新自由主義と教育

小泉首相「人間の力は学校の成績だけではない」

まず、2006年2月7日の衆議院予算委員会での小泉首相の答弁。

http://www.asahi.com/politics/update/0207/005.html


 〔民主党の〕前原氏は、東京23区における就学援助率と、都が実施したという小学5年生と中学2年生の学力テストの平均点をもとに同党がつくったとするグラフを示し、「就学援助率と学力に右肩下がりの相関関係が出ている」と指摘。「格差が再生産され、希望格差がどんどん開いている。子供にしわ寄せがいっていることにどう取り組むのか」と首相の対応をただした。

 これに対し、小泉首相は「就学したい人に対して、生活が苦しいから学校に行けないということはなくさなくてはいけない」と応じたが、「学校の成績が良くないからといって悲観することはない。人間の力は学校の成績だけではない。学校の成績で序列をつけるべきでない」と語り、議論はすれ違った。

この質問答弁自体は将来衆議院の議事録で公表されるだろうている
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060207006.htm

いつものことで、もうあまり驚きもしなかったが、やっぱりきっちり言及している方がおられて感心した。また、あれこれの事件を流してしまわず、記憶にとどめるのに大切なことだと思う。

構造改革」読み書き練習ブログ

http://literacy.jugem.jp/
の2006年2月9日の記事

 前原氏が問題視しているのは、親・家庭の経済格差が、子どもの学力格差につながっているのではないか、ということであり、さらに、この学力格差によって、親の階層が子どもへと引き継がれ、固定化していくのではないか、ということだ。総理は、論点をずらし、すり替えて答えている。
 しかし、もっと問題なのは、この答弁から感じられる小泉総理のホンネである。
 小泉総理は、初等・中等教育の早い段階で、学力の差を容認し、「学力のない子」を放置しようとしているのではないか。言ってみれば、「学力があまり無くても心配無用。そういう子どもたちはエリートにはなれないかもしれないが、それなりの仕事につけばいい。そういう仕事も社会的に必要とされているよ・・・」というところである。それなりの仕事とは、例えば、派遣や請負労働等といった低賃金の不正規雇用だ。小泉氏が構造改革でたくさん用意してくれている。

かつて、京都経済同友会がまとめた提言がある(2000年)。


日本人として必要な最低限の学力等は小学校で身に付くようにする。特殊な技能を身につけたい者は、義務教育終了後直ちに家業を見習い、親方棟梁のもとに弟子入りし、あるいは各種の職業学校に進学する道を開く。社会は多様な人材を必要としている。学力に自信がなければ手足を使う技能者・技術者として世に出ればよい。できるだけ早く体で覚え込まなければ大成しない技能が、この世には存在する。勉強嫌いをいつまでも学校に引っ張り、やる気と自信を失わせ、いたずらに不登校を増やし、教師に苦労をかける無駄は、12歳で打ち止めとしたい。
義務教育=強制教育の短縮に踏み込むべき時である。
         (斎藤貴男『教育改革と新自由主義』より孫引き)

 小泉総理の答弁が、この提言と響きあっているようでしかたがないのである。

便利だな。言いたいことは概ね同じで、特に付け加えることはない。京都経済同友会の提言は知らなかったが、同様の意見や発言はもっと以前からある。また、ソースを探しておきます。