荒れる学校における教師

細井敏彦『校門の時計だけが知っている──私の「校門圧死事件」』草思社、1993年

当事者教師だけが「犯罪者」扱い

本書と本書の事件はさまざまな「問題」を含んでいるので、或るひとつのことを取上げ別のことを取り上げないのは、「片手落ち」であるかもしれない。
しかしやはり当該教師だけが断罪されたことについての違和感は大きく、これをぬぐうことができなかった。
学習規律・生活規律が確立せず、統制・管理的な指導を「余儀なく」され、学校を学校として授業を授業として形だけでも成立させなければ教師としての役割・仕事が何も果たせないのであるという追い詰められた当事者の立場は読んでいて痛いほどである。
誤解を恐れず敢えて述べれば、「教師は誰でも校門で生徒を圧殺する可能性があった」「遅刻がちな生徒は誰でも校門で怪我をする可能性があった」ということであって、特殊当該教師だけが特段に不注意であったととは思われない、というのが正直な感想である。

煽られる学校間競争

 兵庫県内の高校は、ほとんどの地区において、生徒の居住地域に従って入学できる総合選抜制が採られているが、神戸市と姫路市は例外的に学校ごとの単独選抜制が採られている。これにより各学区とも学校による序列化ができている。
 神戸には神戸高校、姫路には姫路西高という県立名門校があり、県の教育界の「お偉方」の多くが両校の出身である。ここに総合選抜制が導入されれば「名門校」でなくなる可能性があるがために、両市でおいてのみ「単独選抜制」が採られているのであろう、と筆者は言う。
 新設校はこれら既設校に追いつくためまず「特色ある学校づくり」をしないと地域に学校の存在を示すこともできなければ「良い生徒」も入学してこない。そこで県は強烈な個性・強引な実行力を持つ校長を新設校に送り込み、県の意を受けた校長は「子飼いの部下を集めて自分の意思が反映しやすいような態勢を整えていく」。
 新設校であればあるほど校長の権限は強化され、教師への管理、生徒への締め付けも進んでくる。
 大学の進学実績、クラブの活動実績、これらを高め、厳しい生徒指導で学校の姿勢を内外に示すこと。これが地域社会に対する常套のパフォーマンスであるが、進学実績もクラブ活動もアピールの即効性に欠け、数ヶ月から数年かかる。そのうち校長が転任になってしまう。そこで力を入れられるのは「生徒指導」ということになる。
 筆者の職場職員室では机の上には何も置かれず、職員会議の席次は厳格に決められていた。またネクタイを着用するよう指導勧奨されている。「見晴らしのきく職員室で教師は「形から入る」という管理職の方針に馴らされ、息苦しい雰囲気が漂っていた。」

成立が困難な「学校」と「授業」

 進学校と違い、大半の高校では生徒に学習指導をするより前に生活指導から始めなくてはならないという厳しい現実が教師を待ち受けている。
 兵庫県教委は昭和51年11月に通達「生徒指導体制の強化について」を出し、他県に例を見ない厳しい性と指導体制を確立した。兵庫県の航行が生徒の非行や校内暴力などで荒れていた状況への対応という面があったにせよ、千人のせいと指導部が校則や罰則によって生徒を「取り締まる」という警察的活動を促進する素地が作られた。なかでも「遅刻は生活の乱れ、非行の始まり」というキャッチフレーズのもと、校門指導は各学校で競い合うように取り組まれた。生徒の非行などの生活の乱れの兆候は、まず服装の乱れ、欠席・遅刻の増加などに現れてくる。この時点でしっかりチェックしておれば、乱れの歯止めになる。よって校門指導は効果的な生徒指導であった。
本書には、以下遅刻者等による授業妨害、授業の不成立、校内外での喫煙・怠学、暴力などさまざまな問題が事実として挙げられ、これに対するに教師集団が乱れることなく一致して対応していかねば、生徒につけこまれ・なめられ、肝心の学習指導の場面を設けることができないということが縷々切々と述べられている。生徒にナメられないよう、暴力を振るわれないよう、教師たちは肉体的にも・精神的にも追い詰められながら「荒れ」に対していった、それらは事実であろうし、かの地かの時にあって、他に採るべき道があったか、私には言葉が無い。私にそれがあったとして、「罰則」の程度の問題に過ぎないように思える。今朝も明日も明後日も、来週も来月も来学期も、もしかしたら来年も「我が校」には遅刻・妨害者としての生徒が多数ダラダラと登校してくるのである。どちらかがこの悪の循環を断ち切らなければならないと思うだろう。
 高塚高校で生徒指導の中心的役割を担っていたのは体育の教師集団である。真冬の小雪の中であっても体育の授業は生徒も教師も半そで・短パンであった。始業のチャイムが鳴っても来ないと罰として「バービー体操」、水泳のノルマをこなしていなかった生徒に10月というのに補修、遅れてきた女生徒をして水着のままグランドを走らせた。このような断固とした指導があってこそ、新設校の高塚高校は持ち堪えてこれたのかもしれない。
 生徒に言うことを聞かせるには、教師の力で無理やり押さえつけるか、教師の姿勢や意欲を生徒にぶつけ「一目置かせる」かどちらかであろうが、どちらであっても「まず言うことを聞かせる」ことがどうしても必要である。そうでなければ、だらしなさは遅刻・欠席、服装の乱れ、校内ゴミの散乱、備品の破壊、盗難と際限なく続いてしまう。
筆者をしてこう言わしめるほどの現実があったのであろう。

