▼死ななくてもよい人たち。何に「絶望」したのか。

“貧乏アイドル”の上原美優さん自殺か…遺書のようなもの見つかる

産経新聞 5月12日(木)8時42分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110512-00000504-san-soci

昼飯を頂きながら目に入ってしまった。
今や日本で「自殺」は珍しくも無い。しかし、それは自然現象ではなく社会現象である。社会現象は個別個人のドラマにおいて現象するのであって、自殺はひとつのドラマの唐突な強制終了である。
病苦、借金、貧困、失恋、失業、慢性・急性のトリガーは少なくは無いが、いくつかは別として、まとめると「絶望」が自殺の動機である。
しかし、本当に「絶望」に値するような事件・事象は人生にはそんなにたくさんは発生しないはずだ。
「ビンボー」を笑い飛ばす彼女にどんな「絶望」しなければならないことがあったというのだろうか。


「絶望」なんて「主観」に過ぎない、と絶望してる人に言っても響かないかもしれないが、それでも「絶望」は「主観」なのだ。


人を支えるのは何だろうか。僕は「思想」だと思う。宗教思想だろうが哲学思想だろうが、とにかく自殺も他殺も否定する思想(考えられた理屈)である。
生命体はいつかは死という形式の別の過程に入る。しかし人間はその生命過程を自覚し自律できる生命体である。自己を社会や歴史のなかで客観視できる生命体である。
場合によっては永遠の過程の中に自己を位置づけることもできる。
生きている限り、生きていることを肯定し、死を否定できる思想を構築する、それが青年の課題かもしれない。


そんなに死に急ぐ必要があったのだろうか。
残念。ご冥福をお祈りする。