▼ルンペン的言説に青年の未来はない

2007/07/17追記
赤木氏の文章はまだまだ話題になっているようです。私は彼の「希望は戦争」というその希望を青年たちが共有しても青年たちに未来はないと思うし、敵を同じ階級・階層に見ているというところも全然賛成できません。
氏がホントのホントのところどこまで本気でアノミーとしての戦争を希望しているのか、あまり興味はないですが、「社会なんてメチャクチャになっちゃえ」的な意見を、どう位置づけるか(ラベリングと呼ばれるとしても)。彼の「希望」が実現したとき、誰が一番得して喜ぶのか。こうしたことを考えねばならないと思う。「ルンペン的」という表現がイデオロギー論的に適正なのかどうか学者じゃないので私にはわからない。直感でそう書いたけれど、他に適当な位置づけを教えてくれる人も居ない。

ただし、教祖マルクスが言うルンペンは労働予備軍でもプレカリアートでもない。またフリーターやニートや失業している方たちを「ルンペン」と位置づけるのも違うということは続きに述べている。

この記事を残しておくのはあまりいい気持ちではないのだが、赤木氏の論が適切な形で乗り越えられるのを今しばらく待ちたい。

国民全員が苦しむ平等(戦争)を求める青年

qshanxinさんのブログ「狂童日報」06/12/06 希望は戦争とそのコメントを読んで、『論座』2007.1 を購入してしまった。
代金を支払いながら、ブログの「宣伝効果」ってあるものなのだなと。人に無駄遣いさせる。

そこに赤木という人の「恨みつらみ」が掲載されていて、qshanxinさんも

赤木の議論には多くの点で間違いがあると思うが、確信犯的にやっている面もあると思うので、ここでは敢えて問題にしない。少なくとも、社会的・経済的に下層の若者たちが「平和な社会」がこのまま続いていくことに対する憎悪を、ここまで明快に言い切り、正当化してみせた文章はほとんどなかったのではないだろうか。

と、述べておられる。
論座』を購入してからわかったのだが、赤木氏の掲載文は氏のホームページ「深夜のシマネコ」の「なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのか」のバリエーションの一つに過ぎなかった。


逆恨み・逆切れ

赤木氏は言う。引用は「なぜ左翼は……馬鹿面下げて思っているのか」より。

……若者は、自らも生活者で社会に忌避され、ワリを食わされている立場でありながら、なぜ小泉政権を支持し、左翼を罵倒するのだろうか?
 そのことを理解するには、彼らの思春期に当たる時代、つまり私が中高生の時代に、日本がどんな社会であったかを考えると分かりやすい。
 私の場合だと、1990年にちょうど15才。つまり、中高生という多感な時期に、マスメディアで散々バブル経済の「旨味」を見せつけられながら、その旨味を実際に味わうことのできる、まさに直前でバブル経済が崩壊した。
 結果、我々は約束されたハズだった享楽の日々。言葉が悪いなら自己実現と言い換えるが、それを目前にしながら我々は失うこととなった。その喪失は、バブルの旨味を存分に味わったサラリーマン層がリストラに覚えるような恐怖感などとうてい及ばない喪失感である。だって、我々は彼らの享楽を見せつけながら、結果なにも受け取れなかったのだから。

 しかし、マスメディアはサラリーマン層のリストラばかりを取り上げ、さも彼らだけが悲劇のヒーローであるかの様に祭り上げた。労組は要求を今までの「ベア」から「雇用維持」に切りかえ、その結果、若者の就職の夢は打ち砕かれた。失意のままなんとか採用してくれた滑り止め企業に入っても、もともと希望の仕事でないのに加えて、新入社員数の激減によって、ロクな研修期間もなく、過剰な仕事が押しつけられる。そんな現状に会社をドロップアウトする若者が続出した。そして、そのことをリストラ程度に脅えるサラリーマン層は、「最近の若者は根性がない」と揶揄した。

で、こうした暗黒の現実に対して、いわゆる左翼が何かしら援助の手を差し伸べてくれたことがあったであろうか?
……
しかし、左翼の票田は労組である。先にも書いたが、我々若者は、まさに「雇用維持」を主張する左翼によって票を奪われたのである。
 経済的要因において我々を地獄に突き落としたのがバブルの崩壊なら、人為的要因において我々を地獄につき落としたのは、まさに労組。
 つまり、当然のように「左翼は我々の敵」なのである。

 これは左翼にとっては、単なる言いがかりに聞こえるかも知れない。
 「我々は、我々の生活を守っただけだ」と。
 けれども、我々にとって「被害」の事実は変わらない。あなたたちは生活を守ったのかも知れないが、我々の生活、すなわちバブルの夢は打ち砕かれたし、その上、就職という生活の基盤すら奪い取られたのだ。


論座』では、左翼に対する認識・態度ということではなく、「雇用維持」「現状維持」が続けば、赤木氏ら半失業者・不安定被用者も過酷な現状が続くのであるから、赤木氏らはむしろ「全てが流動化」し「誰もが苦しむ」戦争でも起きれば良いのに! と言うのである。
まぁ、わざわざ「左翼」というからには、氏の言う「左翼」に期待するところがあったのだろう。それが裏切られたということで、読んでいて「逆恨み」「逆切れ」という印象(「逆」というのは違うか)。



