていないことに注意。
マルクス主義とかマルクス主義的とか書く場合も、いちいち文献に当たったりする余裕を持たないし、文献の読みについても自信はないので、ごく主観的なものであるということ。
あの、学者でもなんでもないんです。噛み付かれたことも無いですが。

マルクス主義教科書のような貧困イメージ

漠然と持っていた貧困のイメージの一つを描いてみようか。
さて、「貧困の資本主義的形態は自由な賃労働である」というテーゼに縛られてしまうような意識歴を持っていると、今日のあるいは具体的な貧困というものが取るに足らないもの、もしくは革命主体になりえず、反革命の手先とさえなる「ルンペンプロレタリアート」であるというように十把一絡げで無視してしまうことがある。
福祉よりも労働運動だと。消費者運動よりも労働運動が主導すると。労働運動が他の全ての大衆運動を主導するのであるし、そうでなくてはならない。なぜなら資本主義社会だからである。


また、貧困の基準となる階級は労働者階級であり、貧困の基準となる費用は労働力の価値、すなわち労働力の再生産(生活、生殖・教育を含む)に必要な費用である。つまり労働力の価値=賃金が貧困の中心線である。
その中心線は、一国の文化程度や経済状態によって一定の時代において与えられているものである。
そして、その一国における一定の諸条件において与えられている労働力の再生産費用未満の生活を強いられている場合、これを貧困と呼ぶ。
資本にとって、高齢者・障害者・その他将来も労働力として使用することのできない廃兵たちは、回収されるべき資本を資産として持っている限りにおいて存在意義を持つ物件であり、言わば社会に散布された回収されるべき資本にすぎない。
資産もなく市場を形成せず、労働力にもなれぬ人々は資本には不要である。また失業者も現在剰余の労働力として資本にとって直接には無価値である。
したがって、こうした弱者を貧困ライン以下に落とさないこと(社会保障)は、資本に任せていても不可能であって、労働者の階級的な社会運動なしには実現しない。
当然労働力の価値をその国において高めること、与えられたラインを引き上げることに、社会保障は従属する。なぜなら、社会保障の給付の対象はかつての労働力もしくは潜在的な労働力であって、資本が労働力でも材料でもないものに支出をするはずが無いからである。


これらの貧困イメージは必ずしもデタラメというわけではなかろうと、書きながら改めて思っているのだけれど、それにしても何が貧困かは「一定の時代、一国の文化段階や経済状態において与えられている」という理解が、貧困をリアルに捉えて・個別に寄り添って・解決して行きたいという気持ちを覆ってしまい、教科書的なテーゼの再確認・再発見という作業で終わらせてしまう、ということが正直自分にはあった。
つまりマルクス主義に関する中途半端な経文知識が、現実認識のリアリティを阻害していたということだ。

格差と貧困が浮き彫りに。NHKの取り組みと国会答弁

しかし、この間の日本の雇用慣行の変化・雇用制度の改悪、そして大量の失業という事態の下で、ようやく自分も何かおかしいと思っていたところに、「格差社会」という言葉が流通し始め、
○フリーター漂流 2005年2月5日NHKスペシャル
は衝撃的だった。
その後、一年経って
○前原衆議院議員に対する「何も学校の成績がよくないからといって悲観する必要はない」すり替え
 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060207006.htm
○「私は格差が出るのは別に悪いこととは思っておりません」
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/164/0014/16402010014002c.html
などの格差是認の首相答弁(いずれも2006年2月)、そして
ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜2006年7月23日(日)

格差や貧困の問題を日本人自身に突きつけたこれらの番組は、久々に立派な番組であったと称揚したい。



私の理解では格差問題は結局、まずは貧困と社会的排除の問題、デタラメな雇用の問題等々である。
そこで尚更、貧困とはどういう事態なのか、はっきりさせなければならないのではないか。労働運動が後退すればひたすら貧困ラインも下がっていくのか。それでよいのか。仕方がないのか。
「与えられた」貧困ラインは具体的にどういうイメージなのか。

「与えられた」貧困ラインを確定する

そこでようやく冒頭の論文の登場となる。もっと貧困問題・格差問題で注目されてよいと思うのだが、ネット上ではさほどでもない。
今からそれを紹介するが、当該論文とそこで言及されている諸調査、研究史などは手順が緻密に書かれているので、長々しい引用はできるだけ(私の気分の中での話)避けるようにしよう。……結果として長くなりそう。

貧困基準

貧困の基準とその妥当性については、いろいろ異論がある。例えば所得で測定するにするにしても、所得の低さは貧困の一要因ではあっても貧困そのもではなく、また所得がゼロでも資産が多い場合は貧困とは言わない。貧困という事象は、消費、住宅、対人関係など生活の中に多面的に現れるものである、という。
また貧困の基準も例えば統計上の中央値、50%基準、生活保護基準などがあるが、結局前二者は相対的な基準に過ぎないし、貧困というよりは不平等と格差の問題になる。また生活保護基準は、これを受給するには色んな規準があるし、生活保護以下の生活をしている人もいる。また生活保護規準が高すぎるという人もいる! だからこれも貧困の研究としては基準が相対的である。


