靖国神社について、安倍首相

2014.2.22 衆議院予算委員会

上杉委員長代理 これにて江田君の質疑は終了いたしました。
 次に、笠井亮君。
笠井委員 日本共産党笠井亮です。
 まず、安倍総理靖国神社参拝問題について質問いたします。
 総理が参拝をした靖国神社は、さきの大戦をどういうふうに位置づけて、どういう立場、主張をし、それを発信しているか、当然、総理は御承知ですね。
安倍内閣総理大臣 靖国神社自体は、戊辰戦争以来、国のために戦った方々をお祭りしている神社である、このように認識をしております。
笠井委員 総理、私の質問、さきの大戦ということについてどういう立場を発信、主張しているかということで、主張を発信しているかということにお答えにならなかったんですけれども、では、靖国神社がどんな立場、主張をとっているか、見ていきたいと思います。
 靖国神社の施設に遊就館という展示館があります。そこが発行したパンフレットがここにあるんですけれども、この冒頭にこうあります。「明治十五年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿は変えながらも、一貫したものがあります。」こう言いながら、その続きをパネルにしてみたんですが、こう書いてあります。「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。」。
 そういう立場で、あの侵略戦争を正しい戦争だったと美化をして、宣伝し続けているのが靖国神社であります。総理は、このことは当然承知されていますね。
安倍内閣総理大臣 遊就館靖国神社は別でございまして、私がお参りしたのはあくまでも靖国神社であるということでございまして、これは先ほど申し上げましたように、明治以来の戦死者の方々をお祭りしている神社であるわけでありまして、そこにお参りをして、手を合わせてきた、こういうことでございます。
笠井委員 今総理は別であるというふうに言われましたが、この遊就館というのは、靖国神社遊就館部という部署が管理運営をしているところであります。そして、この靖国の敷地内にかなり大きな場所を占めていますが、館内に入ると、いきなりゼロ戦が展示をされている。これが神社の施設かと驚かされる、そういう軍事博物館であります。
 歴代の遊就館部長というのは靖国神社の祭祀をする責任者の宮司を補佐する禰宜が務めるなど、靖国神社がその歴史観、戦争観を、まさにここにあるように展示、宣伝する役割を靖国神社の部門として担っているということであります。
 総理、そういう施設がここに紹介したパンフレットで明らかにしている靖国神社の立場について私は聞いているんです。「我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊」だと。
 つまり、靖国神社は、あの大戦が自存自衛の正義の戦いであり、自由で平等な世界を達成するための避け得なかった戦いだった、このように主張し、それに殉じた英霊をたたえる施設だと。そういうことを十分御承知の上で総理は参拝されたのかということを伺っているんです。
安倍内閣総理大臣 私は、宗教法人の考え方あるいは歴史観についてコメントをするべきではない、このように思っておりますが、つけ加えさせていただきますと、靖国神社の境内には、世界じゅうの戦没者をお祭りしている鎮霊社というお社もあるわけでございまして、私は、そこで手を合わせまして、二度と再び戦争の惨禍で人々が苦しむ時代をつくってはならないという思いを込めて、不戦の誓いをしてきたところでございます。
笠井委員 繰り返し違うものだというふうに言われるんですが、遊就館が今の姿になったのは、二〇〇二年七月であります。新館を大増築して、展示スペースを従来の二倍に拡大いたしました。その開館式の挨拶をした靖国神社の湯沢貞宮司当時は、太平洋戦争を大東亜戦争と呼んで、我が国の自存自衛のため、さらに世界史的に見れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いと説明いたしました。
 まさに、この主張は、靖国神社そのものであります。ですから、そうやって、みずからの参拝は性格が違うと言っても通用しない。
 では、総理に伺いますが、総理御自身は、あの戦争が、自存自衛、そして自由と平等な世界を達成するための正義の戦争だというふうに考えていらっしゃるのか、それとも、そういう主張は間違っていると考えていらっしゃるのか、イエスかノーかでお答えいただきたいと思います。
安倍内閣総理大臣 さきの大戦において、とりわけアジアの人々に対して多大な損害と苦痛を与えたことの反省の上に立って、今日の自由で民主的な、そして法をたっとぶ国をつくってきたところでございます。
 そして、基本的には、歴史観については、私は歴史家に任せるべきであろう、この考えを持っているところでございます。
