▼「消費社会」の浸透と青年

NINE『戦後日本とは何か? 「若者たちと消費社会──高度経済成長以降の「個人」と「公共」』
http://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/cat1007519/index.html

はじめに

ようやく、この文章に言及するための予備知識の仕入れが終わりました。こうしてこれから主観的な感想をダラダラと書き散らすのですが、うれしくもあり・光栄でもあります。なんだかすごくこの文章には好意がわいてしまうのです。
NINE氏の文章は社会学になじみのない私からすれば大変目新しいのですが、小熊英二氏の諸文献(私は未読)やその他社会学系の研究に慣れ親しんだ人にはそうでもないのかもしれません。ですが、私としては、NINE氏のこうした丁寧な営みには賛辞を送りたく思っています。
一方で、それでも社会学の人たちの文章はどうしてか私にはわかりにくいので、誤読もあろうかと思います。またブログという形式(フォント・画像・デコレーション・表示順)も大変読みにくくて苦労しました。
思えば、自分の不勉強が一番大きいです。が、日本の唯物論は「消費社会」という概念をあまり消化してこなかったのではないか。今村氏がボードリヤールとか紹介したけれど、それが出たとき私には何のことかよくわからなかった。「中流意識」についても、みんなが中流意識を持っているという事実よりも「中流って言うけど、家と車のローン地獄でしょ? 全然中流でもなんでも無いよ。早く目を覚ましなさい」というような論調が自分の中では主流でありました。子どもの問題にしても、学校=家庭+「地域」(学校、家庭と地域)というような図式(数式ではない)で、消費社会の浸透などについては最近言われ始めたのではないか。ゲームだとかギャングエイジの崩壊だとかいうのは、副次的なこととして扱われてこなかっただろうか。

以下は、ダラダラとした感想です。不満もあります。所詮ブログです。気楽に書きます。誤解もあるでしょうが、それも本記事に限ったことではありません。読む人があれば気楽に読んでください。
例によって、後日抜本的ではない書き直し・書き足しが随時行われます。
全体としては要約を紹介しつつ、色付きの囲みで感想を書こうと思います。ただしこの書き方はブログ全体に共通というわけではありません。
また、若者と青年は用語として区別していません。ただ、私としては「発達課題」を持ち、社会の入り口に立っている、自分の発達のために社会の変革を必要としているという「清々しさ」が「青年」にはあるというふうに感じているので、「青年」を多用しています。

はじめに Jump
序章  現代「愛国心」の消費社会批判  
第一部  高度経済成長と「個人」――消費社会化する日本(1960〜1973)  
  第一章 60年安保闘争から高度経済成長へ Jump
  第二章 1950年代からの家電ブーム――「消費する主婦」の登場 Jump
  第三章 「大衆消費社会」に参加する大人たち Jump
  第四章 高度成長への反抗としての学生運動 Jump
第二部  若者に降りてくる消費社会――1970〜80年代の高度消費社会(1973〜1990)  
  第五章 学生運動から「ニュー・ファミリー」へ――団塊世代の転換   Jump
  第六章 「若者文化」とコミュニケーション――1970年代後半の若者たち Jump
  第七章 高度消費社会に覆われる若者たち――1980年代と「新人類」 Jump
  第八章 「おたく」と新興宗教の若者たち――高度消費社会の落とし穴 Jump
第三部  10代を覆う消費社会――バブル崩壊後の若者たち(1991〜現在)  
  第九章 渋谷と女子高生の深き関係――90年代消費社会と「援助交際 Jump
  第十章 少年犯罪と郊外消費社会の限界 Jump
  第十一章 止まらない消費文化の低年齢化――2000年代の小中学生 Jump
  第十二章 「若者文化」からメタ・コミュニケーションへ──2000年代の若者たち Jump
終章 「無限消費社会」を超えて  
  1:高度経済成長以降の日本社会の本質 Jump
  2:未来に向けて Jump

はじめに/序章 現代「愛国心」の消費社会批判

筆者NINEは1990年代以降ますます日本において個人のあり方と消費社会とが不可分となったことに「危機感」を持っている。この不可分性は青年層においてより強い。「危機感」は現代人に共通しているらしく、この「危機感」に基づいて「若者バッシング」や「愛国心教育」の根拠にされている。
ここで言う「危機感」とはさしあたり青年の「政治・社会=公共への無関心」「(軟弱な)個人主義」と、社会的規範の効力の弱体化、所謂「モラルの低下」などということにしておこう。
こうした「危機」の原因は消費社会化にあるのではないか。これの分析を抜きに「危機」は解明も解決もできないのではないか。
ところが保守主義復古主義者は「危機」の原因を一部「消費社会」に求めながらも非国家主義的「戦後教育」「戦後民主主義」を否定し、個人と社会との関係性の復古的再建、上からの公共性の復活、「愛国心の涵養」を求めている。

