▼やくざな政治。「けじめ」ではなく「落とし前」

「けじめ」でボーナスを返す。

引用はいずれも抜粋

年金記録漏れ「けじめが必要」首相がボーナス一部返納へ

 安倍首相は23日昼、「国民に大変な心配と不安を与えた。こうした状況が起こってしまったことに対してけじめが必要だ。行政の長として私の責任を含め、けじめを考えなくてはいけない」と述べ、問題の責任を取って夏のボーナスの一部を国庫に返納する考えを示した。

 年金記録漏れ問題を巡っては、ずさんな年金管理を行ってきた社保庁や、抜本的な対策を講じてこなかった政府に対する国民の批判が強まっている。ボーナス返納には、参院選を前にこうした批判を和らげる狙いがあると見られる。
(2007年6月23日19時50分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070623it11.htm?from=top

と。「批判を和らげる狙いがある」との読売の観察はだれでもできる観察だが、正しい評であろう。
この首相の発言に対しては、野党と中日新聞が次のように噛み付いている。私も同意。

年金問題でのボーナス返納

【社説】
ボーナス返納 すり替えではいけない

2007年6月27日

 年金記録不備問題で安倍晋三首相らが夏のボーナス自主返納を決めた。野党などから責任問題のすり替えとの批判が出ている。大切なことは問題の全容を明らかにし、解決に全力を尽くすことだ。

 安倍首相は「けじめをつける」と説明している。だが、自主返納は、参院選を目前に控え、窮地に陥った安倍政権のパフォーマンスと受け取れなくもない。少しでも国民からの批判をかわしたいとの狙いがうかがえるからだ。

 社保庁の責任は今後、徹底的に問う必要があるが、ボーナスを自主返納したところで、年金記録不備問題が解決するわけではない。
(以下略)

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007062702027437.html

戦後灰色・汚職政治家の浄化二大手法

だいたい、失政の責任があるから、責任をとって、「けじめ」をつけるために賞与を返納「してみせる」、だから許せ・許されるべきだ・許される、という問題の全てをあいまいにしてしまう手法は、「みそぎ」と並んで、戦後政治における「浄化」二大手法である。
党内の役職を辞めてみせるとか。いっそのこと首相を辞めてみせりゃいいのに。

けじめ

「けじめ」とは何か、ネットの辞書で調べると、

「けじめ」
「物と物との相違。区別。」「道徳や規範によって行動・態度に示す区別。節度ある態度。」「連続する物事などの境目。区切れ。」「へだて。くぎり。しきり。」
「けじめを付ける」
けじめが、区別という意味であり、それを付けるということから、きちんと筋道を通すこと。(慣用句辞典

とある。

ちなみに禊(みそぎ)とは「身に罪や穢(けが)れのある者、また神事に従事しようとする者が、川や海の水でからだを洗い清めること。」とある。

「けじめ」ではなく「落とし前」、だろ?

だいたい「してみせる」「けじめ」、他人からの許しを期待するような「けじめ」は私の感覚ではけじめではない。ボーナスを返納して見せて・ウソの涙を流して見せて・それで許しを得ようというその遣り方は「けじめ」というより「落とし前」である。

おとしまえ
《もと、てき屋などの隠語》もめごとの後始末。また、そのための金品。

やくざによるやくざな政治

本当の任侠には迷惑な話だろうが。
庶民に負担を押し付けて、意見を聞くといいながら自ら手配したサクラに発言させ、もろもろの法案は数の力の強行採決で押し通し、失敗を指摘されると「落とし前だ」と子分にもはした金を出してお見せしろぃと号令する。ボロが出た子分は自殺するまで晒しておく。国防軍に自国民をスパイ手法で監視させる。


上の引用記事の「けじめ」を「落とし前」に変換すると納得できる文章になる。
やくざがやくざな政治をしているのである。


追記:
モノゴトの解決ではなく、落とし前を公開することで、なあなあに・曖昧にしてしまう、それ以上の追究をしにくいような「雰囲気」を作る。ジャイアンが自分で自分の頭を殴ってみせて誰もジャイアンを批判できないような雰囲気にしてしまう。それはそういう雰囲気をまわりに強制しているのである。ノビタが自分で自分を痛めつけても誰もなんとも思わないし、余計にバカにされ、いじめられるだろう。
そういう日本人のお上に対する曖昧さやひ弱さにつけこんだやり方だ、と思うのだ。ジャイアンが自分で自分を殴るのは「けじめ」ではなく、見せるための儀式に過ぎない。

そういうことを書きたかったのですが、まだ正確に表現できたように思えません。