▼スポーツの意義と弊害とスポーツからの排除

今日もテレビ番組でタレントさんたちがスポーツを一生懸命やってるのを観て、涙ぐんでしまった。
「Qさま!!」芸能界シンクロ選手権SP!!
http://www.tv-asahi.co.jp/qsama/contents/next/0054/

スポーツは良い。

 スポーツは良い。いろんな意味で良い。

スポーツは健全な肉体と精神を作る。かも。

改定 スポーツ振興基本計画 平成18年9月21日 文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/09/06092217/001/001.htm

 スポーツは、人生をより豊かにし、充実したものとするとともに、人間の身体的・精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つである。心身の両面に影響を与える文化としてのスポーツは、明るく豊かで活力に満ちた社会の形成や個々人の心身の健全な発達に必要不可欠なものであり、人々が生涯にわたってスポーツに親しむことは、極めて大きな意義を有している。
 すなわち、スポーツは、体を動かすという人間の本源的な欲求にこたえるとともに、爽快感、達成感、他者との連帯感等の精神的充足や楽しさ、喜びをもたらし、さらには、体力の向上や、精神的なストレスの発散、生活習慣病の予防など、心身の両面にわたる健康の保持増進に資するものである。

人が頑張るのを見るも良し。

 また、スポーツは、人間の可能性の極限を追求する営みという意義を有しており、競技スポーツに打ち込む競技者のひたむきな姿は、国民のスポーツへの関心を高め、国民に夢や感動を与えるなど、活力ある健全な社会の形成にも貢献するものである。
(同上)

スポーツは何かと都合良し。

スポーツは、社会的に次のような意義も有し、その振興を一層促進していくための基盤の整備・充実を図ることは、従前にも増して国や地方公共団体の重要な責務の一つとなっている。

スポーツは、青少年の心身の健全な発達を促すものであり、特に自己責任、克己心やフェアプレイの精神を培うものである。また、仲間や指導者との交流を通じて、青少年のコミュニケーション能力を育成し豊かな心と他人に対する思いやりをはぐくむ。さらに、様々な要因による子どもたちの精神的なストレスの解消にもなり多様な価値観を認めあう機会を与えるなど、青少年の健全育成に資する。
スポーツを通じて住民が交流を深めていくことは、住民相互の新たな連携を促進するとともに、住民が一つの目標に向い共に努力し達成感を味わうことや地域に誇りと愛着を感じることにより、地域の一体感や活力が醸成され、人間関係の希薄化などの問題を抱えている地域社会の再生にもつながるなど、地域における連帯感の醸成に資する。
スポーツを振興することは、スポーツ産業の広がりとそれに伴う雇用創出等の経済的効果を生み、我が国の経済の発展に寄与するとともに、国民の心身両面にわたる健康の保持増進に大きく貢献し、医療費の節減の効果等が期待されるなど、国民経済に寄与する。
スポーツは世界共通の文化の一つであり、言語や生活習慣の違いを超え、同一のルールの下で互いに競うことにより、世界の人々との相互の理解や認識を一層深めることができるなど、国際的な友好と親善に資する。

スポーツの歪み

非道犯罪者も生む体育系組織

この「社会的な意義」なるものにはいくつもいくつもいくつもいくつもの条件を付けなければ認められない。とりわけ教育の場である学校におけるスポーツ組織において極端なゆがみのあることが知られており・報道もされている。

