▼「虐め自殺事件に思う」資料:狭山ヶ丘高等学校、学校通信「藤棚」その2

再掲:
別のことを調べていたのですが、狭山ヶ丘高等学校の、学校通信「藤棚」をたまたま目にする機会がありました。
読めば読むほど、あまりにすばらしいので、一部引用して広報します。それぞれ全文は長いので、修辞や自分にはかけそうにないところ、気に入ったところなどを抜粋しました。抜粋ですので、筆者の御真意等については本文のほうをお読みください。

虐め自殺事件に思う H18/11/01

http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/principal/hujidana/188.html

  事実今の学校の実情では、暴力中学生や高校生は、「少年法」に守られていることを確信しているから、暴力団より恐ろしい。特に中学生は義務教育期間だから退学にも停学にもならない。何をやらかしても、教師に殴られる心配は絶対にない。そんな社会背景の中で、滝川市の小学生も、自らの命の代償によってしか、仲間の不正に抗議できないと思い詰めたのであろう。
  その間教師はどこにいたのか。何をやっていたのか。結局いじめは、教師の存在感が希薄化していることに本当の原因がある。
……小中学生の過度に「自治的な」集団は、結局ボスの発生を許し、学級内にボス支配が跋扈することになる。
……私なら、参観日であろうが何であろうが、その中の「一番悪いやつ」の襟首をつかまえて、大音声に叱りつけながら引きずり回す。小学校一年生に、舐められるようなざまで教師が務まるか。
……、「叱ってはならぬ、怒鳴ってはならぬ。怒ってはなぬ。子供は褒めよ、褒めて褒めて褒めぬけば、必ずよい子が育つ」とする、奇妙奇天烈なイデオロギーそのものである。これこそは、最近の文部科学省教育委員会が口を揃えて強調しつつある主張にほかならない。教育系大学の学者諸君が、そのイデオロギーパトロンであることも、論を待たない。