声を控える必要は無い

暉峻淑子『格差社会をこえて』岩波ブックレット№650 2005年4月

「ムック」とか「ブックレット」とかはそれぞれ「マガジン」と「ブック」、「ブック」と「パンフレット(リーフレット)」との合成造語だと思われる。岩波ブックレットは「ブックレット」であるから字も大きいし・従って文字数も少ないから、悪く言うと論証抜きの主張も少なくない。そういうものであろう。まさに「読みたい人が読む」ということなのだろうか。
それにしても、どうも小泉首相の「格差は悪くない、ねたむのが悪い」発言(2006年2月1日参議院予算委員会答弁)によって「格差社会」がより広く世間に認知されているにもかかわらず、資本主義社会の当然の属性としてこれを正当化し、格差を是正すべきであるという声を上げるに躊躇したり声を控えたりする向きが無いだろうか。
まず、本書の冒頭は「生活者は格差社会を望まない」という表題で始まるところが堂々としていて小気味良い。


以下は抜粋ではないノート

広がる日本・世界の格差

  • 2003年、日本の自殺者は3万4427人。大きな原因は経済的理由。
  • 1960年、世界人口の下から20%と上から20%の所得格差は1:30だったが、2000年には1:78(世銀「世界貧困報告」)である。
  • トヨタでは100万円超のボーナスが出たのに、パートやフリーターにはボーナスがないという格差が当然の風景になった
  • 1998年総務省の家計調査では老人世帯の貯金取り崩しは2.6万/月だったが今や5万円に達している。
  • 税、社会保険料の国民取得に対する割合(国民負担率)は36.9%だが、赤字国債を加えると49.2%である。
  • 400万人にも及ぶフリーターの30歳以下の平均年収が106万円、消費支出が103.9万円でしかないことは、同年齢の正規社員の平均年収が387万円、消費支出が282.9万円であることに比べると大きな格差である。
  • 生協家計調査によれば、年収300万円未満の家計では収入に対する消費税の割合は3.67%であるが、1000万円を超える家計では1.76%であり、消費税は低所得者に対して逆進的である。
  • 日本の会社の99%が中小企業である。従業員5人以上の事業所で非正規社員は34.6%であるが、小売・卸売・飲食店・サービス業では40.2%、とくに飲食店では72.8%が非正規雇用である。正規非正規の格差は男性で100:48.9、女性で100:64.9である。
  • 規制緩和・自由化は農業と自営業を破壊してきた。農業では1200万人(1960年)→172万人(2000年)。
  • 2000年頃から正規雇用は400万人減り、非正規雇用は368万人増えた。03年の調査では非正規社員は1555万人を超えている。

