▼80年代のマルクス主義イデオロギー論と青年論

一つの典型──「イデオロギー」と言い出すと何でもかんでもイデオロギーになっちゃうのだ

ここにノートするのは、80年代のマルクス主義におけるイデオロギー論・青年論・人格論についての考え方の典型のひとつと思われるものである。

上野 俊樹 氏「イデオロギーと人格形成の危機」『文化評論』No. 263(1983年2月号、新日本出版社

80年代に入ると、60年代・70年代までに自然破壊、健康破壊、労働者の中流幻想下における相対的低賃金・ローン地獄、ロッキード事件を始めとする政治家の腐敗、中曽根首相の靖国参拝や「不沈空母」発言など、これでもかこれでもかと資本主義社会日本の諸矛盾は顕かになってきた。確かに経典のごとく、資本主義は独占資本主義の末期的な段階で腐敗しつつあるとマルクス主義者たちの目には映ったのだろう。
一方でソビエト軍が1979年にはアフガニスタンに侵攻、81年には中国で文化大革命が否定されるなど、社会主義諸国も未だ「生成期」、或いは混迷、スターリン主義の色が濃かった。日本と世界の保守勢力は「自由社会を守れ」というスローガンを掲げた。
日本の学生運動共通一次試験(後のセンター試験)の導入の前後までに、学生自治会の自然消滅などが相次ぐほか、「シラケ世代」「新人類」など個人主義的風潮が「青年学生の保守化」などとして問題になった。学生運動の一定の拠点となった学生寮筑波大学で個室制となり、一部学生の反対を押し切って・多くの新入学生の要求に沿って個室化が進んだ。言わば「アジア的」な雰囲気が学生寮から消え去っていき、寮自治会も戦闘性を喪失し、行事団体・建物管理団体へと「後退」して行った。国立大学の学費も、バイトすればなんとかなるという年間数万円の学費は、またたくまに親の月給一ヶ月分・二ヶ月分、ボーナス全額へと値上がりしていった。
つまり、日本と世界の諸矛盾に若い怒りで立ち向かって欲しい青年たちが「ウォークマン」だとか「マンガ」だとか個的世界の中に閉じこもり、非社会性の代名詞としての「萌え」や「オタク」の走り(当時は二次元なんとかだとか言われたりした)のような状況になっていて、政治は保守系を選んでしまうボテボテの現状肯定派ばかりに目に映ったのである。
社会病理的な青少年の犯罪も目立つようになり、「人格」という言葉で(犯罪者も含む)青年たちを問題にしたくなった時代である(まぁ、以前からだしそれ以降も「人格」問題はあったけど)。


上野氏はすでに故人であるが、当時の問題意識が凝縮されたような題名の文章だったのでとってあったのだ。今読み返してみると残念ながら、少なくとも私はがっかりするようなことしか書いてないのだが、当時の雰囲気というものの一端を覗くことができると思うので、記録しておこう。以下は引用抜粋というよりは要約。

一 土台と上部構造

ここ「一」では、マルクス主義教科書に登場する

などが概説される。

ニ イデオロギー

イデオロギーの諸規定

  1. イデオロギーは上部構造であり、経済的土台によって究極的に規定されている
  2. イデオロギーは、イデオロギーが経済的社会関係によって究極的に規定される社会関係を反映する意識である
  3. イデオロギーは実践的規範意識である
  4. イデオロギーは自らの発生理由を知らず、ひとたび発生すれば「一人歩きする意識」である
  5. イデオロギーは階級性を持つ

イデオロギーとはこういうものだというお話。第五規定は精神労働と肉体労働の分裂、階級支配と国家、支配階級のイデオロギーの実践性などが説かれる。
イデオロギーは意識である。意識は人間である。人間は意識を通さずに社会の仕組みの中に投入されている。だからイデオロギーは意識なんだけど、自然発生した社会に影響されている性格を強烈に持っている意識である。イデオロギーは観念なんだから、社会にありえないことも考えちゃう。人間の行動は汎イデオロギー的であり、階級社会では階級性を帯びている。


