▼格差問題ふたつ

何が何でも小泉が好き

「格差について」第一生命経済研究所 名誉所長 加藤 寛

http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/view/fov0605.pdf

古くからの格差に加えて、最近は産業社会の革新によって格差は一層拡大している。コンピュータ社会に容易に溶け込める若年層、ATMにもなじめない高齢者との間のコンピュータ・ギャップは、否応なく浸透している。この格差を乗りこえられない人は職を狭められ、より低い労働へと追いやられていく。この技術格差は、天がつくったものではなく、人間の努力の差にほかならない。

というか、自然現象ではなく社会現象なのだと。

小泉政権は2003 年、株価対策として本来20%の株式譲渡益と配当に対する課税税率を時限的に10%に半減、相続税最高税率も同年に70%から50%に引き下げた。株や資産を持つ人に手厚い対策となった。
一方、財政立て直しに向け国民にさまざまな負担増も強いてきた。国民が生活防御の一つとしてきた「発泡酒」「第三のビール」の酒税を上げ、2004 年には配偶者特別控除の上乗せ部分を廃止、中間層に手厚かった定率減税は半減から全廃へと踏みきった。
2003 年にサラリーマンの医療費窓口負担を3割に上げ、しばらく据え置きだった厚生年金の保険料は2004 年10 月から、国民年金の保険料も2005年4月から毎年上がるようになった。こうした負担増は富裕層にとってはそれほどの負担感はないが、低所得層から中間層の大きな負担となっている。

つまり、弱いものいじめの改革が進んだと。

しかし、それは格差ではなく「違い」だという。

しかし小泉首相は国会で答弁している。
「どの国にもどの時代にもある程度の格差はある」と。首相は競争の結果として一定の格差が生じるのはやむを得ないとの考えを繰り返し強調している。
「格差ととらえるのではなく、互いの違いを学びあい、競争してよい点を伸ばしていくのが必要ではないか」と訴え、「勝ち組、負け組を固定化しない環境整備は必要だ」として機会の平等説に立っている。

世界の経済の歴史は常に政府の介入をどこまで景気の維持と関係づけるのかという歴史の繰り返しであった。
だから、政府が景気を回復させる途中で生じる格差は当然である。

何が「だから」なのか、格差なのか格差でないのか、慶応なんて圏外だった無学の私にはさっぱりわからない。

とにかく小泉がすきなのだなぁ。この人は。



所得格差の拡大に歯止め

「所得格差の現状と展望―― 所得格差の拡大に歯止め ――」2006年6月7日 株式会社 日本総合研究所

調査部 マクロ経済研究センター http://www.jri.co.jp
http://www.jri.co.jp/thinktank/research/category/japan/2006/jri_060607.pdf

  • 90年代終盤以降、若い層を中心に拡大した労働所得格差
  • フリーター化の加速には歯止め/ただし、派遣社員契約社員が増加
  • 最近では、派遣・契約社員の増加が寄与、正社員間格差が拡大
  • 世帯ベースで見ても若い層を中心に格差が拡大/特に、40歳未満で格差と相対的貧困層が増大
  • 1998年以降/全ての年齢層で高まった生活保護人員率/増加率はピーク越えか
  • 経済の持続的な拡大が重要

つまり、格差が広がってきているし生活保護人員も増えているし、青年たちはフリーターから派遣社員契約社員になってはいるが不安定な雇用のままである。
一方ぼろもうけしている企業群には一瞥もくれず、格差の原因が不況のせいだと言わんばかりである。
それでも、社会現象としての「格差」を自然現象や景気回復時の不可避的な付随現象とは言わないで、「貧困」という文言を使用しているだけ良心的だろうか。