 引用されている「あらゆる関係性から解き放たれた「ほんとうの自分」があると思い込み自分探しまで流行っている」(小林よしのり戦争論』、私は未読)という文言は、土井隆義氏の『「個性」を煽られる子どもたち』にも出現している。「個性」や「自己」「アイデンティティ」が自分を覗き込むことのみによって得られるものではないのは論理的にはそうであろうが、それも所詮は主観の営みである。どうしてこうも「自分探し」が非難されねばならないのか。
 NINE氏の言うように若者を叩きたい人たちには「いらだち」というのがあるのであろう。

第一章 60年安保闘争から高度経済成長へ

NINEは、小林よしのり福田和也等が批判する戦後の個人主義、非公共性、公共への無関心とモラルの低下などの現象は、彼らの言うように戦前の国家主義的な統合力が「民主化」によって弱体化させられたのではなく、高度経済成長によってもたらされた「豊かさ」や生活様式の変化であったのであるということを論証する。
現実の諸現象を解明するに、こうした歴史的視座を意識的にすえる事で、表層的なトートロジーや単なる復古主義に陥らないことにNINEは成功している。

第二章 1950年代からの家電ブーム──「消費する主婦」の登場

マイホーム、家電(三種の神器)、専業主婦の居る夢のような、アメリカのような豊かな過程が宣伝され,高度経済成長期には、それを受け容れ・手に入れることができるようになった。
50年代までは「生活の向上」が切実な社会の課題であった。高度成長期にはそれは都会で個人生活を豊かにするという個人の課題となった。こうして、50年代の公共=社会へ向かっていた意識は、消費財の購入を軸とした私生活とその充実へと向けられるようになり、個人−社会の関係の変化は決定的になったのである。
ひとつ重要なことは、こうして私生活主義・個人主義へと人々の視点が移っていったのは「戦後民主主義」が浸透したとか、国家権力から教育と教師が解放されたとかいうことが要因ではなく、日本資本主義が自らの労働者の生活を市場として開拓したということが大きかったということである。


「消費社会」の進展と並行して、或いは「消費社会」の進展により青年たちの社会への「回路」が見失われてしまう。その最期的契機は全共闘運動の敗北と浅間山荘事件だとNINEは言うし、一般にも認められたことであろう。
しかし、「社会への回路」という点で言うと、レッドパージをしながら朝鮮戦争という肥やしを財界に与えて復活させた1950年前後の「日本人民」の敗北、旧支配層の復権というのは無視できないほど大きかったと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8

第三章 「大衆消費社会」に参加する大人たち

59年の岩戸景気から始まった高度経済成長は、女性たちを家電に囲まれた「専業主婦」とした。都会から出てきた男性たちは、終身雇用のサラリーマンとして、企業内に居場所を見出した。
高度経済成長はあらゆる分野でさまざまな新商品と新しい生活、新しい余暇を生み出し、発達するマスメディア──とりわけテレビと週刊誌──は東京から日本中へとこれらの新しい消費生活を広めていった。
圧倒的多数の人々が「節約・倹約」を美徳とした生活を送っていた日本は、この期より誰もが消費中心とした生活を送る社会「大衆消費社会」になったのである。
こうして、個人も購入-消費活動によって形成・陶冶されることになったのである。

中西新太郎はもう少し後の時代ではあるが、学校−家庭−消費社会というトライアングルサイクルの中で子どもたちは成長するようになったと言っている。(『若者たちに何が起こっているのか』花伝社 2004年)
良い大学・良い会社・年功賃金で終身雇用という伝統的日本型雇用のレールはこの頃敷かれたのであろう。

第四章 高度成長への反抗としての学生運動

60年代安保が終わり(敗北し)、大学進学率が増大するに従い、学生運動が盛り上がった。68年ころにピークを迎える学生運動は管理「社会」への反抗ではあったが、明確な社会変革の展望を示すこともできず、組織的にも分裂・内ゲバをくり返し、労働者たちからも支持されず、72年の浅間山荘事件で終焉を迎えた。
NINEは言う。

