▼ルンペンプロレタリアを超えて

赤木氏の文章についての記事と、ルンペンのそれとを分けました。12/15
「ルンペンプロレタリアを超えて」という題を考え、不適当と考えたこともあったが、改めてルンペンプロレタリアを超えて、という題にする。
就職難・貧困に喘ぐ青年たち、労働者たち失業者たちの未来は、ルンペンのような意識の向こうにはないのだから。
予め、断っておくが、フリーター・ニート(「フリーター」「ニート」と呼ばれる人をこのように軽く一括呼称するのも不適切かもしれないが、入力の効率化のため許されよ)を「ルンペン・プロレタリア」という概念に囲い込もうというのではない。また、マルクスの言うルンペン・プロレタリアはもう少しもっと狭い集団である。

ルンペンについての教祖マルクスの考え、歴史的経験についての電網管見

マルクス学者ではないので、断片の蒐集に過ぎないが。

ルンペンプロレタリアート反革命

赤木氏の論というより、不満・憤懣については後で考えるとして、読んでいて頭に浮かんだのは「ルンペンは革命の主勢力にはなりえず、時に反革命の一翼を担う」というような命題であった。12/9
ネットで「ルンペン、反革命」などで検索

Wikipedia プロレタリア

工場などで労働力を切り売りする伝統的なプロレタリアや、日雇いのルンペンプロレタリアートも存在する。ミハイル・バクーニンが、最底辺のルンペンプロレタリアートこそ革命的であると主張したのに対して、フリードリヒ・エンゲルスは、ルンペンプロレタリアートは煽動に乗りやすく、反革命の温床になると述べている。


Wikipedia ルンペンプロレタリアート

カール・マルクスは、無産階級や労働者階級の中でも革命意欲を失った極貧層を「ルンペンプロレタリアート」と定義し、「ルンペンプロレタリアートは信用ならない」「反革命の温床になる」と退けた。


Wikipedia プロレタリアート

なお新自由主義において、特に先進国で正規雇用にありつけない人のことを、プロレタリアートになぞらえてプレカリアートと呼ぶ。


Wikipedia ブレカリアート 参考

プレカリアート(英precariat、仏pr醇Pcariat、伊precariato)とは、「不安定な」(英precarious、伊precario)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者の総称。また、貧困を強いられる零細自営業者・農業従事者等を含めることも。ただし、互いの生を貶めあう際限なき生き残り競争へ駆り立てる新自由主義経済下、自らの不安定な「生」を強いられながらも、その競争への参加を「放棄」する人々は、上記のカテゴリーにとらわれることなく包摂されうる。プロレタリアートと語呂を合わせることで、新自由主義における新貧困層の現実との向き合い方を示している。イタリアでの落書きから始まった言葉と言われる。

……日本やアメリカ合衆国など社会保障の割合が小さく、自己責任の割合が大きな社会では、最低限の生活水準さえも保障が期待できないことが少なくない。この結果として、以下のような問題が発生する。

  • 所得格差の拡大(非正規雇用はその多くが低賃金であるため)
  • 結婚や出産の減少、離婚の増加(子育てする資金的な目処が立たないため) > 少子高齢化
  • 中流階級の没落により、高等教育を受けられない層の増加
  • 階級の固定化
  • 不満の捌け口としての極右の台頭


スペイン革命 by トロツキー/訳 志田昇氏

……スペインにおいては……底辺の土台の亀裂で同じ役割を果たしているのは、おびただしい数のルンペン・プロレタリア、勤労諸階級の脱落分子なのである。ネクタイを絞めたルンペンも、ボロをまとったルンペンと同じように、社会の流砂を形成している。彼らは、革命がその真の推進勢力と政治的指導を見出さない場合には、革命にとってますます危険な存在となろう。

しかし、プレカリアートはルンペンに非ず

共産党宣言

 ルンペン・プロレタリアート旧社会の最下層からうみだされるこの無気力な腐敗物は、ところどころでプロレタリア革命によって運動になげこまれるが、彼らの生活状態全体から見れば、むしろよろこんで反動的陰謀に買収されやすい連中である。

