▼奉仕活動と体験活動とをなぜ推進させたいのか──体験が「良き市民」をつくり、「良き市民」の奉仕活動が「新しい公共」を支える

とにかく、「希望の国、日本」など読むと、支配層は青少年のモラルについてやたら要求と危機意識を持っている。

5.教育を再生し、社会の絆を固くする
 ……
 現代の教育において最も欠けているのは、克己心、公徳心の涵養という視点である。自己中心的な考えが蔓延し、他人に迷惑をかけないといつた最低限のモラルも確立されているとは言いがたい。ごみや騒音などをめぐる地域に於ける争い、風紀の乱れ,さらには凶悪な少年犯罪をはじめとする治安水準の低下など、和うや社会規範の遵守さえ確保されていない事例が少なくない。

市民的モラル関連ノート参照。
このモラルやら公徳心やらの醸成に特効的な期待を寄せられているのが「奉仕活動」である。御手洗氏にあっては、この根本が「愛国心」なのだが。

教育再生会議

教育再生会議における奉仕活動の位置づけは、前に「骨子」と議事録などから述べたが、第一次報告からあらためて拾ってみる。

2.学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする

(2)いじめている子供や暴力を振るう子供には厳しく対処、その行為の愚かさを認識させる

○ 学校は、指導や懲戒にもかかわらず、悪質ないじめや暴力などの反社会的行動をとる子供に対しては、状況に応じて、……その子供を立ち直らせるため、個別指導や別室等での教育なども行う。その際、教育的な観点から、社会奉仕等の体験活動を採り入れることも考えられる。

3.すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する

(1) 社会人として最低限必要な決まりをきちんと教える
学校で、集団生活やスポーツを通じて、子供たちに社会の決まりや規範意識を学ばせるべきです
○高校での奉仕活動の必修化

○……秋季入学(9月又は10月入学)を普及促進し、入学前の半年間に奉仕活動、ボランティア活動、海外支援活動等の多様な体験を通じ豊かな感性や徳目を身に付けるようにする。

(2)父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、友を愛そう
【体験活動の充実】
子供たちが愛、友情、正義感、忍耐力、感謝、尊敬、礼儀、誠実さといった、道徳観を身に付け、豊かな感性を育むためには、我が国の伝統文化や習俗に接するとともに、子供の様々な興味・関心に応じて、芸術文化、スポーツ、奉仕・ボランティア活動などを通じて、豊かな情操、健やかな身体を育まねばなりません。

○ ……体験や奉仕活動、集団活動、スポーツなどにより、規律、奉仕の精神、社会のルール、相互扶助の大切さや達成感を学ぶ。

なぜ、奉仕活動や自然体験がモラルや規範意識を学ぶことになるのか、議論の中でも言及されず当然のこととして前提されているので「体験崇拝」だと私は思った。
また、こうした徳目や学習規律や「立ち直らせる」(この児童・生徒・青少年認識も妥当なのか疑問)ために奉仕活動をさせる、奉仕活動をさせるために大学の入学時期をずらさせるなど、何とかして奉仕活動をさせようという提言の必死さが異様である。
だいたい「偉い人」が「偉くない人」、子ども、「立ち直りが必要」という認定を受けた青少年に、説明も不十分なまま何かを「させる」ということに私は反発を覚える。


中央教育審議会

中央教育審議会関連では以下の報告・答申が新しいようである。
2002/04/18 「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」中間報告
2002/07/29 「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」答申
以下の引用は、中間報告から取ったものだが、基本的な考え方は答申も同じようであるので、あまり詮索していない。

はじめに

  • いじめ,校内暴力,ひきこもり,凶悪犯罪の増加など青少年をめぐる様々な問題の背景には,行政では対応できない以下のような育成上の問題がある
    • 思いやりの心や社会性など豊かな人間性が青少年にはぐくまれていない
    • 他者を省みない自己中心的な大人の意識や生き方