暉岡テーゼ集

  • 藤田省三氏が言うように、日本社会の「便利と安楽を求める全体主義が、人々から豊かな生活体験を奪い、考え方までもが、機械的、表面的になっていることを誰も否定できないでしょう。子どもたちがコミュニケーション能力を衰退させ、人間関係をつくることが下手で、ひきこもったり、すぐにキレたりする、……
  • 高齢になるまでフリーターを強いられ、ついには新自由主義者の言う選択の自由も現実には無いに等しくなる。憲法25条の生存権規定も第29条2項(公共の福祉)の規定も格差や賃金差別・社会保障差別について力を持たない。
  • 「あまりに隔たった格差社会の中で暮らしていると、人々は相互に理解し合うことがむずかしくなり、ちょっとした世論操作で対立し憎み合うことも起こります。民主主義社会は話し合いで合意を形成する社会ですから、格差と差別の社会は民主主義とはあいいれません。根本的な意見の対立を無理に統一しようとすれば、力によって従わせるか、批判精神を失った従順な人間を育成することになるでしょう。」
  • これまで人間が平等への努力を続けてきたのは、人権の思想からも、社会の安定からも経済的繁栄のためにも差別より平等のほうが良いとわかっているからである。
  • 経済的理由で自由を束縛される人がないように社会保障制度をしっかりしたものにした。不安定な生活や貧困は、人を刹那的な判断に走らせ、ヒステリックな付和雷同現象を生みやすい。世論操作されない批判力には生活の安定が欠かせない。(ドイツ、ワイゼッカー元大統領、暉峻に対して)
  • 一部のエリートが社会を支配すればよいというようなことを財界や政府は言う(宮内オリックス社長、三浦教育課程審議会前会長など)。真に優れた者が「出世」するようなら大企業の暴力団への利益供与や欠陥隠し、汚職、ルール違反の取引、違法な天下り等々は発生するはずがない。
  • 人間社会は自然発生的には平等でも自由でもないからこそ平等と自由を求める努力がなされているのである。
  • 企業適合型の人間だけがいい暮らしをして、そうでない人はパートで貧しく不安定な人生を送る。これでは自由で豊かな価値観をもつ社会は構築できない。
  • 労働者界の二極分解はあっという間であった。労組は破壊され、解体されあるいは労働者の利害を企業の利害に置き換え、パート労働者との連帯や同一労働同一賃金への努力も忘れてしまった。市場原理・競争社会に対する抵抗力は弱体化してしまっていた。リストラされなかった労働者は安心し解雇された仲間を助けなかったどころか、リストラに手を貸したりした。「二極分解の下地となるのは、負け組みは無能な者だ、と考え、人間としての連帯より、相手を見下し、自分を守ろうとする条件反射……格差依存症です。そして、自分を守るためなら、生活者としての権利をやすやすと捨ててしまう習性です。」
  • 人員削減をし、仕事があっても正社員を解雇して非正規雇用や派遣を入れると会社の格が上がり銀行も融資をするし株価も上がるという奇妙な社会になった。
  • 資本主義社会の自由経済のもとでは、どうしても経済的な格差が生まれ、それが社会と個人から自由を奪う。だから民主主義社会では「応能負担」の原則によって、富裕な法人や個人にはより多く課税し、貧困な人には、軽い税を課す累進課税の制度が採られている。これにより国家の手による「所得の再分配」が実現する。人権の保障も民主主義の制度も累進課税所得再分配によって守られているのである。
  • 健康で文化的とは、飢え死にしないだけでなくWHOが言うように、社会から排除されず、人間としての生きがいをもって生きることを意味する。社会が作り出した格差と差別のために望む人生を拒否される者がいるというのでは、人類が営々と努力して実現してきた自由と人権の平等社会は交代してしまう。

参考:http://www.who.int/about/definition/en/

WHO definition of Health
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

ますます格差を拡げる「格差社会」の仕組み

消費税

ブックレットに習って、ネットで得られる資料で乱暴な計算をしてみよう。
http://www.toyota.co.jp/jp/ir/financial_results/2005/year_end/sankou.pdf
トヨタの単独決算2005年を見れば、総売上高は9兆2千億円
国内売上高は3兆6千5百億円(うち仮受消費税1740億円)、輸出は5兆5千5百億円(うち仮受消費税0円)である。
営業利益は7千億円である。だから人件費も入れて経費は8兆5千億円だとして全て課税仕入れだとすれば、仮払い消費税は4050億円。
消費税はどうなるかというと、4050億円−1740億円=2310億円
の還付ということになる。
例えば
http://www.toyota.co.jp/jp/ir/library/negotiable/2004_3/finance.pdf
財務諸表を見ても「未払消費税」を検索すれば出てくるのはトヨタホームのそれだけである。自動車部門では出てこない。

遣労働者を増やす消費税

ここで、注意すべきは派遣労働者の雇用は消費税課税なので還付される=安く上がるということだ。同じ費用で人を使う場合でも遣労働者が多ければ多いほど消費税の還付税額は多くなるということである。ということは、企業の行動としては当然正社員は減らして派遣を多く入れることになる。企業の行動としては非正規雇用(派遣も含む)を増やすのは当然であり、消費税はこれを勧奨するということである。
つまり、消費税は企業による「格差の拡大再生産」を促しているということだ。

その他、莫大な利益を上げている企業がどれだけ消費税を納めていないどころか、還付を受けているかの資料はこちら。
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/hayasi.pdf.pdf
http://www.zenshoren.or.jp/zeikin/syouhi/050912/050912.htm

