▼期待を察知して先回りすることのストレス

親や教師の期待を察知して先回りする

公園に連れて行けば、ブランコをし、砂場で山を作り、鳩を追いかけ、ボールを投げてみせる
公園にお友達がいれば、遊ぼうと声をかけて笑ってみせる
キャンプに連れて行けば、自然を体験してみせる
「楽しかった」とか、「感じたこと」を上手に書いてみせる。またキャンプに来たいと半々な気持ちで書いてみせる
全て、親や教師の期待通りである。
親の期待、教師の期待を裏切らないよう、期待を裏切ったことによるオトナの反応によって、自らが傷つかないよう、必死になって遊んでみせる・学んでみせる・表現してみせるのである。
時には「チョイ悪」さえ演じてみせる。


そんな子が、規範やルールを破ることができるだろうか。アンケートの「正義」の項目以外にマルをつける勇気がどれだけ発揮されるだろうか。

裕福な家庭に生まれたら

平成10年「子どもの体験活動等に関するアンケート調査」は、例えば
毎年ことあるごとに野外活動やミュージアムに連れて行ってもらえるような時間と資金と心理に余裕のあるような家庭の子どもたちに「体験」が偏在していないかとか、家に帰れば必ず母親がいる家庭の子に「お手伝い」する子が偏在していないかとか、そういう検証はどうなっているのだろうか。
裕福な家庭で、お手伝いをするような聞き分けの良い子、つまり規範意識の高みを回答できる子どもらこそが、よく野外に連れて行ってもらえているのではないか。
貧乏暇なしで、鍵っ子で、ひとりで夕食を食べねばならない子はキャンプに連れて行ってもらえる体験は少なくならないのか。
また何より、「自然」の多い田舎の青少年の「正義感」や「規範意識」はどうなのか。


アンケート結果のよくある解釈は、その結果の読み方が逆の可能性をどうして考慮しないのか、わからない。