▼不熟のままの青年

産業社会から消費社会への転換と自我の不熟

牧野篤「競争的環境で大学生はどうなっているのか」『日本の科学者』(Vol.43 2008. 1、本の泉社)をナナメに読んだ。
青年論としては成育歴のとらえ方が「消費社会」論に偏っているし、青年たちは否定的に描かれている。
要は、青年たちは消費社会が求めるように成長してきたので、論理的に一貫性のある統合した自我を形成することができずにいて、つねに外的な差異にのみ敏感で、かつ消費者としての自己中心性=幼児性を肥大化させたままである。
それで大学でも授業が成立しないし、論理で話しているのに、脈略なしに単語に反応して会話にもならないし、レポートもめちゃくちゃ。
青年論は、それが否定的に語られるとき、青年を形成してきた・現に形成している社会に対する警鐘としての意義は小さくないであろうし、「うまいこと」現象を説明するので面白くかつ扇情的である。
だが、本論は青年の苦境についても語られず、青年の未来についても語られていないように思われる。
われわれは目の前にいる青年・学生に未来を見なければならないのだから、社会が悪い・青年が変だと嘆いているだけの文章はあまり有益ではないのではなかろうか。


ちょっと忙しくてもう読みたくないのだが、誤読であればご教示願いたい(誤読であることを望む)。