笠井委員 この自存自衛というのは、日本の政府、軍部が侵略と領土拡張を合理化するために最大の旗印に掲げたスローガンであります。
 歴史家に任せるという感じじゃなくて、日本の政治の中でそういうスローガンを掲げてやってきた、そしてその反省とかというふうに言われたけれども、そういうことを言うんだったら、では、あの戦争は、自存自衛、自由と平等な世界を達成するための正義の戦争だったというのは間違いだ、こうはっきりおっしゃれますか。
安倍内閣総理大臣 先ほど答弁させていただいたように、さきの大戦において、とりわけアジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた、この反省の上に立って、戦後、日本の再建に当たってきたわけでございまして、この再建の歩みは、私の誇りとするところでございます。
 同時に、いわゆる歴史においての認識については、政治の立場にある者は謙虚でなければならない、このように思っているところでございまして、政府が一定の歴史観を決めるということではなくて、それは歴史家に任せるべきだというのが私の考えでございます。
笠井委員 総理が行かれた靖国神社が唱えている自存自衛の戦争、そしてアジア解放の戦争、まさに正義の戦争ということについて、間違っているとはっきりおっしゃれない。
 さきの戦争というのは、中国、アジア諸国に対する領土拡張と外国支配を目指した侵略戦争であったことは、歴史の事実であります。来年で第二次大戦が終わってから七十年になろうとしていますけれども、日本、ドイツ、イタリア、これがやった戦争というのは、いかなる大義も持たない侵略戦争だった。日本国民三百十万人、アジアの人々二千万人、第二次世界大戦全体で数千万人とも言われる犠牲を出した戦争は、決して繰り返してはならないというのが、戦後の出発点、それが戦後の国際秩序の土台となっているわけであります。
 日本政府も、紆余曲折ありましたが、一九九五年の村山談話で、我が国は、遠くない一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えましたとして、痛切な反省と心からのおわびを述べたわけであります。
 ところが、それとは全く正反対に、あれは正義の戦争だったというのが靖国神社の立場であります。そうした靖国の立場が間違っていると総理ははっきりと言えずに、そして、その神社に参拝するということは、戦後の政府見解の到達点を崩して、過去の侵略戦争を肯定、美化する、そういう立場と同じ立場にみずからの身を置くことを世界に向かって宣言することになる。総理にはそういう認識がありますか。
安倍内閣総理大臣 まず、そういう認識はありません。
 繰り返し答弁をしているとおりでございまして、さきの大戦によって、とりわけアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた、この痛切な反省の上に立って、日本は戦後の再建の道を歩んできたわけでございます。
 そして、いわゆる歴史認識については、これは私は、政治の場において、いわば政府の場において、これがこういう考えであるということを申し上げるということについては謙虚でなければならない、歴史に対しては謙虚でなければならないと考えておりまして、歴史家に任せるべきだ、このように考えているところでございます。
笠井委員 認識がないというのは重大だと思うんですが、歴史に対して謙虚でなきゃいけないのに、はっきりと正しい戦争だったと言っている靖国神社に間違っていると言わずに参拝する。まさに、謙虚じゃない、そういう証拠じゃないですか。
 国のリーダーとして当然と繰り返し総理は言われますけれども、あの侵略戦争は正しかった、自存自衛、アジア解放の戦争と言っているのが靖国神社であります。不戦の誓いに最もふさわしくない場所であります。
 この間、日本政府の公式に表明してきた立場と全く正反対の主張をしているところに国のリーダーが参拝するから、国内外から批判が出るのであります。
 もう一つ、パネルの二をごらんいただきたいんです。
 これは、靖国神社そのものの社務所が作成したリーフレット「やすくに大百科」、それの外国人向けの翻訳版なんですね。英語、中国語、そして韓国語に訳されて、海外の来訪者も受け取れるものであります。
 パネルにしてまいりましたが、この中に重大な記述があります。日本語版にあることが訳されているのですが、戦後、日本と戦った連合軍、アメリカ、イギリス、オランダ、中国などの、形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人とせられ、無残にも命を絶たれた千数十人の方々、靖国神社ではこれらの方々を昭和殉難者とお呼びしていますが、全て神様としてお祭りされています、こう述べた日本語版が、英語、そして中国語、それから韓国語にそれぞれ訳されております。
