▼旧ソ連・共産党の教育や思想形成はどうだったのかということより、ロシア以外の諸民族・諸国の発展はどうだったのか、ということに興味がわく国トルクメニスタン
トルクメニスタンという国は独裁制を許している旧ソ連の国で、大統領がいる共和国だが王国のようになっている。いくらソ連とはいえ、一応マルクス主義の勉強をさせられて、何かの尺度で優秀だったから共産党の幹部になったであろう人々が、独裁制を敷いてしまい、周囲もこれを是認・容認するということはどのようなことなのか、大衆心理・集団心理の暴走の延長にある恐怖政治の成果なのか? という疑問からチョコッとネットで調べてみると、そんなことより旧ソ連の連邦内諸共和国・民族への仕打ちについてもっとよく知らねば、旧ソ連諸国の現在のありようについて理解できないのだなぁと、改めて思った。
そのきっかけの記事はこれ。
今も続く独裁・権威主義的政治ていうか、私的な政治
独立15周年を記念して閣僚全員にベンツ トルクメニスタン
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081154943759.html
2006年08月07日 18時41分 エキサイトニュース
[アシガバット 5日 ロイター] トルクメニスタンの終身大統領サパルムラト・アタエヴィチ・ニヤゾフは5日、トルクメニスタンの独立15周年を記念して、政府閣僚全員にメルセデスベンツを1台ずつ贈ると約束した。
地方長官にはジープ1台だが、綿の収穫を早く持ってくれば、メルセデスにアップグレードすることができると、ニヤゾフ大統領は全国テレビ放送で発表した。
「すでに各大臣のためにメルセデスを注文しました。私たちは15回目の独立記念日にそれを配るつもりです」
ニヤゾフ大統領の正式の称号は、トルクメン人の長という意味の「トルクメンバシ」という。彼は元ソビエト連邦のトルクメニスタンで個人崇拝の中心におり、異議申し立ては認められない。
地名、月の名前、曜日の名前は彼にちなんで名付けられている。彼は、特別製の装甲メルセデスサロンをはじめとする高級車コレクションを持っている。
ニヤゾフ大統領は1992年に、「10年間の繁栄」と呼ばれる計画のもと、すべての家族に家と車を与えると発表したが、国民の多くはまだどちらも手に入れていない。
イランとアフガニスタンに隣接する中央アジアの国トルクメニスタンは、綿と天然ガスの輸出国だ。10月にソビエト連邦からの独立15周年を迎える。
んー、幼児的な王様のような記事。
トルクメニスタン
旧ソ連内の「スタン」の国(日本語訳で頭文字が「カトウ タキ」というおばあさんの名前のように並べることができる国々。カザフ・トルクメン・ウズベク・タジク・キルギス)、トルクメニスタンはどんな国なのか。
●ユーラシア旅行社 トルクメニスタン周遊
http://www.eurasia.co.jp/nittei_05_kami/05_silk/rzt9/index.html
名所案内
●国立歴史文化公園 古代メルブ遺跡(トルクメニスタン)
http://world.poo.gs/isan/asia/merv.htm
●中央アジア最大遺跡メルブ「千一夜物語」の舞台に思いを馳せる
http://4travel.jp/traveler/alpsmaki/album/10075743/
楽しい。
●東方観光局(個人)
http://www.eastedge.com/turkmenistan/links/
充実してて徘徊するのが楽しい。このリンクはトルクメニスタン関連リンク集
●シルクロードトラベルインフォメーションセンター
http://www.silkroad-travel.com/
トルクメニスタンの権威主義的政治
こんな資料を発見。大変興味深い。
米国東西研究所研究員 松長 昭氏
http://www.meij.or.jp/new/other/matsu20010418.htm
によれば、トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮のように言われているが、外部に知られている情報が少ないだけで、かの国のように閉鎖的な国ではない。
