▼自然への畏敬の念は生命尊重のため……老荘食物連鎖崇拝
「自然への畏敬の念」の教育が、政府によってなぜ求められているのか、学習不足で分からなかったのだけれど、一つのとらえ方の紹介があったので記す。
「人間の力を超えたものに対する畏敬の念を育てる道徳の時間の指導の工夫」(東京都教職員研修センター、平成17年度東京都教員研究生 「カリキュラム開発・研究」研究報告書より)
Ⅰ 研究のねらい
物が豊富な反面、人や生き物、自然とのかかわりが不足した環境で育った子どもたちには、人間の力を超えたものに対して畏敬の念を感じ、人間としてのあり方を深く見つめ直す機会が少ない。人間の力を超えたものを大切にしたいという意識が育たず、深く考えずに自他の生命や自然等の尊ぶべきものを傷つけたり、粗末に扱ってしまうことが懸念される。
小学校学習指導要領解説道徳編では、児童に人間の力を超えたものに対する畏敬の念を育てることが求められている。しかし、畏敬の念は児童自身が直接体験の中から様々に感じ取る、感覚的な要素が大きい。……読み物資料中心では畏敬の念を認識することが難しい。
……
畏敬の念とは
「畏」は、畏れることである。人間の理解を超えている、あるいは太刀打ちできない、またはかつて経験したことがない対象等に対して、恐れを感じ、近付けない状態であるととらえた〔東京都・知事のことではない〕。
「敬」は、尊ぶことであり、重んじて大切に扱うことであるととらえた。そこで、畏敬の念を、「恐れるとともに、大切にすること」と定義した。
どうしようもない自然の力の前では謙虚になるんだと。
どうしようもないカネの力の前では卑屈になるんだね。
「検証授業」として以下のような授業。
第5学年 主題名:「宇宙の摂理への畏敬の念」資料名「うちゅうを見たよ!」(宇宙飛行士、毛利衛氏の体験談)
第5学年 主題名:「自然への畏敬の念」資料名「クジラがくれた力」(鯨肉食の話)
自然への畏敬の念って、敗北感を伴った老荘的な自然観とか、食物連鎖崇拝に落ち着くようですね。それが人間の生命の尊重につながるというのなら、政治家にこそ自然崇拝教育が必要ですね。ガラパゴスに行ってもどこに行っても「謙虚」と無縁の方もいらっしゃるようだし。