三 上部構造の独自性

イデオロギー階級闘争についてのFAQのようなこと。一人歩きする意識はどこまで一人歩きしていくのかとか、経済的危機は政治的危機なのかとか、グラムシとか、アルチュセールとか。もっともこの段は向井敏彦氏から仕入れた話が多そう。
階級闘争イデオロギーの空気の中で行われるので、言わば支配者の吐く息である空気を吸いながらも、それに酔ってしまわないようにしなければならないのだけど、ここのカラクリは難しい。


四 人格の形成に対するイデオロギーの役割
  • 土台における危機の激化と学生の「保守化現象」

経済的危機はさまざまな社会的諸矛盾を激化させているのに、「敏感」で「革新」志向の強い学生は保守化現象を呈している。これはどうしたことか。

学生も社会的存在であり、しかも、出身階層の比較的高い出自のものが多い。そういう強烈な中流・中の中・中の上的な意識・イデオロギーを背負っている。

川合章氏(教育学者)によれば、「競争率が九倍もある、東京のある私立学校のことですが、最近は給食のミカンを自分でむいて食べることを知らないような子供が入学してくる」(『人格の発達と道徳教育』)そうである。これは学力偏重のなかで明らかに人間としての「生きる力」を失った子供の例である。
 私(上野氏)はイデオロギーを顔を洗うことや歯を磨くこと、要するに基本的生活習慣の形成に関わるような実践的意識としてもとらえているのであるが、この子供の例はこうした実践的意識をその人格の内面において形成していないし、形成されていないのである。学力偏重という階級社会の歪みがこの子供の「生きる力」としての実践的イデオロギーを奪ってしまっているのである。科学的認識は、人類の長い歴史が示すように、人類の労働による生産的実践とともに発展してきたのであり、「生きる力」を子供から奪ってしまえば、本来の意味での科学的認識に連なる学力が形成されないことはいうまでもないことである
 こういう極端な形態ではないにしろ、今日の学生は、多かれ少なかれこの階級社会の中で、基本的生活習慣のような「生きる力」としての実践的イデオロギーを人格の内的条件としてもっていないのであり、これが学生の「様がわり」の一つの要因であり学生を科学的認識・理論になじませない一つの要因となっているのである。だから、真に民主的で人間的な人格形成をするためには、こういう実践的なイデオロギーを幼少時から育成しておくことが大切なのである。
 こういうことが人格形成に関わるイデオロギーの役割の第一のことである。

まあ、歯磨きができない学生が増えていて、これが科学的知識=マルクス主義になじめない人格的な要因であると。共産党や民青は青年たちにビラをまく前に、歯ブラシとミカンを撒くべきだと。そして点検。
ここまで読めば、よくも『文化評論』ともあろう総合誌がこういう文章を載せたものだと思うのだが、当時の頃までのマルクス主義者という人たちは、自分の頭で考えるというよりは、「事実の中に経典を発見する」、「経典を使って事実を説明する」ということに気を配っていたので読み手も「事実の断片とえらい共産党系・社会党系の学者の引用する経典との照合」ということに気が行ってしまったのだろう。
上野氏に寄り添って言えば、科学的知識は静的な知識に過ぎず、それを「身に着ける」には人類史的な経験や産業の成果であってもイデオロギーという実践的規範的意識を介して実践されねばならないのである。歯を磨かねば虫歯になるという衛生的知識も歯ブラシや歯磨き粉などの実践的な道具で具体的に習慣として身につけられるくらいにやっとかないと、その衛生知識は死蔵されてしまうということだろう。マルクス主義は全ての科学的な知識の集大成であるから、歯磨きができない人は『資本論』も本当の意味で理解することはできないし、真に民主的な人格も形成されない。

