新自由主義と社会保障

 社会保障をしっかり位置づけることは、われわれの利害の対抗者を弱者にではなく新自由主義的政治とそれによって恩恵を受ける支配者的な階層に見出す上で重要である。
 一番悲しくつまらないのが、弱者が弱者を邪魔者扱いにすることだ。
 高島進「福祉国家論と日本の課題」『『総合社会福祉研究 第20号』 2002年 総合社会福祉研究所 は言う。

私〔高島〕は社会福祉(広狭両義)の歴史は資本主義社会が生み出す生活の困難と不安(「生活問題」、その典型は「貧困」)をいわば前提条件として、民主主義の発展した水準を、社会福祉を現実化する十分条件として捉え、具体的には社会権、とりわけその基底的位置を占めると思われる人間的生存権の発展状況として捉えてきた……

 これが私にはごく自然な考え方であるように思える。

 そして、目指されるべき福祉国家の理念は「世界人権宣言」に明確にされている、との事である。日本国憲法を真剣に広めることが求められていると言える。
 日弁連の世界人権宣言はここ。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/humanrights_library/materials/world_human_declaration.html
 外務省の世界人権宣言はここ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_002.html
どうして半分ずつ表示するのだろうか外務省は。

……社会権的条項として、私は

    • 労働の権利(第23条)
    • 教育の権利(第26条)
    • 休息及び余暇の権利(第24条)
    • 社会の文化生活への参加の権利(第27条)

と並んで、社会福祉の観点からは

    • 第22条 要旨:人格の尊厳と自由な発展とに必要な経済的社会的文化的権利の実現する権利を有する。

(『岩波コンパクト六法』から引いたとされる高島氏の文章は「……文化的権利を実現を求める資格を有する」と退いたような文章になっていますが?)

    • 第25条 要旨:衣食住、医療等により「健康と福祉に十分な」( adequate for the health and well-being ) 生活水準を受ける権利。失業その他による生活困難に対する保障、母子と児童の保護

に高島は注目している。というのは、こうした社会権生存権は市民革命期(イギリスのレベラーズ、ディガーズ、フランスの山岳派憲法)以来否定され続けてきた諸権利であるからである。

なお、世界人権宣言自体に拘束力はないが、サ条約前文において日本は「世界人権宣言の目的実現のために努力」するとしている。http://www.normanet.ne.jp/~hourei/j005R/s270428j005.htm

日本国との平和条約
【法令番号 】昭和二十七年四月二十八日条約第五号
【施行年月日】昭和二十七年四月二十八日外務省告示第十号
 連合国及び日本国は、両者の関係が、今後、共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意し、よつて、両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締結することを希望するので、

 日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、界人権宣言の目的を実現するために努力し、国際連合憲章第五十五条及び第五十六条に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によつて作られはじめた安定及び福祉の条件を日本国内に創造するために努力し、並びに公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言する 以下略

なぜ、サ条約で世界人権宣言の目的の実現を宣誓させられたのかというと、「枢軸国」は「民主主義のファッショ的弾圧と近隣諸国への侵略」に自国の諸矛盾を逸らせようとして第二次世界大戦を引き起こした。一方「連合国」は民主主義を維持したのであるから、連合国の勝利は民主主義の勝利として宣言されなければならなかったのである、という。