▼感謝の心と野外活動

友人の子、小学校五年生が学校の野外活動四泊五日から帰ってきたのだと。それが「学校便り」に10行程度載っているのをチラ見させてもらった。以下うろ覚え。
うち、第一段落三行は、いつ・だれ・どこの行事報告。最後の段落は、楽しかった色々な体験は大切な記憶になるでしょう、的なことが書いてあった。
肝心の真ん中の段落は、「子どもたちはこの野外活動を通じて感謝の心について考えを深めてきました。親への感謝、友だちへの感謝、自然の中で生きていることの感謝」云々。



感謝すべき事柄に思い至ることは、別に悪いことではなかろうが、どうしてこんな道学者が何日も歯を磨かないような臭い息を吐きながら口の端でしゃべるような湿ったことしか書けないのか、校長の官僚主義的なイメージの貧困が悲しい。
親から離れて子ども中心に集団生活するのだから、協力とか自立とか団結とか達成とか、そういう子どもなりに自ら設定できる目標を立てて「がんばりました」というような発想は無いのか。
何かといえば、「感謝」してみせる、「感謝の心」を作文に書く、もうそんな無理に感謝を自覚させる・子どもも迎合して「感謝」を書いてみせる、なんてことはやめるべきだ。



公務員や政治家、企業家こそが「感謝」の念を持ち、毎日納税者や有権者、労働者に対して表明し・念じ・唱えるべきだ。(公務員や政治家、企業家が感謝の念を持っていないというわけではない。彼らがわれわれの子弟に「感謝の念」の表明を強いているのが腹立たしいというだけだ。)