▼国家、公共と青年の課題

せっかく入力した文章なのに、どんな操作上の誤りがあったというのか、消えてしまいました。

NINE氏の、「戦後日本とは何か?」はようやく最終章の読みに入ることができました。


「戦後日本とは何か?」は冒頭から、国家・公共ということを課題に挙げている。

人権を侵害する国家

現実には、日本は国旗・国歌を法制化し、国家のシンボルとして法形式の根拠を与えた。そして東京都を先頭に、これらシンボルに対して一定の筋肉動作を一律に行うよう、教員を介して教員自身と子どもたち・青年たち、親たちに強要している。そしてこの動作指示に従わない教員や親・子らには処分や低い評価という不利益が与えられている。
いくら人の内面が直接に筋肉ではないとしても、この筋肉動作は表現である。思想信条の自由は表現の自由と一体でなければ存立し得ないし、表現を強要するのは思想信条の自由、基本的人権の侵害である。こうしたシンボルを拝めという指示命令自体が人権侵害だと言わねばならない。
ああ、でも国家というのは基本的人権を侵害するのが根本性格なのかも。自由権基本的人権はすべからく国家からの自由なのだから。

国家の道具としての・・・

それにしても、一方で青年たちは国家・公共から自由ではない。消費社会に埋もれて、耳道を携帯電話とイヤホンで塞いで暮らしても、視界をディスプレイの光や原色のあれこれで埋め尽くしても、経済的・経済外的強制は青年たちを埋もれた暮らしから引きずり出して、徴兵や放射能に汚染された不健康へと徴発していくだろう。
国家という曼荼羅本尊を拝み・国歌という真言を耳にしてありがたく浄土に行けと。誰のために? 国家と一体となった浄福な自らと家族のために。