▼大阪「君が代」起立強制条例案許すな

赤旗」2011.6.2 B版 4面

戦前の全体主義の発想

元中学校校長 岡林秀幸さんに聞く

 

 橋下大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」が、府議会に「君が代」起立強制条例案を提出した問題で、元中学校校長の岡林秀幸さん(73)に聞きました。(大阪府・小浜明代)


 「君が代」起立強制条例案でまず思うことは、このように教員を縛れば、その影響は次は子どもたち、そして家庭へと及んでいくという心配です。
 学校は、子どもが自由に生き生きと育つところでなければなりません。それは何によってもたらされるかというと、教師が自由に議論し、のびのびと教育活動ができていることです。そうした学校は活気があり、子どもたちが人間として全面的に発達するということです。私はそれを教員としての38年間の活動で、何度も経験してきました。教育という営みは、強制や、罰則で縛るということがまったくなじまないものなのです。
 教師が管理・統制されると、学校全体に強制と管理が強まり、それは子どもたちがますます管理され、息苦しい教室になっていきます。私は今、教育相談で登校拒否、不登校の子どもたちにかかわっていますが、そういう子どもが増えているのは、管理・統制と、競争の教育が強められてきたことと無関係ではないと感じます。
 私は、戦時体制に即応して小学校から変わった国民学校昭和19年(1944年)に入学したのですが、そこはまさに有無を言わさぬ強制の世界でした。まず、天皇・皇后の肖像写真などを納めた奉安殿での最敬礼から始まり、最後は天皇への絶対忠誠心と軍国少年になることでした。
 「日の丸」「君が代」は戦争を推進したそれと一体のものでした。だから、戦争が終わって66年たっても嫌だという人がいて当然です。
 橋下知事は、「君が代」を起立して歌うことを府教委が指示してから9年たっても実行できていない、だから条例で枠をはめるのだと言います。それは私が体験した、国民を戦争に総動員する戦前の全体主義の発想です。
 むしろ、9年かけてもできない、それだけ納得いかない矛盾の多い問題なんです。そこに条例で無理やり起立させることはさらなる矛盾を広げることになるでしょう。
 しかも条例案の目的は、教師に従わせることで最終的に、「君が代」を通して子どもたちに「愛国心」を押し付けるというもので、戦前の教育を想起します。
 私が管理職のころ、指揮で「日の丸」を揚げることが指示されました。最初はどこでもいいという穏やかな指示から、見えるところ、次は壇上、その次は壇上の中央ということになりました。
 いま、「君が代」がターゲットですが、起立させれば次は歌え、その次は大きな声で歌えという具合になります。そして、次は子どもに対してどう指導したか、子どもたちがどう歌っているかチェックするようになってきます。いったん規則で決めると、細部にわたって管理・統制がすすめられる―私にはそういう姿が浮かびます。
 抵抗する教師が追いつめられ、子ども自身も、右へならえをしない子がいじめや排除の対象になる。府内の学校をそんな学校にしてはなりません。そして、粘り強く憲法に守られた平和な国に努力したいです。