……〔70年代以降は〕「若者文化」が何から何まで企業の資本に取り囲まれていってしまった。
……〔全共闘運動とその世代は〕若者達は現行の社会システムに違和感を持つことや、それと自己のあり方を結びつけることや、システムを自らの手で変えていくことに挑戦した最後の世代だった。
 しかしそれが失敗に終わった後、若者達は社会の変革を通して自己の確立や他者との連帯を成し遂げるような回路を失っていく。

こうして青年の成長の過程は消費社会に取り込まれていったのである。

NINEは全共闘運動がともかくも私生活ではなく社会に対して目が向けられていたことを評価しているのだろうか。単に事実として述べているのだろうか。
私自身は全共闘運動が広範な運動であったとしても、幼稚な妄動に過ぎなかったと思う。その時代の雰囲気を生きたことがムダだったとまでは言わないが。
問題の一つは、彼等がマルクス主義を標榜していて、結果としてその暴力性・凄惨な私刑、そして無力ということが、政府の泳がせ政策のもと、マスコミに大々的に「これでもか・これでもか」と報道されたことであると思う。つまり学生の幼稚な反抗をネタに、マスコミを使って戦後のマルクス主義の徹底的なイメージダウン・勢力的無力化に政府が成功したこと。これが重要な側面だと思う。
続く世代の「無気力」「無関心」は体制側の思う壺であった。
「回路を失」わせしめたのは政府であり、その幕を下ろしたのはマスコミであった。私はそう思う。

第五章 学生運動から「ニュー・ファミリー」へ──団塊世代の方向転換

消費を生きる、消費が人の生き方=あり方となる。オイルショック以降、企業とマスコミによる宣伝と商品の洪水に人々(団塊世代)はすっかり浸され、広告と消費を浴び、消費と広告を飲み・広告と消費を血肉とし、個性も家族も消費で表現されるようになった。個性や家族は消費単位、消費様式として認識されるようになった。
生活に密着するようになった商品は、機能や意味で判断されるのではなく、好悪・感覚的な趣味判断(「かわいい」)によって取捨され、こうした感覚的な判断が一般化・習慣化していった。

第六章 「若者文化」とコミュニケーション──1970年代後半の若者たち

NINEの言う「産業構造」や「その変化」というのは私にとっては学習の課題です。
学生運動の敗北・終焉、ベトナム戦争終結により、社会や社会事象は共通の話題にならなくなった。社会・社会事象に対する是非を問う中で人間関係を構築するという青年の成長の回路は見失われていた。
オイルショック以後、青年の関心は私生活とその周辺に限られるようになった。私生活とはすなわち消費生活であり、同質・同類の商品(=記号・シンボル・商品階層・趣味)を共通の話題・媒体とする「分衆」が登場してきた。

第七章 高度消費社会に覆われる若者たち──1980年代と「新人類」

1980年代、日本の自動車対米輸出が「貿易摩擦」として問題となり、81年には輸出の自主規制が行われた。対米圧力により日本は内需拡大政策を採った。そして、「広告ブーム」「コピーブーム」がこれを受けた。

……生活に必要な製品はほぼ出回っており、この頃には「国民の9割が中流意識を持っている」といわれていた。つまり(「生活の質的充実とその課題」を副題にしていたこの年の)『生活白書』の「課題」は……「いかにいらないモノを買ってもらうか」であった。

商業アカデミズムの分野では、浅田彰が脚光を浴びた。

 全体主義を生み出した近代哲学の主体しそうに抗するため、西洋人が自らの問題として練り上げた(ポスト)構造主義思想が、日本では「一時的に対象に没入しつつ、しばらくしたらそれを突き放して次の対象を探す」というわかりやすい行動指針に置き換えられた。
 この行動指針は……次から次へとモノを消費していくことが求められていた当時の高度消費社会に適合した思想だった。他人と同じモノを求めることが次第に時代遅れになり……使用価値に乏しくデザインにしか差異がないような商品でも、舶来の記号論を用いてそれを消費することに意味を与え〔た。〕

同時に「情報化社会」が到来した。

「高度社会」と「情報化社会」が若者たちのあり方を強く規定していった。高度経済成長や学生運動のような「社会参加」や「熱い理想」に自己実現を託してきた過去が「ダサイ」と嘲笑され、大人世代もそんな新人類たちを新時代の旗手とみなしていく。

