▼「狭き門」の反対は「広き門」、高校教育と「公正・公平」

受験競争は「狭き門」であることだけが問題ではない

昨日の記事は長々しかったので、約言しておく。
高等学校の世界史不履修、虚偽報告は受験競争<=学歴社会が根底にある。受験競争はたしかに「狭き門」であることによって過熱されるだろうから、反省の論理からすれば、この門を拡げて「広き門」「ガバガバ門」にすれば、この競争は緩和されるということだが、この政策に少しリアリティを持たせてみようとすれば、たちまち破綻していることは誰にでもすぐ分かる。

高校に予備校以上の意義はないのか、文部大臣

報道を見れば、世界史を履修したことが受験に不利で、不履修高校は受験に不要な世界史の授業時間を受験科目に振り替えていたので、受験競争において不正でありかつ有利である。
首相も文部大臣も生徒もテレビニュースも受験に不要な世界史が必修であることをめぐって、「まじめに履修したものが損をする」「公平にしなければならない」「公正に」「不履修高校の補修が70時間・・・50時間というのは少なすぎて不公平だ」と、あくまで受験競争にとっての有利不利の判断ばかり口にしている。

受験科目以外は平等に科せられたハンディ

そんなら、ダイレクトに予備校に行って、資格試験を受けたらどうなのか。
受験科目以外は受験競争にとって「ハンデ」以上の意味はないのか。
だいたい主務大臣や首相が高等学校を予備校視した価値尺度でしゃべって良いのか。
じゃあ、必修科目とは何なのか。


高校教育のあり方、意義が問われているんじゃないですか。