これらの問題・課題の解決の「糸口」は「奉仕活動・体験活動」である(理由は後述)。そこで、

  • 奉仕活動・体験活動において、自己のためではなく他のための活動を組織したい
  • 他のための活動で喜びを感じること
  • 他のための活動で得る喜びは、「人間としてごく自然な暖かい」「感情」であること

Ⅰ 今なぜ「奉仕活動・体験活動」を推進する必要があるのか

1.奉仕活動・体験活動の必要性及び意義 〜個人の豊かな人生と新たな「公共」による社会を目指して〜
  • 都市化や核家族化・少子化等の進展
    • --> 人間関係の希薄化が進み / 個人が主体的に地域や社会のために活動することが少なくなっている
    • --> 個人と社会との関わりが薄くなった / 何でも行政に言うので行政の肥大化を招いた
    • --> 青少年の健全育成,地域の医療・福祉,環境保全など社会が直面する様々な課題に適切に対応することが難しくなっている(主語は「社会」のようである)
    • 社会が成り立つためには,個人の利潤の追求や競争のみならず,相互に支え合う互恵の精神が必要
  • 本報告では、利潤追求を目的とせず社会的課題の解決に貢献する個人の活動を「奉仕活動」と捉える。ボランティアやNPOの活動を指して。
  • 新たな「公共」を創り出すことに寄与する活動を幅広く「奉仕活動」として捉える
  • 新たな「公共」とは、個人一人一人が経験や能力を生かし,個人が支え合うもので、「官」でも「民(企業)」でもないものである。
  • 「奉仕活動」は個人に生涯にわたる主体的な学習の契機や社会参加の場を提供し,
  • 「奉仕活動」は個人が自己実現をし,豊かな人生を送るための鍵(かぎ)ともなり,
  • 「奉仕活動」は「個人がより良く生き,より良い社会を創る」ことにつながる(個人の生きがいと社会改良とが整合的に実現する可能性がある)

青少年の豊かな成長を支えるためには,思いやりの心や豊かな人間性や社会性,自ら考え行動できる力などを培っていくことが必要である。いじめ,校内暴力,引きこもりなど青少年をめぐり様々な深刻な問題が生じており,子どもたちの精神的な自立の遅れや社会性の不足などが見られる。このような中で,青少年に,社会の構成員としての規範意識や,他人を思いやる心など豊かな人間性をはぐくんでいくためには,社会奉仕体験活動,自然体験活動など様々な体験を積み重ね,社会のルールや自ら考え行動する力を身に付け,自立や自我の確立に向けて成長していくことができる環境を整備することが求められている。

○青少年にとっての意義
社会奉仕体験活動,自然体験活動,職業体験活動など様々な体験活動を通じて,他人に共感すること,自分が大切な存在であること,社会の一員であることを実感し,思いやりの心や規範意識をはぐくむことができる。また,広く物事への関心を高め,問題を発見したり,困難に;挑戦し解決したり,人との信頼関係を築いて共に物事を進めていく喜びや充実感を体得し,リーダーシップやコミュニケーション能力をはぐくむとともに,学ぶ意欲や思考力,判断力などを総合的に高め,生きて働く学力を向上させることができる。
さらに,幼少期より積み重ねた様々な体験が心に残り,自立的な活動を行う原動力となることも期待され,このような体験を通じて市民性,社会性を獲得し,新しい「公共」を支える「良き市民」に成長することにつながるものである。
○18歳以降の青年にとっての意義
社会人に移行する時期ないしは社会人として歩み出したばかりの時期に,地域や社会の構成員としての自覚や良き市民としての自覚を,実社会における経験を通して確認することができる。また,青年期の比較的自由でまとまった時間を活用して,例えば,長期間の奉仕活動等に取り組んだり,職業経験を積んで再度大学等に入り直したりなど,実体験によって現実社会の課題に触れ,視野を広げ,今後の自分の生き方を切り開く力を身に付けることができる。
また,特に,学生にとっては,何を目指して学ぶかが明確になって学ぶ意欲が高まり,就職を含め将来の人生設計に役立てることができる。
○成人にとっての意義
これまでに培った知識や経験を生かして様々な活動を行うことにより,自己の存在意義を確認し,生きがいにつながる。また,企業等で働く者,主婦,退職者など成人は,市民の一員として,新たな「公共」を支える担い手となることが期待される。
将来的にはワークシェアリングなどを通じて労働時間の短縮や多様な就業形態が進展し,社会人にとって職場での労働以外の時間を生み出すことも予想されるが,奉仕活動等は,社会人にとっての新たな「公共」を生み出すための活動の場となり得る。