これを読めば、失業者やプレカリアートマルクスにあっては、ルンペンではないということがわかる。

失業者は「産業予備軍」

使徒エンゲルス空想から科学へ
味わい深いですね。

結局は、資本の平均的な雇用欲求を越えた数の、いつでも利用できる賃金労働者をつくりだすことを意味している。このような賃金労働者は、私〔エンゲルス〕がすでに一八四五年に完全な産業予備軍と名づけたものであって、それは、産業が大馬力で活動するときは自由に利用され、そのあとに必ず現われる破局によって街頭に投げだされ、労働者階級と資本との生存闘争ではいつでも労働者階級の足についている鉛のおもりであり、労賃を資本の要求に合った低い水準に維持するための調節器である。このようにして、機械は、マルクスの言葉を借りて言えば、労働者階級にたいする資本の最も強力な闘争手段になるのであり、労働手段はたえず労働者の手から生活手段を取り上げるのであり、労働者自身の生産物は一変して労働者を奴隷化するための道具になるのである〔『資本論』第一巻第一三章第五節〕。こうして、労働手段の節約は、はじめから同時に労働力の最も容赦ない乱費となり、労働機能の正常な諸前提の強奪〔『資本論』第一巻第一三章第八節b〕となるのであり、労働時間の短縮のための最も強力な手段である機械は、労働者とその家族との全生活時間を資本の増殖のために利用できる労働時間に転化させるための最も確実な手段に一変するのである。このようにして、一方の人の過度労働は他方の人の失業の前提になるのであり、新しい消費者をもとめて世界を狩りつくす大工業は、国内では大衆の消費を飢餓的最低限度まで制限し、こうして自分自身の国内市場を破壊するのである。「相対的過剰人口または産業予備軍をいつでも資本蓄積の規模およびエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストゥスの楔(クサビ)がプロメテウスを岩に釘づけにしたよりももっとかたく労働者を資本に釘づけにする。それは、資本の蓄積に対応する貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級のがわでの、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである。」(マルクス、『資本論』六七一ページ〔『資本論』第一巻第二三章第四節〕)しかも資本主義的生産様式からこれと違った生産物分配を期待するのは、電極が電池と結びつけられているのに電極が水を分解しないように要求し、陽極に酸素を陰極に水素を発生させないように要求するのと同じことであろう。

産業現役軍の不可欠の分身たる産業予備軍とその解放

産業予備軍は産業現役軍の不可欠の分身であることが分かる。教祖マルクスエンゲルスは、彼らを解放することが彼ら自身の歴史的使命であると述べている。

生産手段の社会的領有は、……今日の支配階級やその政治的代表者たちのばかげた奢侈的浪費を除去することによって、大量の生産手段と生産物とを社会全体のために自由に利用できるようにする。ただたんに物質的にまったく十分であり日ましにますます豊かになってゆくだけではなく、さらに社会全員の肉体的・精神的素養の完全で自由な育成や活動をも保証するような生存を、社会的生産によって社会全員のために確保してやる可能性、この可能性は、いまはじめてここにある。

……
世界解放の事業をなしとげることは、近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的諸条件と、それとともにその本性そのものを究明し、こうして、行動の使命をおびた今日の被抑圧階級に、それ自身の行動の諸条件と本性とを自覚させることは、プロレタリア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である。

まあ、赤木氏に説教したいというわけではなくて、赤木氏を含む、今、苦難に喘ぐ青年・後期青年たちはルンペンという括りには入るべきではない、ということを教祖のお言葉で確認してみたということ。


ルンペン・プロレタリアとは?

ルンペンを少し調べれば「Lumpen 布切れやボロ服を意味する」ドイツ語であることは知れる。
紙屋研究所のシリーズ「30年後の日本」第10回フリーターとマルクス主義フリーターは「ルンペン・プロレタリア」ではないより敬意を表しつつ、無断引用。

マルクスが本格的に「ルンペン・プロレタリアート」を論じるのはフランス三部作、主に『ルイ・ボナパルトブリュメール一八日』である。

「なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、ぺてん師、香具師、ラッツァローニ、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、風琴ひき、くず屋、鋏とぎ屋、鋳かけ屋、こじき、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のようにただよっている大衆」(大月版p.89〜90)

 ルイ・ボナパルトナポレオン三世)は、これを自派の将軍をつけて町中で組織する。「遊動警備隊として組織されたルンペン・プロレタリアート」(同p.28)とはこの意味である。

 ナポレオン三世よりも少し前のことを書いた、マルクスの『フランスにおける階級闘争』でも、やはり「ルン・プロ」がプロレタリアートに対抗するために軍事的に組織される様子が描かれる。

「臨時政府は二四大隊の遊動警備隊を編成した。各大隊は一〇〇〇名ずつで、一五歳から二〇歳までの青年からなっていた。彼らの大部分はルンペン・プロレタリアートに属していた。それはすべての大都会で工業プロレタリアートとは截然と区別される集団であり、泥棒やあらゆる種類の犯罪者の供給源となり、社会の落ち屑をひろって生活し、定職をもたない人間、浮浪者、宿なしの無籍者であって、その出身民族の文化程度によるちがいはあっても、そのラザローニ的性格をけっして捨てない連中である。そして臨時政府が募集した若い年ごろでは、それこそどうにでもなるものであって、もっとも偉大な英雄的行為やもっとも熱狂的な犠牲的行為も、またもっとも下劣な山賊の悪業も、もっともきたならしい収賄行為もやりかねない」(大月版p.57〜58)


結論的には紙屋研究所さんの引用などで落ち着くことに。
しかし、失業者のみならず労働者、勤労大衆がルンペン的な意識・認識を持たされ、反革命に買収されることは排除されないことに注意。