相対的剥奪指標

Townsend(1979)が開発した相対的剥奪指標(Relative deprivation Index)に再注目したい。
相対的剥奪とは「必要な資源の不足のために、規範的に期待されている生活様式を共有できない状態を指し示す概念である」。

「規範的に期待されている生活様式」とは、その人が生きる社会の慣習や通常をさしており、その意味で、本概念は相対的であり、貨幣的な相対的貧困概念と変わらない。しかし、相対的剥奪指標の特徴は、当該社会で期待される生活行動を具体的にリストアップし、その有無を指標化している点である。換言すれば、相対的剥奪は社会のなかで比較的に低所得であるという不平等の理論で片づけられるものではなく、ある一定の生活水準以下では社会の中で「期待される生活様式」を享受できない、という絶対的な概念なのである。貨幣的な相対的貧困は、この状態を一定レベルの所得(または消費)と結びつけているのに比べ、相対的剥奪は、直接生活の質を計っている点で、人々の直感に訴える概念である。また、生活活動は、現在の所得以外の要因(例えば、貯蓄や持ち家)にも影響されるため、相対的剥奪指標は、現在の所得のみによる指標よりも生活水準に密着した指標ということができる。さらに、相対的剥奪を構築する生活行動のリストが「最低限の生活」を示すものであれば、この項目が一つでも欠けた状態は貧困と定義づけられ、また新たに貧困線(剥奪線)を設定する必要性がないのである。このように相対的剥奪指標を持って貧困を測定することは、従来の貨幣的な貧困指標の欠点を補う意義あるプロセスである。

平岡公一『高齢期と社会的不平等』(東京大学出版会、2001年)は

東京都23区の高齢者を対象としたデータを用いて、相対的剥奪指標を構築している。平岡(2001)の相対的剥奪指標は、

  1. 「社会参加と情報アクセス」
  2. 「パーソナル・ネットワーク」
  3. 「社会的支援網」
  4. 「住環境」
  5. 「住宅内の設備」

の5分野、20項目のリストから欠如している項目数からなっており、サンプルの80%がこれらの項目のどれかが欠けているという結果をだしている。また、平岡(2001)は、剥奪指標と所得の関係について、剥奪指標が所得225万円未満で著しく高くなっていることを示した。しかし、残念なことに、平岡(2001)の分析は高齢者に限られていること、データの件数が少ないためタウンゼンドの発見した閾値の確認ができなかったこと、データが剥奪指標構築の目的で設計されておらず剥奪指標に対する様々な批判に答えられるものではないこと、などの弱点がある

それで、この指標に磨きをかけた。恣意性を排除したり、選考の欠如(クーラーは貧困だからではなく要らないから持っていない、というケースの排除)、項目の重要性の考慮、を検討し、

  • 平成14年度に予備調査として『福祉に関する国民意識調査』でさらに磨きをかけて
  • 平成15年度『社会生活調査』を行った

分析に用いられた所得のデータは、世帯主(回答者)とその配偶者の手取りの所得の合算を100万円ごとの階級値できいている。
サンプル数は1520。


相対的剥奪とその調査結果

表1 相対的剥奪指標に用いられた項目とその普及率

社会的必需項目(16項目) 普及率
100%−普及率
設備 電子レンジ 98.4% 1.6%
  冷暖房機器(エアコン、ストーブ、こたつ等) 99.1% 0.9%
  湯沸し器(含、電気温水器等) 96.4% 3.6%
社会生活 親戚の冠婚葬祭への出席(祝儀・交通費を含む) 97.2% 2.8%
  電話機(FAX兼用含む) 97.9% 2.1%
  礼服 97.2% 2.8%
  1年に1回以上新しい下着を買う 92.2% 7.8%
保障 医者にかかる 98.2% 1.8%
  歯医者にかかる 97.2% 2.8%
  死亡・傷害・病気などに備えるための保険(生命・障害保険など)への加入 91.9% 8.1%
  老後に備えるための年金保険料 93.9% 6.1%
  毎日少しずつでも貯金ができる 75.0% 25.0%
住環境 家族専用のトイレ 98.8% 1.2%
  家族専用の炊事場(台所) 98.9% 1.1%
  家族専用の浴室 97.8% 2.2%
  寝室と食卓が別の部屋 95.0% 5.0%

ただし、当該の項目について、欲しくない場合は普及率の分母から除外してある。

上表の社会的必需項目はサンプルにおいてどのように満たされている(剥奪されている=欠如している)のだろうか。

表2 剥奪の分布(サンプル1520件)

サンプル1520件のうち65%の人々は全項目満たされているということがわかる。

欠如項目数件数%
099065.1%
131220.5%
2805.3%
3614%
4271.8%
5171.1%
6130.9%
7100.7%
860.4%
920.1%
1010.1%
1110.1%
平均0.713

