▼スポーツで強くなる集団や練習は、必ずしも人格を十全には形成しない

柔道“金メダリスト”教え子少女をレイプ…「合意の上」と否認

夕刊フジ 12月6日(火)16時56分配信

 東京都内のホテルで女性に酒を飲ませて乱暴したとして、警視庁捜査1課は6日、準強姦の疑いで、アテネ、北京両五輪の男子柔道金メダリストで、元九州看護福祉大女子柔道部コーチの内柴正人容疑者(33)を逮捕した。同課によると、「納得できない。合意の上だった」と容疑を否認している。

 逮捕容疑は9月19日、合宿先の都内ホテルで未成年の女子柔道部員に酒を飲ませたうえで乱暴した疑い。同大はセクハラ行為に及んだことが発覚したとして、11月29日にコーチと客員教授を懲戒解雇した。

 09年4月、新設された九州看護福祉大女子柔道部のコーチに就任。得意技はともえ投げ。160センチ、血液型はB。家族は妻と1男1女。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111206-00000000-ykf-spo

ものすご譲って「合意」なるものがあったとしても、未成年に酒を飲ませ、さらに「不貞」を行為した時点でアウトの上退場。


猪熊嘉納治五郎は、柔道で人格を磨くことを目指したが、一方で「不逞の輩」を「根治」するには到らなかったことを認めている。「柔道をやっていなかったらもっとひどいことになっていただろう」とは、負け惜しみである。


強くなる、勝つための練習や集団というものが、全能ではなくむしろ、それだけでは偏ったものであるという、バカでもわかる時間の使い方の一面性について、早く気づくべきである。
勝つ・強くなるということに、やたら価値を持たせ、特定の権威を持った人格を媒介に結集させられているということの「ゆがみ」に気づくべきである。
スポーツの指導者は神でもなければ王でもない。もしかしたら女性のスポーツ選手は、異性の指導者に対して明確に大きな距離を置いておかねばならないのかもしれない。
「強い」者は往々にして「弱い」者を従わせることに快感を覚える。「弱い」者は「強い」者になかなか逆らえず、逆らう気持ちすら薄れてしまうのではないか。かの柔道部にそういう雰囲気がなかったか。
今回のような事態が出来したことが、部員たちの主観的な気分と大きなズレがなかったとしたら、部員たちの感覚も、批判的に反省されなければならないのではないか。「被害」者の女性が未成年だったかどうかではなく、どのような気分・感情・雰囲気が、どのように醸成されていたのか、検討されねばならないのではないか。