そうだなぁ、ダサイっていうのは、私の居住地ではもう少し新しくって、80年代前半には「社会参加」のような話題はまだ「ネクラ」だと言われたように思う。明るい消費行動ではなかったからかしら。

私、Ost Heckom はまさに新人類に分類される。後に言及される「おたく」と紙一重ということらしい。
時代と思想形成ということで付記しておきたいのは、70年代後半には「自由社会を守れ」というキャンペーンが大々的に張られたこと。一つの生ける未来像であったソ連アフガニスタンに侵攻したり中国で天安門事件が起こったりして、「社会主義大義」を大々的に傷つけたこと。中曽根首相が「共通一次試験は根本的に間違っていた」と言ったこと。第二次臨時行政調査会を発足させ、戦後政治の総決算をやると宣言した時代。たしかに、ケインズ型の政治は行き詰まってきていたのが高校生にも実感できたし、新しくできた『現代社会』という科目でもそう言われた。
個人的実感として、記しておきたいのは、共通一次試験の導入の前後で学生の質がガラリと変わってしまったことである。共通一次試験前の学生たちは「熱く」学生自治や政治や未来を語っていたが、導入後の学生たちはまさに「分衆」のようにサークルや同好会に閉じこもり自治については語らなくなった。
「情報化社会」の到来として、NINEは(一般には)インベーダーゲームウォークマンワープロ、パソコンといったものを挙げている。Ost Heckom はインベーダーゲームの世代だが、自身はやったことがない。パチンコも電動に変わったのがこの頃だが、これも一度しかやったことがない。ワープロはブラザーの日本語タイプライター1行入力ごとに印刷するやつを入手したが、学生時代に使うには遅すぎた。この頃のコンピュータのフロッピーはLPレコードのように大きかった。金額も100万円超。

「情報化社会」について唯物論はどう言っていたか? 「情報」は商品なのかそうでないのか、どちらであったとしてもなぜそういえるのかということを、聖典資本論』に照らして論争していたように思う。

最も異様に感じたのは、ウォークマンであった。公共の場に居ながら公共に注意を払わないことを公然化し、どこでも大音量の音楽に閉じこもる若者が外出しているのである。外界に居ながら外界の拒絶。僕らがまくビラも・街頭演説も、立て看もみんな拒否。身勝手が服を着て歩いている・電車でシャカシャカ鳴っている。学生寮自治会も崩壊。
若者は買った商品に閉じこもって個化してしまった。ウォークマンでシャカシャカ目の前を歩いている青年を見ると、恐ろしいような・腹立たしいような気持ちになって声もかけたくなくなったものだった。
言及されているように、この頃「幻想の時間」を金を出して買う・売るディズニーランドが登場して、これに喜んで行く人々が登場した。どちらかというと70年代の思考であった僕なんかは、頭のおかしい人が居るものだと、これも恐ろしい気がしたものだ。こういう感覚も私が古いタイプの人間だからだろうか。

情報化社会も、情報機器と情報サービスという新しい商品市場の開拓がなされたということ(それに過ぎない)であった。

後日、この項書き足す予定です。

第八章 「おたく」と新興宗教の若者たち──高度消費社会の落とし穴

80年代初頭から中葉まで、都市部ではワンルームマンションとコンビニエンスストアが激増。個化・個室化した生活が普及し、収入の少ない若者でも電話・テレビ・ビデオ・冷蔵庫などが入手しやすくなった。レンタルビデオ店が急増。
離婚や家庭崩壊も増加して「家族の危機」「家庭の危機」と言われるようになった。

89年宮崎事件によって「新人類」の中に居た「おたく」が露見する。
大塚英志は言う(語句編集)。

現実の世界にマルクス主義的な歴史像を描き出すことが困難になった後、その代償として、下層世界に歴史が求められていく。
……対人関係を忌避した結果「おたく」になるというのではなく、世界に意味を求め、他者との交流を通して世界観を成就させたいが、それが不可能になったから「おたく」系の文化を通して世界と関わっている。

東浩紀は言う。

……社会的現実が与えてくれる価値規範と、虚構が与えてくれる価値規範と、どちらが彼等の人間関係にとって有効なのか。
80年代の日本で、もはや社会的現実は価値規範を与えてくれなくなっていた。

