▼正森成二氏、逝く。

読み終えたところです。
正森成二『質問する人、逃げる人』2002年、清風堂書店

収録・紹介されている質問……国会会議録検索システムで年月日、発言者を設定して検索してみてください。

ハマコーとの対決は本当にたまたまテレビを観ていて、
「なんだこれは! なんだこれは! えぇっ? こんなことが許されるのか!?」
と叫んだことを憶えている。
また、冒頭のハマコーとの対決のあった質問中、229の発言と235の発言では

 荒川区で昨年十日末、七十八歳の婦人が、生活保護の辞退届という形で無理やりに打ち切られて、福祉事務所に対して恨みの遺書を残してみずから命を絶たれました。ここにその遺書があります。これを読んでみますと、こう言っております。これは、川口さんという世話になった区会議員に対して送られたものであります。「昨年来より、口に出せぬ程の恩をこうむり、足をお運びくだされしこと、死んでも忘れはいたしませぬ。最後のお知らせと申します。このまま目をつぶることは私にはできませぬ。生と死の岐路に立ちましたが、再び生きて福祉を受けたくありません。そんな惨めな生活は私にはできません。こうした結果は町田区長にも責任があると思います。部下の横柄な態度、この中に添え書きを入れてあります。一度目を通してください。」こう言って、係長から受けた待遇について「福祉は人を助けるのでしょうか。苦しめるためのところでしょうか。生き抜く瀬も何もなくなりました。」こう言っております。
 また、婦人のケースワーカーからいろいろ言われたと見えて、名前が書いてありますが、テレビですから名前は申しません。「福祉の○○さん、あなたの言われたとおり、死んでも構わないと申されたとおり、死を選びました。満足でしょう。女は女同士いたわりが欲しかったのです。自分のお金でもくださるように、福祉を断るなら今すぐ断りなさい。」こう言ったらしいのですね。「福祉は人を助けるのですか、殺すのですか。忘れられませんでした。」こう言っています。

 北海道の札幌市の白石区では、三人の子供を抱えて、九年前に夫に離婚された婦人が、必死にパートなどで働いた末に病気になり、生活費もなく、ガスをとめられ、電話もとめられた。喫茶店のもとの女主人が訪問して驚いて、三回にわたって福祉事務所に保護を訴え、本人も行ったけれども、冷酷に申請を拒否されて、六十一年の十二月からは口にするものは水だけになった。ついに六十二年の一月二十三日、衰弱して餓死をしております。それでも福祉事務所は、行政に何ら手落ちはなく、誤りはなかったと主張しております。これでは福祉事務所ではありません。鬼事務所ではないか。
 そして、このお母さんは遺言でどう言っていますか。「母さんは負けました。この世では親を信じて生きたお前たち三人を残して先立つことはとてもふびんでならないが、もうお前たちにかける声が出ない。起きあがれない。なさけない。涙もかれ、力もつきました。お前たち空腹だろう。許しておくれ、母さんを。」こう言っております。

生活保護を申請したり受給するに、こんな思いをしなければならない人たちがいるのだということを初めて知った。


正森さん、楽しかったよ。(06/10/18 逝去された)