▼仕事とは何か、職業とは何か

いなかでほえーる「『努力した者が報われる』社会」で次のように述べておられます。同感して枕にさせていただきます(枕にする以上の能力は私には無いのです)。

格差社会についての言葉で良くわからないことがあります。「努力したものが報われる」とか、「失敗しても再度挑戦できる仕組み」などの言葉が言われています。聞いていると、仕事というものは金儲けが出来るかどうかという意味に聞こえます。失敗というが、……仕事ってそんな勝ち負けの世界だけでしょうか、多くの国民は仕事を勝ち負けの勝負やら金儲けの手段として考えていないと思うのです。

青年たちが自分の力を活かせない、思う職業に就けない、就職してもすぐに辞めてしまう(辞めてしまわざるを得ない内的・外的環境がある)、構造改革で会社が瞬滅された、などの事象がある一方、それを追認して「努力したものが報われる社会」と言う。
極端な結果統制を前提するなら「結果が平等だとやる気が出ない」と言うのを否定する気持ちはわかないけれど、社会の格差に批判的に言及する人たちがそのような統制を求めているというようには思えぬ。

職業は、三つの円の重なり合いである。

  1. 社会に役立つこと、奉仕
  2. 個人の能力や個性が発揮されること
  3. 収入を得て暮らしが成り立つこと

この三つのどれもが充分に実現できている場合は幸いである。三つの円は必ずしも無関係ではなく、1は3の前提である場合が少なくは無い。
しかし、

  • 多くの福祉労働のように、社会的弱者の尊厳のために働いていて、充分に社会に役立っていると実感されるのに収入が極端に少ない場合
  • 収入も多く仕事に不満は無いが、社会に役立つどころか社会に寄生している場合
  • 好きでやっている仕事だが、やり方が極端に非合理、もしくは芸能などで大衆性も収益性もない場合

などなど。
こうした三つの円の重なりに「格差」は以前からあったし、今後もあるだろうけれど、まず安心して暮らせて安全な(健康を著しく害しない)仕事、三つの円がわかりやすいこと、そこで働く青年や婦人が青年や婦人として尊重され(重宝がることとは違います)ること。
大前提として就職できること。

格差社会と仕事とはさしあたり別の話ではあるけれど。