奉仕活動の一般的な意義について大きな異論は私はないのだが、それでも奉仕活動が、しかも指示・命令された奉仕活動が自己疎外感を解消し、温かい感情をもたらし・持続させ、市民性や社会性を保証するのか、疑問である。「つながる」ということは私も否定しないが「必ず」「非常に」などという冠を付するほどの説明は、ここではなされていないと思う。
先回りして、思ってしまうのは、こうした奉仕活動を強要するとすれば、その極端な行き着く先は『洗脳』ではなかろうか、という疑問・危惧である。
強力な国家主義イデオロギーと軍隊的な規律の下での「しごき」を耐え抜くことによって、同じしごきを受けた兵士同士の連帯感や国家主義的な「愛国心」「公共心」などを植えつけるような、『アメリカ弱者革命』で紹介されている高校生対象の軍事訓練を連想してしまう。
それが杞憂だとして、それでも奉仕活動に対する期待は過大とも言いたくなるほどである。

新しい公共


また、無償の諸活動が社会を支えることを求めており、モラルの荒廃、町々の退廃的環境・不衛生、老人など社会的弱者の孤立などを「解決」させる領域を「新しい公共」と呼び、ここに奉仕活動を組織・投入させようとしているように思われる。
新しい公共」で検索すると、すでに自治体が「新しい公共」に取り組むために(というより創出するため?)「地域」「NPO」をいかに取り込むかというような「感じ」の書籍も登場しているようである。
この「新しい公共」が「国民保護法」と結びついて、広範な「国民保護団体」「保護隣組」などに変質していかないか、先の「産めよ増やせよ」キャンペーンと相俟って、不安に思ってしまうのも杞憂だろうか。


自然「体験」活動

ところでまた注意して読めば、「再生会議」でも「中教審」でも「自然体験活動」が「奉仕活動」と同格に重視されていることに気づく。
これには、次のようなアンケート結果が前に存在している。見出しのみ抜粋。
子どもの体験活動等に関するアンケート調査の実施結果について(概要) 1998年 文部科学省

II 体験活動に関する調査結果の概要
(1)自分の部屋,テレビを持つ豊かな子どもたち
(2)家庭教育への父親の関与が希薄
(3)いじめ等に関する家庭でのしつけは希薄
(4)保護者の世代と比べて子どもの自然体験が減少
(5)疲れている子どもが学年が上がるにつれ増加
(6)お手伝いをする子どもほど,道徳観・正義感が身についている
(7)生活体験が豊富な子どもほど,道徳観・正義感が身についている
(8)自然体験が豊富な子どもほど,道徳観・正義感が身についている


どうですか? まだ私もよく読んでいなくて、読まれるべきインターネット上のサイトを収集している段階だす。
なぜそうなのかについて、アンケート結果では分からない。アンケート結果の分析についてはとりあえず信じることにしよう。
これから調べて勉強していこうと思う。
たとえば、
情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会 報告書 2005年 文部科学省
など。
また、平成10年の「厚生白書」には「第3章 自立した個人が連帯し支え合える地域」とあり、「自立した個人」=「新しい公共を支える良い市民」の前像であると考えられる。これらも。
少し、拡散してきた。



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