エジプト革命

エジプト 立ち上がる民衆

赤旗 2013年2月17日第5面

軍部も同胞団も押さえ込めない
独裁打倒の意義は消えず

千葉大学(中東問題専門)栗田禎子(よしこ)教授に聞く

 エジプト・ムバラク政権が2011年2月11日に崩壊し、2年が経過しました。一方経済は好転せず、新たに就任したモルシ大統領の政治運営は国民とのあいだに矛盾を広げています。現在のエジプト情勢をどう見るか、中東問題を専門とする千葉大学の栗田禎子教授に話を聞きました。
(聞き手 松本眞志)

 2011年の「革命」から2年を経た現在、中東地域では、さまざまな混乱が生じているため、悲観的な印象を持つ人も多いと思います。しかし、チュニジアやエジプトで独裁政権が民衆の手によって打倒されたことの画期的意義は消えていません。
 エジプトなどに存在した体制の特徴は、先進国が求める「新自由主義」的経済路線を導入して失業・貧困等の矛盾を引き起こし、また、イラク戦争などの米国主導の中東に対する戦争を黙認し、事実上協力したことでした。そして、こうした経済・外交政策に対する国民の不満を強権的に弾圧してきたのです。

「安定化」急ぎ

 11年の革命的動きは、このような独裁体制に対して、民衆が「自由、尊厳、社会的公正」を求めて立ち上がった、画期的なものでした。このとき、ずっと非合法だったエジプト共産党(最初の結党は1922年)も初めて公然と人々の前に現れました。
 ムバラク政権を倒した「革命」勢力は、労働者、青年、女性、リベラルな知識人、共産党員など多様な人々によって形成されていました。彼らは当初、革命に参加したすべての勢力を代表する組織を発足させて暫定期の統治を行い、かなり長い移行期間の後に選挙を実施するという構想を持っていました。
 しかし実際は、「革命」を担った民衆による権力樹立は実現せず、軍最高評議会が移行期の権力を掌握し、国の「安定化」を目指す動きがあわただしく進みました。資金、組織力で勝る勢力に有利な選挙法が制定され、十分な準備期間もないまま選挙を実施し、結果的にムスリム同胞団が圧勝。同胞団出身のモルシ大統領が誕生しました。
 背景には、欧米や国内で、早く革命を収束させて新の民主化の動きを封じ込めることを狙う勢力が、事態の早期「安定化」のために同胞団主導の政権の力を利用しようと意図した面もありました。
 1928年に結成されたムスリム同胞団は、元来1919年に起きた英国植民地支配からの独立を求める革命後の政治状況のなかで、民主的運動への対抗勢力として結成された組織です。宗教を前面に掲げてはいますが、極めて政治的な組織です。
 ムバラク政権を倒した民衆デモに対し、ムスリム同胞団の指導部は当初、冷淡でしたが、運動が予想を超えて高揚したため、追認、支持の立場に転じました。その後、「革命」に参加する中でリベラル・左翼勢力との対話の可能性に目覚めた団員等は排除され、現在、ムスリム同胞団は、軍部と「分業」する形で「革命」を封じ込める役割を担っています。

新たな段階に

 しかし、エジプトの民衆は、モルシ政権のこうした性格を見抜き、憲法国民投票をめぐる非民主的な政治手法、デモへの強権的弾圧などに抗議し、政権への批判を強めています。「革命」を担った勢力による「救国戦線」が結成され、救国政権の樹立、大統領選挙のやり直し、民主的憲法制定の要求も出されています。
 そうした意味では、「エジプト革命」は新たな段階に入ったといえます。軍部によってもムスリム同胞団によっても押さえ込むことのできない民衆のエネルギーは驚くべきもので、中東地域の将来に展望を与えるものだといえます。