ニヤゾフの政治手法は,権威主義的な政治をとりつつも国民生活の向上のため漸進的な方法を選択している。彼は民主化という名のもとに混乱した社会になることを避けるため,権威主義という強権政治を採用して野党など彼の政治に反対する者の存在を許容していない。欧米諸国は,このことからもトルクメニスタンを人権抑圧国家として非難の対象としている。残念ながら,欧米諸国は人権を非難しても,発展途上国の国民生活向上に関する具体的な処方箋は書いてはくれない。
トルクメニスタンは、人口の60%近くが33歳以下という国である。2000年の大学への新入学生は3500名で人口の0.1%以下であり,この国では大学生は国を担うエリート予備軍である。トルクメニスタンのGNPはパーキャピタル1049ドルであり,学生が海外に留学することは不可能に近い。大学生たちは,国の将来を担うエリートとして将来への希望があるので,彼らの向学心は燃えている。低成長安定期の飽和的な状況にある日本の大学生が生活には満足しながらも,将来に対して確固たる自信がないのとは対照的である。これには目標のある大学生と目標を見失っている大学生との大きな相違でもある。エリート意識を持ちながらも,大学生たちは日本に比べると,はるかに純粋さと純朴さを残している。
抜粋を続ける。
- ニヤゾフ大統領の政治姿勢は,人材よりも国民に見える形でのインフラ整備を優先している。この点では,ニヤゾフは,旧共産党幹部の思考様式を越えることができていない。
- トルクメニスタンは,世界有数の天然ガス産出国である。ソ連時代には……天然ガスがトルクメニスタンを潤すことはなく,トルクメニスタンから資源が収奪されるだけであった。
- ニヤゾフ大統領はソ連時代には天然ガスや綿花などがトルクメニスタンから収奪されるだけであったことを熟知している。
- ニヤゾフの政策は,カスピ海産石油の輸出により多額の収入を得ながらも,インフレ(インフラ?)整備などに全く還元されず,一部の要人の懐に入っていると言われるアゼルバイジャンとは対照的である。
- ニヤゾフの政策は,飢える人をださず,とにかく国民を食べさせていくという政策では成功している。
- 中央アジアやコーカサス諸国とは違って,トルクメニスタンでは汚職が少なくやマフィアの活動がないなどから,富裕層と貧困層の格差は大きくはない。
歴史は
- トルクメニスタンは,……シルクロードの交流中継地点として栄えたこともあった。
- シルクロード貿易の衰退と大航海時代以後の帆船による海上交易ルートへの変更により,前近代や近代の貿易ルートから取り残されると,トルクメニスタンも忘れられた土地となってしまった。
- しかし,近代の帝国主義時代になると, 帝政ロシアはトルクメニスタンを手に入れてから,防衛線確保のため鉄道敷設を行った。帝政ロシアが行った最大のインフラ整備は鉄道敷設だけであった。(大英帝国はアフガニスタンを手に入れた。)
- ソ連時代のトルクメニスタンは,タジキスタンに次いで開発の遅れた貧しい地域であった。国土の大部分が土砂漠であり,オアシス地域を除いて人間が住みにくく,開発が進まなかった。それでも,シルダリア河,アムダリア河から水路を開削して,灌漑農業開発を進めてきた。綿花栽培を中心にモノカルチャーの農業が行われていた。
トルクメニスタンでは,民族語のトルクメン語を話すことができないトルクメン人のインテリたちが多くいる。彼らは官僚・大学教授などテクノラートとして活躍している。ニヤゾフ大統領もモスクワで教育を受けたことや共産党幹部として活躍してきた経歴からロシア語しか話せなかった。彼もその必要からトルクメン語を後から習得した。ソ連時代はノーメンクラトゥーラとして出世するにはロシア語が必須で,トルクメン語は必ずしも必要ではなかった。もともと遊牧民の言葉であったトルクメン語は,経済・医学・工学・ハイテク用語などの翻訳語彙がなく,ロシア語がそのまま借用されて通用している。
ここまで読むと、ニヤゾフ大統領の思想形成や取り巻きがどうとかいうよりも、旧ソ連時代の非ロシア民族政策がきっとメチャクチャだったのだろうということのほうに興味が行く。とりあえず平和であってほしいものだ。
参考:外務省関連サイト