論文ではこの後、どのような人々が相対的剥奪が「深い」(欠如項目数が多い)のか、丁寧にデータ操作・解釈を行っている。

リスクグループ別剥奪状況

低所得世帯等

 サンプル件数剥奪率
全サンプル152034.9%
低所得世帯世帯の所得が中央値のさらに50%以下35050.3%
世帯内に傷病者6761.2%
有子世帯中学生までの子が同居43536.6%
母子世帯中学生までの子が同居し、世帯主に配偶者無1973.7%


世帯主年齢

 サンプル件数剥奪率
全サンプル152034.9%
世帯主年齢20歳代7652.6%
30歳代21832.1%
40歳代30335.0%
50歳代35832.1%
60歳代34331.5%
70歳以上22241.0%


世帯主に配偶者がいるか







 サンプル件数剥奪率
全サンプル152034.9%
配偶者の有無あり123931.6%
なし28149.1%
配偶者の10449.0%
17749.2%
男女とも配偶者の欠如と剥奪の相関がある。




30代〜60代の世帯主の配偶者状況

上の諸表を合体させるとこうなる。
愉快なテーゼではないが、配偶者の欠如は「階層的な地位の低さ」に起因する「標準的なライフコースからの逸脱」(平岡)の可能性がある、という。

 サンプル件数剥奪率配偶者の有無
有の剥奪率無の剥奪率
全サンプル152034.9%31.6%49.1%
世帯主年齢20歳代7652.6%51.9%54.5%
30歳代21832.1%28.5%53.1%
40歳代30335.0%31.4%55.6%
50歳代35832.1%29.0%47.5%
60歳代34331.5%28.0%45.6%
70歳以上22241.0%39.6%45.3%




世帯年収400〜500万円がギリギリの貧困ライン

これからが圧巻である。しかし、論文はあくまで謙虚である。詳細な調整や点検は省略する。感動をもって。

世帯年収400〜500万円がギリギリの貧困ライン

特に顕著なのは、世帯年収が400〜500万円より下の階級で剥奪指標が急激に上昇することである。……

つまり、世帯所得400〜500万円の生活水準が人々の考える「現在の日本の社会において、ふつうに生活するための最小限」の生活ぎりぎりのラインであり、世帯所得がこれを下回ると、必要と感じつつも充足できない項目が増えていくことが示唆される。換言すると、日本のデータではおおむね世帯年収400〜500万円の階級が、相対的剥奪指標が急増する閾値であることが確認された。



 指標および剥奪線の選定が現在の日本社会で大多数の人に共有される価値や規範理論に基づいたものでなければならないことを示している。その点で、指標の構築自体に一般市民の考えを問うことは必要不可欠であり、本稿で行った社会的必需項目による相対的剥奪指標の構築は、社会から合意された貧困指標として重要である。

……

 計測された指標の絶対値の高さ・低さを議論することよりも、指標を構築することによって可能となるリスク・グループの分析や剥奪と所得の関係の分析がより重要である。

……

 本稿によるもっとも大きな知見は、ある所得階級以下では剥奪指標が急激に上昇することである。本稿で用いたデータに含まれる所得は、回答者の自己申告による階級値であり、その信頼性が100%でないことは留意しなければならないが、所得階級ごとの平均相対的剥奪指標および剥奪の頻度は、世帯所得400〜500万円から下の階級で急上昇している。このことは、多変数解析法によって世帯主の年齢層や配偶者の有無、世帯内傷病者の有無をコントロールした上でも確認することができ、日本においても、タウンゼンドが発見した閾値が存在するといえる。

……

中年期(30代〜50代)における婚姻関係の欠如(無配偶者)や世帯内の傷病者の有無、母子世帯などが、相対的剥奪のリスクを上昇させている。



これらの知見は、直接、政策・政治的介入を必要とする根拠には結びつかないが、今後の日本の社会のあり方について考える際の重要な資料となるであろう。現行の社会保障制度においても、疾病・離婚・離職などにある程度の保障はされているものの、これら「標準的なライフコースからの逸脱」の影響を緩和できていないことが、本稿の分析から示唆される。これを確かめるには、パネルデータを用いた詳細な分析が望まれる。例えば、……

格差を拡げるな、消費税増税するな!

こうしてみれば、高所得者減税・大企業減税、労働法制の改悪、医療・介護・福祉制度の改悪(受益者負担主義の導入と重負担化)、消費税がいかに青年・庶民を貧困へと追い込んでいることか、追い込んで浮いたカネで高所得者層がいかに保たれているかと、怒りを新たにする。不幸な境遇の世帯が本当に不幸な数値を示すのにも胸が痛い。

調査の精度等を今後上げていくという課題があるにしても、数値上、青年たちの剥奪状況がもっとも「深い」ということも新たに発見された。

労働運動・青年運動・その他の大衆運動、市民運動がこうした調査にもっと取り組み、労働者・青年・国民の手で、貧困の責任を抉り出していくべきだろう。
またまずは、これ以上格差を拡大しないこと、消費税の増税をきっぱり拒否することではなかろうか。

改めて、こうした研究と研究者阿部さんに敬意を表します。