 総理、これを、アメリカ、イギリスの方々や中国、韓国の方々が読んだら、どう受けとめると思われるでしょうか。
安倍内閣総理大臣 これは宗教法人の出しているパンフレットでございますから、私がコメントをするのは適切ではない、このように思います。
 一方、先ほども申し上げましたが、いわば靖国神社の境内の中においては、本殿の横に、世界じゅうの全ての戦場における戦没者も含めて、これは日本もそうでありますが、海外もそうなんですが、その霊を安んじるためのお社があるわけでございまして、私はそこにもお参りをしてきたところでございます。
笠井委員 この、戦後、日本と戦った連合軍、アメリカ、イギリス、オランダ、中国などの、形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人とせられ、そして無残にも命を絶たれた千数十人の方々という中には、東京裁判で裁かれたA級戦犯が含まれております。そのA級戦犯昭和殉難者と呼んでいるのが靖国神社の立場ということでありますが、総理はそういう場所に参拝したということについては認識されますね。
安倍内閣総理大臣 私は、何回も申し上げておりますとおり、国のために戦った方々、とうとい命を犠牲にされた方々のために、手を合わせ、みたま安かれなれと御冥福をお祈りするというのは、世界のリーダー共通の姿勢なんだろうと思いますし、国のリーダーとしては当然のことなんだろう、こう考えているところでございます。
 そして、先ほど申し上げましたように、靖国神社の中には鎮霊社というお社があって、これは、日本と戦った相手国の人々の、命を落とされた方々の霊も祭っているわけでございます。それがまさに、その総体が私は靖国神社なんだろう、このように思っているところでございます。
笠井委員 総理は、繰り返し繰り返し、鎮霊社にも行ったのでというふうに言われるんですけれども、総理が世界じゅうの戦没者が祭られているとする鎮霊社でありますけれども、これは、靖国神社の本殿の脇にある、高さ三メートルほどの、鉄の柵で囲まれた、柵で囲まれちゃっているんですけれども、わずか十平方メートル程度の小さなほこらのことでありますが、この鎮霊社の手前には、万邦諸国の戦没者ということで、そういう立て札はありますけれども、一体誰が祭られているのかは全く不明で、名簿すらないんですね。創建以来、祭神を個別に明確化しながら祭ってきたというのが靖国神社と言われておりますが、そういう中で、祭神名も不明というのは極めて不可解だと言われております。
 しかも、一九六五年の建立当時に禰宜を務めていた人物の話から、A級戦犯が、本殿に合祀される一九七八年までの十三年間、この鎮霊社に祭られていたという指摘もあります。このような場所で手を合わせたからといって、総理が靖国神社を参拝したという事実が消えるわけじゃありませんよね。
 東京裁判、これにはいろいろ問題はありました。私たちもそのことを思っています。しかし、日本の戦争が侵略戦争だったときちんと断罪したこと、その責任を持つ人々について、個々にも罪を明らかにしたことは正しかった。実際に、日本はそれを受け入れたわけであります。
 では、伺いますが、総理自身は、東京裁判A級戦犯が裁かれたことは当然だと考えていらっしゃるのか、それとも、そのことは不当であって、神として祭ることは当然だとお考えなんでしょうか。
安倍内閣総理大臣 極東国際軍事裁判所において、被告人が極東国際軍事裁判所条例第五条第二項(a)に規定する平和に対する犯罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実であります。そして、我が国としては、平和条約第十一条によって、極東国際軍事裁判所の裁判を、ジャッジメンツを受諾しております。なお、極東国際軍事裁判所が科した刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。
 これが従来からの政府の見解であり、安倍政権においてもこの見解でございます。
笠井委員 A級戦犯として裁かれた人たちというのは、B級、C級とも違った罪の重さで裁かれました。つまり、あの侵略戦争を計画、開始、遂行したということで、戦争指導者として責任が裁かれた。このことを否定すると、この日本の戦争は正しかったということになります。
 そして、今、国内法では裁かれていないんだというふうに総理は言われましたが、よく、その後大臣になったじゃないかという話がありますが、まさに、A級戦犯として国際的に有罪の判決が下った人たちが大臣になるような政治そのものがおかしいわけであります。
 今、結局、私が問うても、間違っているのかどうかお答えにならない。しかし、第二次世界大戦後の国際秩序というのは、日独伊による侵略戦争を不正不義のものと断罪することを共通の土台としております。日本は、ポツダム宣言東京裁判を受け入れて、サンフランシスコ条約を結んで、国連に加盟し、そして国際社会に復帰した、これが戦後の政治の出発点です。