であるのに、何も与えてくれない社会の有りようは問題にされず、「おたく」という特定人種のメンタリティだけが問題にされた。

「おたく」の虚構世界に依拠する行動原理は「オウム真理教」などの新興宗教にも共通していた。1980年代は新興宗教ブームでもあった。そこには、80年代の消費社会になじめなかった者、カネが優先されるバブル経済に馴染めなかった者、消費社会の中でさまざまな自己実現を目指しながら結局そのどれにも満足し得なかった者などが吸い寄せられていった。
80年代後半には「自己啓発(改造)セミナー」もブームとなった。三浦展によれば、社会に対する無力感が、自己啓発ブームの根底にあるという。

オウム真理教の信者の多くは、経済大国日本を支えた郊外中流家庭の出身である。したがって彼らが自分の不幸の原因が社会にあると考えることは困難であり、むしろ自分の親とか、自分自身に不幸の原因があると考える傾向が強まっていく。……もし自分が不幸であると感じ、そこからの脱出を求めるなら、自己そのものを修行によって変革し、まったく異なる自分に生まれ変わるしかない。……そこに自己啓発セミナーや新興宗教の市場が成立した。

NINEは言う。
自分の苦しみや不安の要因が「社会の豊かさ」にあったとしても、年長世代はそれを目指してきた世代である。誰もが商品の受け手になり、社会形成の過程に関われない閉塞感が、若者たちの関心を自己の意識と身体に向かわせた、と。

そういう意味では、いろんなことがめまぐるしく決定され・「痛み」を強要する今の時代は閉塞感は強まったが、不幸の根源は少なくとも政治であると誰にでもはっきりしたのではないか。問題はその不幸のすぐ向こうに幸福が待っているかのような宣伝を信じている者が多いということだ。

日本のマルクス主義に責任を負わすのはどうかとも思うが、やっぱりふがいなかった。消費社会化、情報社会化、多国籍企業化、日本での新自由主義、それぞれ別の・同じ資本主義の進展に対して、帝国主義論だ現代日本独占資本主義だとかの題名の文章を大学で給料や俸給を貰って量産していたであろうマルクス経済学は、人民に何を提供してくれたのか? あるいは経済学一般・社会科学一般がダメになったのだろうか。
マルクス主義研究年報、社会科学研究年報、唯物論、月刊経済、文化評論、科学と思想など共産党系の雑誌の相次ぐ休廃刊。それどころか経済評論、経済セミナーまでもが休刊する。
これは日本のひとつの不幸だったと、私は思う。

社会科学系・経済学系雑誌の休廃刊については興味深い歴史であるネ。

第九章 渋谷と女子高校生の深き関係──90年代消費社会と「援助交際

(10代の少年少女たちの流行の発信地たる)渋谷はもともと1970年代に西武コクドグループが若者向けの街として再開発した。街全体を単一のコンセプトで設計したことにより、渋谷は現在のような「消費」に特化された都市になっていった。

知らなかった。行った事も無い。18へぇ。

1971〜74年に生まれた「団塊ジュニア」世代……は中高生の頃から「若者論」の標的になったが、それはまた彼らの時代から企業の商品開発やマーケティングが中高生を中心の一つに加えていくことでもあった。
 「団塊ジュニア」の世代は親の団塊世代と同じく人数が多かったため、企業には彼等を取り込まなければ生き残っていけないという危機感があった。そのため「新人類」を対象とした若者マーケティングが頭打ちになる80年代後半頃から、10代向けの新しい商品がさまざまな分野で増えていく。

若者論・青年論・子ども論が、教育心理学や教育学におけるそれを別として、社会変革を展望した・青年の立場に立った若者論・青年論が登場しなかったか、論じられることは少なかったような印象を私も持つ。
 大衆論・青年論は消費行動の分析・予測に特化されたものがそもそも多かったのではないだろうか。

消費社会・情報化社会の低年齢獲得=低年齢層への浸透

……中でも重要なのは87〜88年頃に私立高校が行った制服のモデルチェンジである。人数の多い「団塊ジュニア」世代が高校へ入学し、後は入学生が減っていくだけという状況になった時、私立高校はお洒落な制服に変えることで多幸との生き残りを掛けた差別化を図ったのだ。

 これは学校教育までもが少年少女を消費社会の中に位置づけられていくことであり、80年代前半に校内暴力やいじめ荒廃した学校が、ブランドやファッションの記号へと意味を変えながら再興することでもあった。

