▼「廉恥を重んじよ」資料:狭山ヶ丘高等学校、学校通信「藤棚」その1

別のことを調べていたのですが、狭山ヶ丘高等学校の、学校通信「藤棚」をたまたま目にする機会がありました。
読めば読むほど、あまりにすばらしいので、一部引用して広報します。それぞれ全文は長いので、修辞や自分にはかけそうにないところ、気に入ったところなどを抜粋しました。抜粋ですので、筆者の御真意等については本文のほうをお読みください。

廉恥を重んじよ H18/07/01

http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/principal/hujidana/184.html

……廉恥とは「心が清らかで恥を知る心のあること」とされている。 「世間様に顔向けできないようなことはしてはならない」「そんなことをしたら家の恥になる」我々の幼い頃、「耳にたこができるほど」聞かされた言葉である。……出張で武蔵藤沢から電車に乗ったが、すでに四人の女子高校生が、向かい側の席に座っていた。……電車の仲で化粧する女性は、例外なくブスである。これは差別用語かも知れぬが、この場合あえて使わせてもらっても絞首刑にはなるまい。……ここでも彼女らに「廉恥の情」は完全に欠落している。要するに色気がないのである。この化粧は池袋に着くまで四十分間続けられた。もしかしたら始発からずっと作業を継続していたのかも知れない。まあ「現代の化け物」と言うところであろうか。

電車の戸口付近に、床に腰を下ろしへたり込んでいる若者がいた。別段体が悪い様子でもない。我が儘放題、気楽放題に生きてきた所産であろう。その体躯もカップラーメン育ち独特の肥満体である。表情には抑制の気配が全くない。自堕落、やりたい放題に生きてきて、今ある自分を、世間はそのまま無条件に受け入れるべきなのだという我執が全身に溢れている。こんな嫌らしい男も近頃しばしば目にするようになった。ここでも、他人の目を意識するような気配は全くない。「廉恥の情」など彼にはないし、その意味も知らないだろう。彼は生涯、世の中にそんな言葉が存在すると言うことも知らずに人生を終わるのではあるまいか。