キリエ

コメントでは kobansou さんが、(引用は部分)

戦争でも何でもよいわけですが、そうした破壊の向こうには何も見えない。何も見えないほうがマイナスの現在よりマシかもしれぬ、という「感覚」でしょうか。

革命ではなく戦争にしか自分の(少しは溜飲が下がるかも知れないという程度の)未来をつなげて考えられない、それがある程度の共感を呼ぶ、というのが不幸な時代だと思います。

で、哀れな人たち・時代であると述べている。

丸山眞男」をひっぱたいても何もかわらない

赤木氏の文章を読んでルンペンという語を想起したのは、彼が「弱者」で「31歳」「フリーター」だからではない。

丸山眞男」をひっぱたきたい

と、赤木氏は述べる。しかし、戦争を始めた支配層たちや雇用を流動化させた権力者や財界人ではなく、丸山だとか、同じ労働者・勤労者出身の初年兵をしばきあげたところで、何がかわるというのか。
「いじめ」と同じである。
そのくらいのことは分かっているであろうに、「ひっぱたきたい」と書くことによって、赤木氏らの気持ちを説明しておられるのであろう。その意図はわかるけれど、違うものは違うと誰かが言わねばならないという気持ちにも、読者としてはなるのである。


おおむねここらから以降は、後日書き加え。

敗北的歴史認識

職場に当該の雑誌を置いてきてしまったので、正確にどのように表現してあったか、わぁらない。

 私の場合だと、1990年にちょうど15才。つまり、中高生という多感な時期に、マスメディアで散々バブル経済の「旨味」を見せつけられながら、その旨味を実際に味わうことのできる、まさに直前でバブル経済が崩壊した。
 結果、我々は約束されたハズだった享楽の日々。言葉が悪いなら自己実現と言い換えるが、それを目前にしながら我々は失うこととなった。その喪失は、バブルの旨味を存分に味わったサラリーマン層がリストラに覚えるような恐怖感などとうてい及ばない喪失感である。だって、我々は彼らの享楽を見せつけながら、結果なにも受け取れなかったのだから。(「なぜ左翼は……馬鹿面下げて思っているのか」)

経済政策や労働政策の変遷について何も言及しないような、こんな時代認識では、未来には何も見えてこないであろう。再びバブルがやってきて高齢フリーターにまで「うまみ」がめぐってこないか、ひたすら好都合な偶然を待望するだけである
不都合な事件は、身近な就業者、本当は自分と等価な労働者(彼にあっては=左翼)へ悪罵を投げつける。
彼の書いたものを全てみるヒマはないのだが、HPの表紙を見ても自分の文章が売れることしか期待していないらしい。
人間観も「命は等価」の「等価」が量的な等価に還元。劣等感・抑圧が認識もゆがめるのか。
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/10/post_164.html

俺にはどうも「なぜ難病の子供が生きる権利があるのか」が分からんのよ。
 「命は等価だ」と考える自分にとって、片や1億以上のコストをかけて生かされる命と、片やワクチン注射など、数百円で生きる事のできるできる命を両天秤にかけないことは、バランスを欠いているとしか思えない。
 これは「1億以上のコストの子供」と「一人頭500万もかければ、仕事を与えることのできるフリーター」も同じことで、なぜ日本人の裕福(子供を産むことができる経済力=裕福)な家庭だけが、1億もの金を与えられて、それを正当だと考えられるのかがさっぱりわからない。

(「死ぬ死ぬ詐欺問題」なんてわたしゃ知らないけれど死ぬ死ぬ詐欺」で検索してみた。この「問題」は赤木氏の論とは直接の関係なし)そりゃ、赤木氏にはわからないであろう。彼の論を敷衍すれば、老人医療・難病医療・障害者福祉などは全て切り捨てるべきである。肉体的に比較的健康な失業者への即効性のあると思われる支出だけが許される。
彼の文を少しでも読んでみれば、敵意は弱者に向いていることがすぐに分かる。


敗北的社会認識

連帯すべき勢力も集団も見えなくなっている。
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/12/post_171.html

論座のプロフィールを読んで来た方へ 2006/12/06

 で、論座を読んで来てくれた人向けに、私の基本的な姿勢を書いておきます。
 まず、第1に私はリベラルであることを志向しています。
 ちなみにネオリベではなく、福祉国家的な方向で。
…… このような、差別を前提とした安全安心な平和な社会に、私はリベラルの立場として反対します。
 そして第2に、不安定な貧困層である私は、富裕層を打ち倒すのではなく、安定した労働者層を打ち倒すことを考えています。
……

赤文字はママ。
この人が、朝日新聞社にでも抜擢・一本釣りされて正社員になったら(わたしゃ朝日新聞は読みませんが)、なってくれと言われたら、どうするんでしょうか。アイデンティティが崩壊するかもしれませんね。


いちいちルンペン的言説を相手にしてはいられない

論座』のお涙頂戴文章に、ルンペン呼ばわりと受け取られそうな文を応じて挙げるのもかわいそうかと思っていたけれど、今の赤木氏の文章を見れば、ルンペンって本当に反革命だなぁと。思わずにはおれません。