大規模校・新設校、校長・教師集団

筆者の前任校の体験は教職員管理を考える上で特徴的な記事である。

 県教委が職員会議の位置づけについて発した昭和58年度(1983年度)通達

                                昭和58年9月12日
各県立学校長 殿
                                兵庫県教育長
 職員会議に関する規定の整備について(通知)
 ……職員会議については、その規定のない学校や規定の内容が不適切な学校も見受けられます。
 ……速やかに規定を整備されるよう通知します。

  1. 職員会議の性格は好調の職務遂行上の補助機関であるということが明瞭にされていること
  2. 公務運営に関する校長の決定権が明示されていること。

 新設校は創立3〜5年目で正念場を迎える。それは学校としての方向付けもなされ、これが結果として形になってあらわれる時期であるからだ。既設校に「追いつけ、追い越せ」で生徒は頭の先から足の先まで規則でがんじがらめにされ、せめて表面だけでもきれいにしようと、「十人一色」の型に嵌められる指導がなされる。
 大規模学校では生徒と教師との信頼関係のみならず、教師間の関係も希薄な上、職員会議も単なる報告の場に過ぎない。
 職員会議は有名無実である。会議では採決はなく、すべて校長決裁で決する。このためほとんどの教員は無気力になり発言する者は校長決裁に反対する組合の一部の教師などに限定されるが、この発言者たちは管理職に敵意をむき出しで言いたい放題である。いつまでも平行線の混乱が続き収拾がつかず、校長の決まり文句「……でお願いしたい」で終わる。他の教師はあきれて傍観者となるだけである。
 教師は授業・会議・行事・指導で忙しく、教師同士が生徒について・学校について話し合う機会はほとんどないし、教職員組合の加入率も低く、力も弱いため公務は校長の意のままである。教師の不満は鬱積しながら「新設校だから」との諦めに置き換えられていく。組合分会会議でも自分たちの権利の主張に終始し、学校をどうすればよいか・教師はどうあるべきか・生徒に何を問いかければよいかというような建設的な討議はなされない。
 生徒会活動も生徒自身が1500人もの生徒を統率できるはずもなく教師主導になり、生徒の不満も募るばかりである。


こうした「荒れ」の事態は今までどのように推移してきたのであろうか。このような「荒れ」は中途退学・登校拒否などの形に姿を変えたのであろうか。あるいは今でも「荒れ」は厳然として吹きすさび、善意の教師が力ずくで抑えているのだろうか。
学校間競争の選抜制度、学歴社会は一校だけの努力では変わらないのだから、学校の体裁にしがみつき「問題」を校内に押さえ込むのではなく、あるいは校外での監視・取締りを強めるのではなく、広く生徒・親・地域に問題を問いかける活動を強めることが重要なのではないだろうか。
校長に期待できないのであれば労働組合が学校と生徒を救わねばならず、果たすべき役割は決定的と言えるかもしれない。
ちょっと傍観主義的ですか。脳力不足ですみません。