親子の相互の人間関係はイデオロギー的関係である。つまり実践的・規範的関係である。親がゆがめば子供がゆがむのは親子関係がイデオロギー的関係であるからにほかならなぬ。
最近話題の登校拒否は、親の子離れ不全が原因。親の子離れ不全とは社会性の不全であり、すなわち自立不全である。当然子も自立不全で意志薄弱である。顔を洗ってあげて・箸も持たせず食べさせてあげて、授業の時間割も見てくれるという親の子は「生きる力」がない。だから「サークルに入らへんか」と言っても「親に聞いてくる」とたわけたことを口にするのである。

大切なのは「親の幼児性」というより、親子関係が「イデオロギー的関係」だということ。親のイデオロギーが子に「反映する」ということ。「反映する」というのもマルクス主義のアンテナに引っ掛けるためのキーワードとして大事です。「規定する」と「反映する」とどう違うのか、ロシア語やドイツ語に遡って研究したりすることも大事です。

ラカンさんやアルチュセールさんもイデオロギーが色眼鏡としての役割を果たすと言うておられる。

このイデオロギーの作用は、科学の端緒となる事実を感性的意識に反映させないということであり、したがって、こうしたイデオロギーの所有者は科学的認識にどうしてもなじめないということになるのである。これはイデオロギーの科学的認識に対する批判的役割である。
それでは、どんなイデオロギーがこういうイデオロギーとして妥当するのであろうか。現代においては、それはやはりブルジョアイデオロギーであろうが、たんにブルジョアイデオロギー一般ではなく、帝国主義の衰退性、腐敗性を反映するイデオロギーである。人権宣言に見られるような上昇期にある資本主義社会で生まれでたイデオロギーは進歩的で革新的なブルジョア民主主義を中核としており、このイデオロギーは積極的に科学的認識を要求するのである。

支配階級のイデオロギーでも、「良いイデオロギー」と「悪い・非科学的イデオロギー」とがあるんである。

民主的な人格形成と科学的イデオロギー

見てきたように、汎イデオロギーな生活を送っている被支配階級や学生はどうなるのか。
心配するな。

経済的土台の矛盾の激化がイデオロギーイデオロギー的社会関係のある側面に着実に規定的な影響を与えているのであり、したがって、上部構造における階級闘争が被支配階級に有利に展開するような局面が着実に準備されているといえるのである。

上野氏によれば、準備しているのは経済的土台であり、準備されているのは上部構造における階級闘争である。

  1. 社会的諸矛盾の激化は被支配階級のイデオロギーに影響を与え、
  2. ……(彼らの)イデオロギーは彼らの社会状態を根本的に解明した科学的認識を積極的に要求するようになる。
  3. ……マルクス主義的な科学がこのイデオロギーのなかに浸透することによって、
  4. 被支配階級のイデオロギーは科学的イデオロギーに転化する
  5. この科学的イデオロギーは、……労働を基礎とする人間諸活動が作り出した外的諸条件が民主的な人格(=共産党支持)形成に必要であることを積極的に認める
  6. このイデオロギーは民主的な人格(共産党支持者)の相互作用による新に自由で平等な社会関係の形成を主張する。
  7. 科学的イデオロギーマルクス主義)を所有することを要求する民主的な人格をもった親(共産党支持者)のもとで成長する子供は、……ある程度、支配階級の虚偽的イデオロギーから防衛されて、「生きる力」に満ちた実践的イデオロギーを身につけながら成長することができるし、エセ左翼にはならない。

民主的な人格として成長することを要求する勤労者、労働者を中心とする被支配階級の動向は、結局は学生層の動向を規定づけ、
学生層を科学的認識を要求するイデオロギーの所有者に転化させ(民青同盟に加盟させ)、
彼らが民主的な人格(共産党支持者もしくは共産党員)として成長することを援助するであろう。

もう、何も言うまい。「(・∀・)キター!」と打鍵したいのを抑制しよう。


一読しての感想は、これは有害な論文です。

蛇足

誰も青年を捉えることができなかった。青年を捉えたのはウォークマンだったり、ファッションだったり、スキゾで冷めた精神生活スタイルだったのか。
それにしても、この量的には最大のマルクス主義陣営の混迷ぶりについてはもっと批判的に分析・総括されねばならない。