消費社会の低年齢化と少年少女の社会関係・人間関係

88年頃から10代向けの雑誌が、アイドル・芸能情報中心からファッション・ダイエット・恋愛・生活情報などを中心に内容の方向転換をした。身近な生活情報は雑誌と読者の双方向のコミュニケーションが可能なメディアだと思われた。
企業の消費社会の低年齢化戦略は、低年齢層(女子高生)の消費社会への取り込みとともに、情報化を促した。
彼女たちは、ポケベル・システム手帳・雑誌などを媒介して商品情報のサイクルの中に組み込まれていった。商品=消費情報はこれら媒体によって企業と女子高生との間、女子高生の間を循環した。
NINE氏は、この情報化によって彼女たちの人間把握が情報化に適した「記号」化したのではないかという。すなわち、人間関係(認識)の脱人格化・物件化である。それは同時に自己関係(認識)の物件化=一面化=商品化=記号化=断片化である。
これに適合した自己感情や対人感情に基づき「援助交際」という名の売春行為が女子高生の側から流行した。

先回りと復習。
生活必需品以上のモノが商品に依拠するよう煽られた消費社会において、自己の目的が消費行為であり、消費行為でしか自己を表現できないという、「貧困」が人間関係に関する認識を物件化するのだろう、か。つまり、自己表現が購入=消費行為でしかないということが自己物件化といえるのだろう、か。単なる購買生活というだけでは人間関係の認識は物件化しない。それは販売者にとっては購入者は物件だが、購入する側では必ずしも自己の物件化ではないから。
むむむ、あまり満足しないぞ、この自分の記述には。
母親が乳児に必要なものを買い・あてがうのは商品の購入ではあるが、そのことで乳児は物件視されないだろう。しかし、乳児にブランド品をコレクションしてあてがうようになれば、乳児はブランド品を憑依させる「よりしろ」として機能する物件になる。

ともかく、企業群は浸透させたマスコミや情報媒体機器を使って少年少女たちを煽り・育成し、「消費に依存しなければ自己の感触を得られない」少年少女にしてしまった。

1990年代の消費社会と情報化社会が10代をターゲットにしたことで、ブルセラ援助交際といったそれまでの常識を超えた10代の社会現象を生んだ。少なくともそれを促進した。情報化社会の低年齢化が援助交際を可能にする「身体感覚」を生み出し、消費社会の低年齢化は援助交際の「目的」を生み出した。

第十章 少年犯罪と郊外消費社会の限界

郊外ニュータウン

1997年神戸連続自動殺傷事件は郊外のニュータウンに住んでいる中学生によるものだった。
「郊外」「ニュータウン」とはどういう生活域なのか。宮台真司は「同質性の圧力の仲での異質化競争」が行われるところだという。NINEの要約(引用?)

家に分譲と賃貸の区別があり、分譲にも収入に応じて三千万円や四千万円といったクラスがあり、それで生活水準が判別できるようになっている。では収入が同程度ならどこで差異をつけるかという時に、教育と車しかないという。これが実に息苦しい“競争”なのだ。

こうした競争の重圧圏に住む人々は「地の人」ではなく、互いに「よそ者」である。また町並みも「みせ」や子どもが遊ぶ公園もなく(商店街は駅前に集中)、人は道を車で移動する。道端で立ち話をする姿も無い。みんな、外出しなければ家の中で家電やレンタル商品を消費するしかない。
東京のような消費社会を招来・誘致したその地域が、元から「何もないところ」もしくは伝統的な地域社会の破壊が徹底したところほど、その地域は消費のための地域に純化されていくのではなかろうか、とNINEは言う。いずれにしろ、「消費社会」「郊外」は他者との差異を認め合いながら共存できるような、他人との葛藤の中で青年のアイデンティティを確立できるような場所ではないのである。

……郊外こそ戦後日本が果たしてきた消費社会化が最も『画一的』で『隙間無く』達成された場所なのだ。
……ニュータウンでは「自分らしさ」を発揮すると思われている消費行為すら均質化されているのだ。
……三浦は「郊外では、人生が思い通りにならないとき、それが「失敗」だと感じられる。……失業した夫とフルタイムで働く妻と勉強嫌いの子供の街としては〔郊外・ニュータウンは〕設計されていないのだ」と述べている。

