▼現象学的歴史認識、もしくは歴史意識

(私は、歴史や哲学や医療や心理学や社会学やなんやかやの専門家ではない。私に何か専門と言えるものは恥ずかしながらない。専門のものがないという点で言うと哲学系に近いが、先行研究について明るくもない。誤読・誤解は容赦頂く。)
[追記]少し文言の手直しや説明の追加をした。

その「物語」性

「私は「歴史」をどう見ているのか」(kmizusawaさんの日記)を拝読して。
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070105/p1


書かれているお話とは関係なく、

「歴史」というか、本やその他のメディアに記述されているもの及びそこから想像できる歴史上の過去の出来事や人物や社会に対して、どういう風に捉えているかということね。

という冒頭の一節から、小澤勲・土本土本亜理子『物語としての痴呆ケア』三輪書店 を想起した。恥ずかしながら読んだことはない。(「痴呆」という文言が含まれる書籍であるということに評価的な意味あいがあるわけではありません。また現在は「痴呆」ではなく「認知症」という呼称を採用することになっています。念のため。)
なぜ想起したのが当該書籍かというと、以前聴講した講義で勧められた本だったからだ。
http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20060516/p1
そのノートから。

認知症は)知的能力をなくした「状態」として捉えられるべきであって、人格水準が低下するかどうかはケアの質が大きく関わっていると考えられているらしい。そしてそのケアとは
個性を維持し、個人の物語を尊重することである。
……

物語としての私

私というものが「私=私」という等式ではなく物語としての私として存立しているという自我観・人格観。

  • 先の記事でkmizusawaさんは「歴史」についての主観を述べると宣言されておられる
  • 「自分にとって」という枠組みが「客観」も「主観」に過ぎない(認識に過ぎない)ということ(現象学的)
  • 「自分にとって」という枠組みが「物語」的であるということ
  • 論争(本当に「論争」になっているのか“?”のテーマも)されている「歴史」や「歴史認識」も、論者・支持者にとってそれぞれ「物語」になっていて、その「物語」の否定が「人格否定」にまで連なっているのだろうなと思われること

歴史=客観=主観=物語=人格=歴史=・・・
そういう思念の連鎖で、その連鎖の中を堂々めぐりするようなことを以下に書いてみる(書いてみた)。



過ぎ去った事実は単一であろうに、認識され・記録され・伝えられ、受け取られる「歴史」はさまざまである。「歴史認識」をめぐる論争や利害の対立がある。
人は伝えられた「歴史」を「自分の物語」に組み込むのであろう。自分の物語を構成する「歴史」という部分となる。太古の昔、それは「神話」という内容と形式であったであろう。
だから、「自分の物語」にあっては「(現実の)事実」と「歴史」とは無関係であって、「(私が認識した)事実」と「歴史」とは丸括弧書きしたように現象学的にしか照合されないのである。
と書いてきて、認識の客観性・妥当性は個人にあっては現象学的にしか照合・検証されないということは当たり前ですね。
その個人の限界を超えるのが、組織である。ここで言う組織とは結社という意味ではなく、集団ということ。このときの集団も共時的・同時代的のみならず、時間を超えた集団・組織である。つまり人類史的な認識。


もちろん、人間は人類史においてただただ観照のみに明け暮れていたわけではなく、文字化されない生活様式・実践様式・生産様式、文化・文明を伝えてきたのであって、コミュニケーションはそのモメントに過ぎず、認識はそのコミュニケーションのモメントに過ぎぬ。さて・・・。


歴史学の意義

だが、各人がバラバラな「歴史」を「事実」と思いなして各人の利害を闘わせると、誰かが「狂人」扱いされなければならない可能性もある。事実認識としての歴史認識の集団内での齟齬は、闘争や社会騒乱の原因にもなろう。そこで歴史学、分業としての史官・歴史家・歴史学者が存立して「事実」と「歴史」を照合するということになるのだろう。
こうして歴史学は一定の政治単位内の構成員の統治・統合に仕えることになったのだろう。(たとえば国民統合イデオロギーの源泉としての「国史」)
もちろん、一方でというか本来的には・長期的な視点では、人類のさまざまな経験・教訓その他を後世に伝えるということもある。「歴史」は民族対立を煽ることもあろうが、人類的な視点からすれば人類の繁栄に奉仕する学問である。……べきである。


認識はコミュニケーションのモメントにすぎない

時間も・記入箇所も前後するので読みづらいかも。
すでに触れたが、コミュニケーションは言語その他を媒介とするのだが、共時的なものとは限らない。自己コミュニケーションがうまく行かないと精神疾患に陥ることもある。時空を超えたコミュニケーションもある。時空を超えたコミュニケーション、それが「歴史」である。「歴史認識」は次のコミュニケーションへのモメントに過ぎず、常に「歴史的認識」に過ぎない。

コミュニケーションは人を活かしもし、殺しもする

少し横道、別の話題だが、昼休みの意識拡散なので、容赦されたい。

<切断遺体>殺害された女子短大生の兄を逮捕 警視庁 1月4日21時5分配信 毎日新聞

兄の予備校生、容疑者(21)を死体損壊容疑で逮捕した。「妹から『夢がない』となじられ、かっとなって殺した」と殺害も認めている。
容疑者は東京都内の中高一貫私立校を卒業後、私大の歯学部を受験するために医歯学系予備校に通っていた〔3浪〕。

コミュニケーションの物化したものが「貨幣」であり、貨幣が再び抽象化して肉体の頭部から頚部に重くのしかかってくるのを「債務」と言う。「債務」を構成するのはもはや抽象的な「量」+「単位」となった「歴史」であり、他人か・自分かを使役したコミュニケーションの消えない記憶である。


人は読みたい本を読む。売れている本はさらに売れる。

本屋で働いたことがある。

人は読みたい本のコーナーにしか行かない。読みたい本を読み、取り入れたい物語をのみ取り入れる傾向がある。
「今、この本が良く売れていますよ」と言うと、本当に良く売れる。多くの人が読んでいるとわかると、自分も読んでみようと、なぜかしら思うのである。
出版社は人が「読むべき本」ではなく「読みたい本」を出版する傾向を、多かれ少なかれ持っている。読まれない本は経営的に出版できないのだから尚更だ。
つまり、一旦ある程度の完成を見た人の、「その人の物語」はそうそう変わらない。



opeblo「歴史学の教授との世間話」
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060511/1147296217

教授曰く、担当だったつくる会史観の女の子に、2〜3回生の時に「どう?認識は変わった?」と聞いたら、回答は生返事だったとのこと。専門の学問を専攻しても、考えが変わらない人は変わらない。結局はその人次第なんだなということを、帰路の市バスの中で思っていました。

そうだろうな。
でも、大学で歴史を学ぶ青年たちの、その動機はなんだろう、とも思う。自分の中に、もっと大きく・確かな物語を取り入れたいのだろうか。そんな「青春をかけた」ような学び方をする大学生は、まだまだいるのだろうか。
人の「史観」なり「史感」というのはどのくらいのころに形成されるのだろうか。
日本史も必修の世界史も高校で教えられなかった・そして今、お茶漬けのような「世界史」を注ぎ込まれている青年たちの「物語」に「歴史」はあるのかしら。