▼「恐るべき少子化に備えよ」資料:狭山ヶ丘高等学校、学校通信「藤棚」その3

再掲:
別のことを調べていたのですが、狭山ヶ丘高等学校の、学校通信「藤棚」をたまたま目にする機会がありました。
読めば読むほど、あまりにすばらしいので、一部引用して広報します。それぞれ全文は長いので、修辞や自分にはかけそうにないところ、気に入ったところなどを抜粋しました。抜粋ですので、筆者の御真意等については本文のほうをお読みください。

恐るべき少子化に備えよ H18/06/03

http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/principal/hujidana/183.html

 少子化の最大の原因は何だと諸君は思うか。私は教育費の過大負担ではないかと考えている。
 今ひとつ、晩婚化傾向を挙げることができる。男女は一定の年齢に達したときには結婚するのが当たり前である。この慣習が否定されるとき、人類は滅亡するのだ。
 しかし今、適齢期などという言葉を安易に使ったら、場合によっては「セクハラ」なる問題に発展しかねない。しかしやはり、ある理想的年齢を念頭に置き、それを尊重して男女が家庭を築くことの尊さは、日常生活の中で不断に指導されなくてはならない。
 ……内親王様が三十六歳で結婚されたという二ユースが伝えられたが、宮内庁は一体何をしていたのであろうか。あれほどに美しく気高いお方が、結果的に晩婚であらせられたと言うことは、もったいなく、また畏れ多い次第である。皇族の方々には、是非早婚の模範をお示し頂きたいと私は願うのである。
 最後に、子供を産むことの尊さを、政府、自治体、教育委員会、学校が強調するよう求めたい。「生む、生まないは個人の問題」などと冷たく突き放したり、人権問題にされることから責任回避したりするのではなく、出産、育児がどれほど尊いものであるかを、理念的にもっともっと強調してもらいたいのである。
 「子供を産めるような国に」などと叫ぶ政治家や活動家がいる。だがこの国がどうして子供を産めない国だと言うのか。豊かさの中で贅沢の限りを尽くしながら、「極楽とんぼ」を決め込むのも大概にしろ。少子化問題解決の本質は、そんなところに存在してはいない。
 ゼロ歳保育の施設を増やすという、小泉総理の考えにも私は反対である。乳飲み子は、目覚めたとき、常にそこに母親の笑顔が待っているという環境で育てられなくてはならない。諸外国にもゼロ歳保育の施設などごく稀にしか存在しない。
 むしろ私は「育児休業」を、無償で良いから、新生児出生後二十年間認める制度を確立すべきだと考えている。
 老人介護を、介護施設に丸投げしようとする「介護保険」にも私は反対である。老人の世話は、先ず第一にその子供が責任が負わなくてはならない。三世代が同居して、芽生える者、滅び行く者が、互いにいたわりあい励まし合っていくことこそ、真に人間らしい暮らしではないのか。少子化、老人問題、この二つの重大なテーマを巡って、今の政府の政治姿勢は根本的に間違っていると私は思うのである。