近年、少年犯罪が大都市ではなく地方で起きているのは、こうした郊外ニュータウン社会が全国へ広がっているからだ(三浦展は)という。しかし、消費社会化された郊外の青少年に与える影響はまだ社会的に自覚されていないので、少年犯罪は「キレる」と認知されてしまっている。

情報化社会・消費社会と個人

ビデオ・インターネットその他のニューメディアが少年犯罪の元凶として槍玉に挙げられたことがあるが、

 ニューメディアが悪いのではなく、それを異質な他者と現実の中で公共空間を作るためのツールにできないことが問題なのだ。与えられたモノを消費者として使うだけなので、自ら能動的に使いこなすことができないことが問題なのだ。
 そう、消費社会とそれに主導される情報化社会は、「個人」と「公共」を結び付けるよりもむしろ一人ひとり消費者として分解させるのである。それが最も純化されたのが郊外ニュータウン社会であ〔る。〕……

前時代からの解放としての、糸井重里がコピーに託した(彼に託させた)「いらないモノを買う」=自己表現・新しい生活──(実は煽られた)自分なりの欲望に忠実になることは消費社会の枠の中で資本の運動の中に包摂されていた。

NINEは、「戦後社会の失敗……その失敗とはこれまで何でも(何度も)述べてきたように、全時代からの『解放策』を消費社会の枠組みの中でやり続けてしまったことだ」と言う。
しかし、今のところ私には「解放策」がどういうわけで「解放」と言えるのか読みが悪いためかわからない。
消費社会・情報社会における差異をも飲み込む均質的な消費行為と少年たちの自己実現とは適合性が無い、だから一連の少年犯罪が生まれたのではないか、とNINEはこの章を結んでいる。

大きな異論は無いのだが、発達心理学の知見を踏まえた分析が必要なのだと思う。

第十一章 止まらない消費文化の低年齢化――2000年代の小中学生

90年代後半には雑誌、テレビ、音楽などによって小学校高学年〜中学生の少年少女が消費社会に取り込まれていった。
子たちへのインタビューや雑誌の内容などを見ると、ファッションや性が内面化されていることがわかる。

早い子は小学校高学年から消費社会の中での「自己実現」が要求され、「自己実現」を求める心性を植えつけられる。しかし、それをこれまでの成長コースであった企業社会や、昔の学生運動のような公共的な関係の中で果たそうとすると、自分や他人を傷つけることになりかねない。だから消費社会で早い内から主役になるしかない──。それが現代の多くの少年少女が置かれた「個人」と「社会」の関係だと思われる。

しかし

いくら消費の能力に優れていても企業社会はそれを採用の判断基準にはしない

かくして、少年少女の自己実現人生は消費社会にデビューして企業社会に出るまでの約10年弱の間で終わってしまうようである。


第十二章 「若者文化」からメタ・コミュニケーションへ──2000年代の若者たち

80年代に比して90年代はさらに若者文化は細分化され・していった。ファッション・音楽をはじめ、若者・少年少女たちは相互に交流・通信不可能なこまごまとした数人で構成される「島宇宙」に分かれている。
携帯電話の普及により、島宇宙の中では内容に乏しい携帯電話を利用した意識の相互志向の相互確認がなされていて、これが自己確認にとって重要になっている。すなわち始終「つながり」を確認し合わなければ不安になってしまうという人間関係・「つながり」が目的の人間関係(依存感情が主な内容の人間関係)が支配的になってきている。
90年代に入って後の「おたく」文化は、従来の一定の世界観やメッセージを背景にした「大きな物語」であったものが、「キャラ萌え」といわれる断片的・記号的なキャラクターや設定への感情移入という消費行動となった。このことは企業の側からすれば、「萌え」を掴めば売上が伸び・「萌え」をコントロールすれば収益が安定することを意味する。

……若者ファッションや音楽の細分化は80年代初頭の「多品種少量生産」計画が10代の少年少女の消費生活にも降りてきた結果であり、人間関係の細分化も視野の狭さもそれに伴って起こっている。
また「自分の身の回りが大事」と思わせているのは、90年代後半以降の携帯電話が若者を最大のターゲットにしており、今や日本の産業を牽引するランナーになったからだろう。
そして欲求をすぐに満たしたがる「おたく文化」は今や世界に通用する日本のコンテンツ産業に変化しており、それもやはり80年代のような物語性を失った純粋(かつ単純)なキャラクター産業としてのようだ。

