社会保障は相互扶助か

あるブロガーは小泉首相の発言に反応して言う。


……所得格差は織り込み済みというか、むしろ当初からそうなることを狙った改革ではなかったかと思われる。

 「資本主義」は、その仕組みそのものが不平等を拡大し、下層に暮らす人間の基本的人権を脅かす「不幸な欠陥」を内包しており、……「修正」が必要なのである。

ここまでは良い。この記事を書いた人は格差は是認するものの、首相の発言にはカチンと来られたのであろう。基本的人権累進課税、教育の問題にも言及しておられる。問題は次である。

 「生活保護」というのがある。……これも不平等に感じる人がいるだろう。……毎日働いて働いて……全く働かない人間が、しかも俺の税金から受け取ってるの? と。だがこれが「基本的人権の尊重」の原則から来るルールなのだ。……誰もが事故や病気で突然生活能力を失う可能性がある。そうなってもノタレ死にしない社会であるための福祉だ。相互扶助であって、回り回って自分のために、税金を払い、それが福祉予算として誰かを支えているのである。ただしこれも、行きすぎると問題だ。ものすごく具体的な例を言えば、生活保護世帯にDVDレコーダーがあったら私はかなりひっかかる。……「ホームシアター」になったらこれは許せない。今時だから家に一つ携帯電話があってもいいが、家族全員一台ずつ持っていたら、「いい加減にしろ」となる。
 何事もバランス。金持ちも貧乏も許容範囲がある。福祉のあり方もそうだ。

後略

こうしたことにいちいち反応している私もめんどうくさいが、社会保障を「相互扶助」だと、最近は学校で教えているのだろうか。どうして貧乏人が貧乏人を蔑視してしまうのか。社会的弱者が生活していることが自分のサイフを軽くしてしまうなどと考えてしまうのか。きっとアメリカでは白色人種の「中流」たちが底辺の黒人を指して、同様のことを考えたり言ったりしたのだろうな。「黒人のくせにバスに乗るのか?」「黒人のくせにDVDなんか持ってやがる」「お前たちのせいで税金が高いのだ」と。
問題は差別意識なのか。違うと思う。社会保障が「相互扶助」だという新自由主義的な社会保障観が問題なのだろう。しかし、新自由主義的社会観と人間観とが「格差」だけではなく「差別意識」まで生み出し、さらにそれを拡大再生産していくであろうことは間違いないと思う。

私からすると、引用されて名誉な発言でもないはずなので、引用元については伏せておきます。引用者や発言したことなどは問題ではなくて、こうした感じ方・考え方をするひとが少なくないのかもしれないということを問題にしたいのです。

新自由主義における社会保障地方自治についての考え方はすでに実行されていますが、私も勉強しなければと反省しました。