 ところが、現在も日本軍国主義による侵略戦争を正義の戦いと美化、宣伝する靖国神社は、侵略戦争を引き起こしたA級戦犯を、連合軍による一方的な裁判でぬれぎぬを着せられた犠牲者として、神として祭っている。そのことについて私は問うたんだけれども、そして、日本の首相が間違っているとも言えずに参拝するというのは、結局、今日の国際秩序に正面から挑戦することになる。総理には、そういう認識はありますか。
安倍内閣総理大臣 先ほど答弁をさせていただきましたように、サンフランシスコ平和条約を締結したわけでございまして、そして、共産党は反対されましたが、それによって、先ほど申し上げましたように、第十一条によって極東国際軍事裁判所のジャッジメンツを受諾しているわけでございまして、この立場は今までの日本の政府と全く変わりはないということでございます。
笠井委員 サンフランシスコ条約にうちが反対したというのは、別の理由があるんですから、今の話と違うんです。
 靖国神社というのは日本軍国主義のシンボル、そして、世界からもそうみなされている。そこに総理が参拝すれば、世界の国々が、A級戦犯を含めて尊崇の念を示したんじゃないか、日本は戦後の国際秩序に挑戦して戦後政治の出発点を否定してひっくり返したいんじゃないか、そういう疑念を抱かれるのは当然だと思います。
 総理は、国の命令で命を落としたから国のリーダーの責任というようなことも、参拝について繰り返し言われておりますが、しかし、戦前、戦中、靖国神社陸軍省海軍省の共同管理。そういうもとにあって、財政を担ったのは陸軍省、責任者である宮司も軍人や陸軍大将らが当たって、中国への全面戦争が始まった翌年、一九三八年から終戦後の四六年一月までは、鈴木孝雄、陸軍大将をやった人がやったわけです。
 神社といいますが、最初から戦争のための軍事施設として扱われました。そして、戦場に出かけていく兵士、軍人の間で、靖国で会おうが合い言葉にされた。戦地に行ったら戻ってこられないかもしれないが、死んだら靖国神社で神様に祭られる、それが最大の光栄と言われて、国民を戦場に動員する役割を担ったものであります。そうやって補給も考えずに大軍が戦場に送り込まれて、多くは命が失われました。日本の陸海軍の軍人軍属の戦没者は二百三十万人にもなって、半数以上が餓死者と言われております。
 間違った国の命令を正しかったとしている場所に行くことは、最もふさわしくないと思うんです。戦争中は国民を不正不義の侵略戦争に動員して、戦後はその侵略戦争を正しかったと肯定、美化する施設に参拝するリーダーが世界のどこにいるかと言いたいと思うんです。
 八十を過ぎた高齢の女性のことを、参拝されたとよく総理は言われますよね。御遺族が戦死した夫や息子、父や祖父、兄弟のために参拝することを私たちは問題にしているんじゃないんです。靖国でしか会えないようにしたことが問題で、そういう戦争動員に使われた神社に、そして戦後もそれを美化し続けている、そういう神社に総理が参拝することが問題だというふうに言っているわけであります。
 そういう神社に総理が参拝するから、国内外から強い批判が広がるばかりであります。総理の行動によって、文字どおり国際社会の信頼を失って、特に近隣諸国との友好という国益を大きく損なったという自覚と反省は、総理にありますか。
 総理、私は靖国参拝はやめるべきだと思うんですが、どうですか。
安倍内閣総理大臣 靖国神社は、これは東京招魂社と言われていたわけでありますが、その原型は山口の下関にありました招魂社でございまして、今は桜山神社として残っております。大村益次郎が、まさにそれを原型として、あそこに社をつくろう、こう考えたというふうに承知をしているところでございます。
 先ほど来申し上げておりますように、まさに国のためにとうとい命を犠牲にされた方々のために手を合わせ、御冥福をお祈りしたわけでございまして、これは世界各国のリーダーの姿勢と全く変わらない、こう思うところでございます。これはある意味、リーダーとしては当然のことではないか、このように認識をしております。
笠井委員 総理はみずからの行動を本当にわかっていらっしゃらないと思うんです。こういう行動を続けるなら、日本は世界のどの国からもまともに相手にされない国になってしまうと率直に申し上げたい。
 日本が経験してきた戦争の現実と向き合って真摯な反省をしてこそ、国際社会の信頼を回復し、近隣諸国との友好という国益につながって、戦争に命をささげた多くの人たちの死を無駄にせずに、本当の意味で戦没者を追悼することになる、そのことを強く言っておきたいと思います。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001818620140212006.htm