▼幼児化する市民

小銭を握りしめた市民たち─現代社会の病理現象を精神分析してみる──

図書館にて。
北村隆人氏「研究報告 患者・患者さん・患者様」『精神科治療学』17(11)、星和書店2002年
日本において医師・患者に用いられる呼称の組合せを素材に、医師-患者関係を考察。
「患者様」という呼称が医療現場に導入されることによる治療上の影響について考察しておられる。
抜粋要約(論旨の全てには触れない。「 」内の太字アンダーラインは私)

【お医者様−患者】という関係の基礎と効能・必然性

前近代なりの合理性・必然性
  • 条件:医療・医学の未発達、医学的知識の社会的偏在を基礎にしている。
  • 関係:万能的な「お医者様」に無力な「患者」がすがって治してもらう、という関係。
  • 心理:無力な幼児が万能な医師に身を任せる際の親子の心理。
  • 治療:幼児的立場の患者には医師に身をゆだねることにより安心感が生じ、この安心感が患者の自然治癒力を高めることに役立ったであろう。

 こうしてみると、パターナリズムは時代的な必然性があったと考えられる。またパターナリズムや医学情報の医師の側での秘匿は、患者の無力さと医師の万能性を高める役割を果たしたといえる。
 「この一つの典型例は呪術医であろう。呪術は秘されることで、その秘法性が高まり治療可能性も高めたはず」である。ヒポクラテスも医療知識を医師以外に漏らさないようにと言っている。


【お医者さん−患者さん】と呼びあえる関係とは

インフォームドコンセント重視。医師も患者も治療に努力
  • 条件:医療・医学、自然科学の発達と情報化の進展を社会的基礎にしている。
  • 関係:万能的な「お医者様」は間違いを犯す可能性もある「医師」に格下げになり(万能に近いのは「医学」)、「患者」も治療について理解したり選択したりすることはできるが自分で治療・治癒できない。
  • 心理:【親-幼児】関係は【不完全な大人-不完全な大人】という心理関係に変わる。
  • 治療:医師と患者が互いの不完全さを認め合いながら協力して治療内容を決定する、インフォームドコンセント重視の治療。

【医者−患者様】という関係の病理 鋭い!

献身的な医療従事者が患者様にご奉仕する医療
  • 条件:医療の産業化と医療への競争原理の導入。
  • 関係:医療が産業化すると【医師-患者】関係は【巨大な医療産業-患者】という関係に包摂(解消)されてしまう。
  • 心理:「患者様」=「お客様」=「王様」=「神様」=「赤ん坊陛下」(フロイト)である。「患者様は神様です。」【医師-患者】関係は【献身的な医者-自己愛的な幼児】という関係になる。
  • 治療:「患者様」扱いを受け容れ「自己愛的治療態度」が強化される可能性がある。しかし医療は「患者様」の希望を全てかなえるとは限らない。死にいたる場合もありうる。

 医療・医師は医療の産業化の下では経営原則と治療原則という二つの原則で働くことになる。
 医療の公平性が重視されていた時代にはこの二原則は相反することはあまりなかった。ところが医療の効率化の 重視とそのための競争原理の導入は、医療機関をしてサービス業としての経営原則を重視させることとなった。
 ここから顧客満足重視の「患者様」という呼称が導入され普及したと考えられる。
 ところが医療過程は「患者様」に苦痛を与え、さらには完治もせず「患者様」の希望をかなえられないことがある。そうなると「患者様」の自己愛は傷つけられ、その傷に耐えられなければ怒り出す(「自己愛的憤怒」)。ここから訴訟ということにもなるが、それは当然の権利ではあるが治療の関係ではなくなっている。
 「医者-患者様関係は献身的な親-自己愛的な幼児という関係を原型に持っていると言える。この関係の特質を誇張して表現すれば『金さえ出せば、望み通りに医者が献身してくれて、病気も治してもらえる』といった患者の幼児的な自己愛的欲求をかなえる関係だと言える。
 こうした関係においては患者の自己愛的満足を全てかなえることは不可能であり、従って患者であり続けてもらうことは不可能である。


 自己愛的人格障害をも治療の対象とする精神科にあっては「自分の考え通りに患者を動かす『患者扱い』をしたり、逆に患者の無理を聞き入れるような『患者様扱い』をし」てないだろうかと自問することが治療に役立つと考える。


現代社会にあって、人々の生を多面的に・嬉しく・楽しく・結びつけ・活動させ・発達させるというのではなく、人々を不安に落としいれ・萎縮させ・悲しませ・分断し・反目させ・灰色一色の一面に塗りつぶし・視野を狭窄せしめるような事象が数多くある。それは構造的なものではあるが、人は構造自体を構造として体験するというよりは、末端の悲しみや苦しみだけを受け止める。一方の極には富や「美しい」ものや「活力」が集積する。
その悲しい末端には、反対極の巨大な富には目を遣らで、小銭を握りしめた自己愛的な幼児がひしめいているようにも思われる。


いろいろいろいろ、あれこれ考えさせられるね。精神医学というものは。
まじめに、心底感心しました。
細木数子に怒られて嬉しいとか、学校へのいちゃもんとか、シロウトには解決しがたい事象の理解への一つのルートを提供してくれる、ね。