▼棄民化する……地方自治とは何だったのか、昼休み感想
三菱総研 2007.01.11 MRI TODAY 2007年、地方は“ポスト戦後”を越えられるか 地域格差拡大の中で『自律元年』を占う
地域経営研究センター 研究主査 川村雅人氏
地方自治体の境遇についての説明としては特段の異論はないし、あまり異論を持つほどの知識・見識も私にはない。しかし、読んでいて「暗澹たる気持ち」である。
- 大都市一人勝ちで、「自己責任」の吹雪の下、地方は人口も財政も経済も廃れ・空洞化し・高齢化し、格差はますます広がっている。
- 知事は次々逮捕されるし、かつて栄えた自治体は財政破綻するなかでの地方『自律元年』である。
- 「ない袖は振れぬ」国と「なりふり構わぬ」自治体の本音がぶつかり合う喧騒のどさくさに道州制へと誘導される。
- 情報公開は地方自治体の財務体質を暴露し、市場での信用審査に晒される。
- がんばる地方を応援すると言われても、がんばってIターン・Jターンをキャンペーンしても成果にはなかなか結びつかぬ。
ならば八方ふさがりの地方はどうすればよいのか。まず、ステイクホルダーである行政、企業、住民が厳しい現実を共有することである。その上で自らを律し、叡智を集め、なすべきことを選択し、リスク覚悟で当事者として連携し行動することである。地味な取組に見えるが、その積み重ねこそが自立への道を拓き「未来への投資」に結びつくはずである。
地方自治の役割は何だったのか
地方自治体に「リスクを覚悟」せよというのが、国による地方の「棄民」という感じだ。何もしないわけにはいかないからなりふり構わずやるしかない、という窮迫である。
かつて、地方自治体は住民にとって「国の悪政からの防波堤」としての役割が期待されていた。条例によって先進的な規制や福祉が国に先行して制定・実行され、それが全国に広まったものも少なくない。
ところが今や地方自治体は防波堤どころか、「沈没しかかった船」であり、例えば「夕張丸」の船員はわれ先にと海に飛び込んでいる。かたや腐った船底では、年に数回しか甲板に上がらず肥え太った船員も「発見」されたり、「みやこ丸」ではシャブ中毒船員にシャブをシャブシャブ与えている始末。
社会保障とともに地方自治が激しい攻撃にさらされている。その被害者はか弱い住民である。道州制が導入されれば、その導入の経緯からすると、そこに暮らすのは「地方自治の主人公としての住民」ではなく、企業者でなければ「労働力」か「市場」か「お荷物」となるのではないか。