所得税

所得税も格差を拡大する。ゆずって所得格差が初めからあるにしても、紹介されている税率のクラス分けは、所得再分配の機能を大幅に削ぎ落としている。そしてあれこれの「控除」や「減税」が廃止されるのであるから、所得の低い者ほど税負担が大きくなっている。

金額の単位は万円
課税所得金額消費税導入前

1988年
消費税導入後減税額
税率% 納税額 税率% 納税額
150万円以下 10.5 16 10 15 1
200万円以下12   24204
300万円以下 16   48 30 18
330万円以下 20   66 33 33
500万円以下 100 20 100 0
600万円以下 25   150 120 30
800万円以下 30   240 160 80
900万円以下 270 180 90
1000万円以下 35   350 30 300 50
1200万円以下 40   480 360 120
1500万円以下 45   675 450 225
1800万円以下 50   900 540 360
3000万円以下 1,500 37 1,110 390
5000万円以下 55   2,750 1,850 900
5000万円   超  60   3,001 1,850 1,150
年収5000万円超は5001万円で計算して表示。
なるほど、これは高額所得者優遇税制である。課税所得が「経費」をどのくらい含んでいるかはケースによっては精査される余地はあるかもしれないが。

介護保険料(1号被保険者)

ほかに暉岡氏は介護保険料を例に挙げている。65歳以上の介護保険料はたいてい5段階であり、以下のようになっている。
http://www.city.osaka.jp/kenkoufukushi/kaigo/kaigo_07.html 大阪市の例

段階 対象者 計算方法 平成15〜17年度
(年額)
第1段階 ● 老齢福祉年金の受給者で、
 本人および世帯全員が
 市町村民税非課税
生活保護の受給者
基準額×0.50 21,480円
第2段階 本人および世帯全員が
市町村民税非課税
基準額×0.75 32,220円
第3段階 本人が市町村民税非課税で
同じ世帯の中に
市町村民税課税者がいる場合
基準額×1.00 42,960円
第4段階 本人が市町村民税課税で
合計所得金額が200万円未満
基準額×1.25 53,700円
第5段階 本人が市町村民税課税で
合計所得金額が200万円以上
基準額×1.50 64,440円
ここで言う200万円は税引き前。たぶん年金から天引き。65歳以上で年収が200万円か。暉岡はこの所得の段階設定が低すぎて高額所得者からの徴収が少なすぎ、逆進性が強いという。また、国民年金も一律13,580円である。これは16,900円まで値上げされて固定されるという。
しかし、これも鹿児島市等の資料を見れば、「16,900円×改定率」とあるように、どれだけ値上がりするものか知れたものではない。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/wwwkago.nsf/V_KA_M/B2A008256A027A6549256FD50009D86E
http://www.city.niihama.ehime.jp/siminka/nenkin/news2.htm
さらに、この保険料は月額だから、年額にすると20万円を超える。すごい負担である。これでは納めたくても納められない。それで40年間まじめに払ってもやっと65歳になってから、しかも年額79万円しかもらえないから、年金だけではまともな暮らしはできない。毎月6万5千円程度だと何も置けない狭いアパートの家賃を払って終わりだ。
http://www.sia.go.jp/sodan/nenkin/simulate/top.htm
もらえる年金額はここで試算できる。

全てが格差をもたらす国で

暉岡は、人類の歴史は平等を目指してきたし、形式的な平等を実質的なものにするよう努力されてきたのだという。しかしこうしてみると、企業の行動も、雇用のルールも税制も社会保障ですら格差を縮めるどころか拡大する作用を持っていることがわかる。
格差社会は「金持ちはいよいよ金儲けができますます金儲けに励む。貧乏人は不満があっても働くべきだ。それが効率的に社会全体の富を増し、社会全体を引き上げていく道である」というような社会であるが、そのことによって失業を発生させ・多様性を腐滅させ・人材を埋もれさせ、社会底辺の「健康」と信頼を破壊してしまう。こうして個人の人権が保障されない社会になってしまう、と暉岡はいう。
市場経済が現時点で避けられないのであれば、われわれはそこから生ずる非人間的な格差を自覚して、すべての人の人権を尊重する平等への道を強化しなければならない。