▼「希望学」に見る社会変動の深刻
文学的認識から社会科学的認識へ
適当な題が思いつかなかったので。
いろいろ、問題意識の表現としては文学的な記述が目立つ。異論はない。
「希望学」始めます
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/outline.html
社会の問題を考えようとするとき、これまで希望は前提でした。希望、それはすなわち欲望や目的となり、その欲望や目的を所与として、消費、進学、就業、結婚、出産などが実行されると、社会科学では考えてきました。しかし現在、その前提自体が揺らいでいます。
かつて炭坑夫たちは、炭坑に入るとき、かならずカナリヤをつれていったといいます。坑内に有毒ガスが漏れ出したとき、人間より早く、カナリヤはその危険を察知したからだというのです。もしかしたら若者たちは、現代のカナリヤなのかもしれません。無気力、学力低下、低年齢化する犯罪などといった行動も、希望という空気が薄くなりつつある現代への若者たちの反応を、大人の立場から表現したものかもしれません。
希望は、各個人にとっての過去と未来とをつなぐ展望を与えます。また希望は、個人と個人との関係を規定します。その希望が、今まさに問題となっているのです。
他に類をみない希望学という新しい社会科学が目指すのは、次の三つの普遍的な問いに対する答えの追求です。一つは「社会において個人が形成する希望とはそもそも何なのか」という問いです。
第二の問いは「社会が個人の持つ希望にどのような影響を及ぼすか」です。
第三の問いは「個人の形成する希望が社会状況をどのように規定するのか」です。
人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか。希望学は、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトです。私たちは社会科学者として、事実の積み重ねを通じて、希望について考えていきます。
東京大学社会科学研究所
希望学プロジェクトチーム
異論はないんだけど。違和感はある。
社会の変動期には「社会思想」の活動が活発になり、安定期には「社会科学」の活動が活発になる。
「希望学」は「社会科学」による「社会思想」獲得への一歩、とりあえず「社会心理」獲得プロジェクトということか。
個人的な感情に過ぎないとされていた「希望」感についてまで、「社会科学」が対象とするのは歓迎だし、これだけ自殺が多いことも併せて考えると、社会変動が個人の生死にかかわるほど深刻になっているという、というようにも言えよう。
詳細未読だが、希望がなくなってきたというのだから、きちんと社会批判できる成果を期待したものだ。没価値的に「こんなん出ました。仕方がないですねぇ」では困る。
読み物のテーマができてうれしい。
あと、読者の方は少数でしょうが、そして読者向きに書いているわけでもないですが、しばらく留守にします。さようなら。