▼そんなに簡単に家庭を責めないで

イライラしているときに、鏡を見ると落ち着く。そんな人が居るだろうか?
イライラしているときに、モタモタしている人(友達、家族、同僚、後輩)を見ると怒鳴りつけたくなりませんか?
いじめの全てがそうではなかろうが、自分の中のイライラをいじめの対象者に投影して、それをいじめているのではなかろうか。

家庭がそんなに劣悪だとしても

有識者」たちが、よく「家庭」を教育問題の発生源として指弾しているのを見かける。
朝食を家族全員で食べろとか、夕食も一緒に食べろとか。
確かに、乳幼児や児童の虐待が大きく報道され、死に至らしめているから、よほど「家庭」というものがメチャクチャになっているのかという印象ばかりが強い。そしてそこに「夫婦相和し」とか、家父長的な家庭内秩序の復権・復活とか、ひいては「床の間」を作って「上座・下座」を明確にしろとかすら、言われるようになった。



しかし、そんなに簡単に家庭を悪者に仕立て上げて、どうするのか。
また昔がそんなに良かったのかというと、子どもや女性の権利というものは軽んじられていたし、余儀ない事情があったとしても、娘を身売りさせていたのは親ではないか。

朝飯を皆で食べようと思っても、父ちゃんが出稼ぎに出ていれば、何ヶ月も母子家庭ではないか。
正社員の父ちゃんも非正規労働者の父ちゃんも、朝早くから出かけて夜遅く帰らざるを得ない家庭はどうか。
買ったマンションのローンのために、必死になってる親、私学に行かせるのに働いている親、いろんな家庭があるのに、朝飯を一緒に喰わないのが「いじめ」と「いじめられ」の原因で「責任重大だ」と言い放って、父ちゃん・母ちゃんにどうしろというのか。
それとも、いまどきの親ってのは、子どもを作るだけ作っておいて、あとは「アッケラカンのカーンだ」(渡辺美智雄)とでも言うのか?



人様の子をいじめるような子どもであって良いと思う親がどこにあろうか。いじめられても仕方がないのだと諦めている親がいようか。そんな親たちに向かって、「いじめの温床としての家庭」とか「まず責任を追及」するような提言をしないであげてほしいと思う。



また、ここでいろんな戦争や社会体制についてあれこれ言うつもりはないけれど、本当に人権無視の制度や戦争がどれだけ多くの子どもたちから親を奪ったことか。奪い続けていることか。それは家庭のせいじゃないでしょう?