  • 中学・高校・大学において極端で理不尽な上下関係が支配している組織は体育会系の組織に多い
  • 非科学的なしごきや役割分担をスポーツに付随させている。
  • 非行、婦女暴行、暴力・傷害、人権侵害、非礼、社会ルール違反、高校生・大学生の運動部選手の不祥事は挙げれば限がない。
  • スポーツの国際試合でも排外的な、あるいは自国の勝利のみを大きく取上げる報道やキャンペーンがなされている。自国の活躍を大きく取上げるのは良いが、最近は極端すぎる印象がある。もっと「世界の人々との相互の理解や認識を一層深めることができるなど、国際的な友好と親善に資する」ような報道やキャンペーンがなされるべきである。これはスポーツそのものではなく報道の姿勢ではないかといわれるかもしれないが、この「基本計画」が「競技スポーツに打ち込む競技者のひたむきな姿は……」とスポーツの意義において述べているのだから、スポーツ報道もスポーツの一部であるといわなければならない。
  • 「計画」も触れているが、大会があれば、かならずそこには勝利至上主義の心情が発生する。なぜといって、大会は勝ち負けを決するところであるからである。勝利至上主義の組織活動に「思いやり」は邪魔である。とりわけ学校という抽象的な人間関係では排除やいじめにつながる場合がある。
  • スポーツがその人格形成において、「青少年の心身の健全な発達を促すもの、特に自己責任、克己心やフェアプレイの精神を培うもの、青少年のコミュニケーション能力を育成し、豊かな心と他人に対する思いやりをはぐくむもの、など、青少年の健全育成に資する」どころか、スポーツやスポーツ組織が「精神を自己中心的なものにし、弱い者をいじめ・傷つけ、反社会的・傍若無人な振る舞いを助長し、犯罪者と犯罪者予備軍とをすら輩出する場合があり、これらを決して排除できていない」ことを深刻に考慮すべきである。スポーツによる人格形成にブラックボックス的な期待を寄せることをやめ、現状ではむしろ人格をゆがめることすらあるとの認識を持つべきではなかろうか。





こうした歪みを排してこそ、スポーツの社会的な意義も実現されようものだが、基本計画では

2) 運動部活動の運営の改善
 次の事項に配慮しながら運動部活動の運営の見直しを図り、学校教育活動の一環として一層その充実を図るための各学校における取組を促す。

児童生徒が豊かな学校生活を送りながら人格的に成長していくという運動部活動の基本的意義を踏まえ、例えば、一部に見られる勝利至上主義的な運動部活動の在り方を見直すなど、児童生徒の主体性を尊重した運営に努めること。
スポーツに関する多様なニーズに応える観点からは、例えば、競技志向や楽しみ志向等の志向の違いに対応したり、一人の児童生徒が複数の運動部に所属することを認めるなど、柔軟な運営に努めること。
バランスのとれた生活やスポーツ傷害を予防する観点から、学校段階に応じて、年間を通じての練習日数や1日当たりの練習時間を適切に設定すること。
学校週5日制の趣旨も踏まえて、児童生徒が学校外の多様な活動を行ったり、体を休めたりできるよう、例えば、全国学校体育大会や都道府県学校体育大会等の試合期を除いて、学校や地域の実態等に応じ土曜日や日曜日等を休養日とするなど、適切な運営に努めること。

とあるばかりである。計画には、私のウスラ読みでは「民主的」という文字も出てこない。

スポーツからの排除

スポーツは確かに気軽に始められるものもある。しかし、スポーツからの人々を排除する要因も少なくない。スポーツ要求があるものと前提したとしても、

  1. ヒマ……ヒマや体力的な余裕がない
  2. カネ……場所や道具を買ったり借りたりするカネがない
  3. 仲間……同好の士が集まらぬ
  4. スキル・ワザ……初心者がなかなか参加できない。勝負事になると排除される

計画はこれらに触れてないわけではないが……


計画は三つの政策目標を立てている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/09/06092217/001/001.pdf

1. 子どもの体力の低下傾向に歯止めをかけ、上昇傾向に転ずることを目指す←(新規)
2. 成人の週1回以上のスポーツ実施率50%(34.7%(H9)→ 38.5%(H16))
3. オリンピックでのメダル獲得率3.5%( 1.85%(H8)→ 3.22%(H18))

オリンピックで日本がメダルをとることは私も嬉しい。
けれど、「参加することに意義がある」というオリンピックも、勝利至上主義世界大会になっているわけだし、メダルメダルって強迫せずに、オリンピックのあり方とか、日本の関わり方とか報道の仕方とか、捉え直してはどうかと思う。


楽しかった芸能界シンクロ選手権SP!! Qさま!!

この企画は世界水泳メルボルン2007(朝日系列独占放送)のプレ・バラエティーだったのだけれど、そしてその世界水泳メルボルン2007の予告コマーシャルは日本選手団の勝利をのみ期待するような雰囲気のそれだったのだけれど、「Qさま!!」の「芸能界シンクロ選手権SP!!」は(それがタレントさんたちの「仕事」だとは言え)勝ち負けにこだわらない、おもしろいものだった。
家人も「シンクロ(ナイズドスイミング)、やってみたくなる」と言う。
とすれば、「Qさま!!」の「芸能界シンクロ選手権SP!!」は秀逸な番組であったといえよう。スポーツ報道はこうあってほしいものだ。