社会的に自立する方途が無くなっていく状態で消費とメディア漬けにされている若者は今後どうなっていくのか、危惧される、とNINEは言う。

終章 「無限消費社会」を超えて

1:高度経済成長以降の日本社会の本質

NINEは、個人の自由な行動や自由を求める行動までもが消費社会に先回りされていて消費社会に回収される社会、換言すれば自由だと思ってとった行動が実は消費社会にお膳立てされているような社会、あたかも孫悟空に対するお釈迦様のような消費社会、絶対的で無限な包摂者としてたち現れる消費社会を「無限消費社会」と呼ぶ。最近思い出したヘーゲル風に言えば「消費社会の悪無限」である。
このことと直接的な同一ではないが、公共心の希薄化・規範意識の希薄化・青少年のアイデンティティやその確立の危機とそれが原因の青少年による犯罪などが消費社会の浸透・進行とともに顕現してきた。
これに対して復古的な愛国心の注入・涵養による再統合や諸問題の解決を唱える派があるが、NINEはこうした歴史や構造を無視したやり方には反対するし、「解決」にならないと主張する。

それではどうすればよいのか。

「公」を「日本の風土や価値観」といった抽象的な概念で捉えるだけでなく、どうすれば社会経済システムとして可視化し、私たち一人ひとりがシステムの解体と再構築に関わっていけるかということではないだろうか。また「国」と「公共」を安易に結びつけるのではなく、中間集団を充実させる方法が問われているのではないだろうか。

少年少女犯罪や、若者たちの人間関係の細分化を改善するには、より多くの人が今の社会構造を把握したり自分なりにまた作り直していけるようにするべきではないだろうか。

ここでは、NINEは問題解決のためには「公」や「社会」にわかりやすく参加していくこと・参加をわかりやすくすることを提案している。結局、労働者・国民、少年少女は単なる受身の消費者として、消費に適合するようなゆがんだ形に疎外されているのだということだろう。この疎外状態の克服が必要だというのである。

2:未来に向けて

現代日本では人が自由になろうとするほど消費のターゲットになってしまった。このように何をやっても高度消費社会に回収されるようになった事態を、筆者はここで「無限消費社会」と呼んでみたい。

小林や福田らの右派イデオローグは戦後、そして最近の若者の意識の変化を問題にし、「愛国心」という意識を対置するが、それは原因を歴史的に解明したものではなく、問題は解決しない。「愛国心」で「無限消費社会」の弊害は解消しない。

社会の消費社会化・情報社会化は人々がその手によって創出したものではなく、資本の活動が作り出したものであった。多くの人々は消費社会・情報社会のシステムを認識していないままであって、それらは一部政治家や官僚に手にゆだねられているままである。
したがって、人々に大切なのは「愛国心」や「公共心」「規範意識」などを植え付けることではなく、疎外された情報社会の再獲得である。情報社会システムの解体・再構築に可視的に関わっていくこと、それが可能であるようにすることが大切である。
また、「公共」と「国」とを安易に「=」で結びつけるのではなく、その中間集団を充実させる方法が問われている。

人々は目先の未来・幸せを求めて、そうとは気づかぬまま「無限消費社会」に至ってしまった。疎外された社会の流れに主導され自己の願望が作られていることに疑問を持たなかった結果ではなかろうか。このことが自覚されないままでは次世代も同じことを繰り返す。


2003年イラク反戦運動はいくつかの可能性を示すことができた。
消費社会の流行によって断絶された諸世代が共通する課題で結びつくことができたし、硬直した組織を媒介しない流動的な運動形態は多様な人々の参加を可能にした。インターネットなどの消費社会のツールも連帯のために主体的に活用された。これらの運動の中で参加者の視野も広がった。

(戦後という)歴史をよく検証し、(消費資本主導ではなく)人々が自らの意思で社会の方向を決めていけるように、そしてそこに若者も参画できるように環境を整備していくことが必要である。

ようやく、読み終えた。面白かった。
しかし、どうも私は色んな情報を関連付けて纏め上げていくという能力がどんどん劣化してきているようなのだ。自分でももどかしい。NINEの文章も単一のイメージになかなかまとめ上げられない。
ここでは、私の読みがこのようなものであることを確認しておくにとどめおく。
新人類の私としては80年代については色々付け足したいこともあるし、それを予告しているところもあるけれど、意識と志向がどんどん拡散するばかりなので、別の機会に譲りたい。
2006/04/13