▼寺田光世に学長はおろか教育者としての資格なし

酔った女性への集団暴行容疑で京都教育大生6人逮捕

 宴会で酒に酔った女子大生を集団で暴行したとして、京都府警捜査1課などは1日、集団準強姦の疑いで、京都教育大(京都市伏見区)の男子学生6人を逮捕した。

 …大学側は3月には事件を把握し6人を無期停学にしたが警察には通報せず、4月4日になって女子大生が告訴した。

 寺田光世学長(67)らは1日、会見し「(通報しなかったのは)教育的配慮」「卑劣極まりない事件で誠に残念」などと発言。

 府警によると、竹田容疑者は「事実に間違いありません」と容疑を認めているが、ほかの5人は「相手は酩酊していなかった」「合意の上だった」などと否認している。

 逮捕容疑は2月25日午後9時から10時ごろまでの間、京都市中京区の居酒屋で、酔って抵抗できない状態になった当時19歳の女子大生を店内の空き室に連れ込み、6人がそれぞれ乱暴した疑い。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090601-OHT1T00130.htm?from=related

京教大学長「教育的配慮」に抗議殺到…男子学生集団暴行事件

学長は会見で事件を「卑劣極まりない」としたものの、警察に通報しなかったことについて「教育的配慮」という言葉を繰り返すのみ。報道陣との押し問答となった会見は、約4時間に及んだ。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090603-OHT1T00056.htm

誰がそんな「合意」をするものか。「教育的配慮」が何の効果ももたらしていないのは明らか。「教育的配慮」と称しながら、けっきょく何もしていないのだろう。
女性の人権、性犯罪に鈍感な寺田に教育者としての資格はない、といわなけれぱならない。

未成年に酒を飲ませたことはとがめないのか

 京都市中京区の居酒屋で、酔って抵抗できない状態になった当時19歳の女子大生を店内の空き室に連れ込み、6人がそれぞれ乱暴した疑い。

 大学によると、宴会は学生が主催した卒業生送別会で、学生90人弱が参加。解散後に一部の学生が店に残り、事件になった。
 学内の調査委は3月初旬に女子大生の被害申告を受けて調査を開始したが、「公然わいせつ事件」として処理。大学はほかに数人の学生も現場にいたことを認め、「止められる可能性があったのに止めなかった」として訓告処分にしていた。

未成年に酒を飲ませたことについてはおとがめなし。

事なかれ主義・隠蔽体質・官僚主義

犯人たちはいずれも体育学科の学生で、学長は体育学科の教員。ひたすらコトを隠したかったのだろう。事なかれ主義は隠蔽体質を生み、運営では不透明な官僚主義となって現象するが、官僚主義の本質は無責任である。絵に書いたようだ。

内容も日付も人権や教育を語る資格なし

 去る2月下旬、本学学生が卒業生を送る会を市内飲食店で催し、会合解散後に、同飲食店内に居残った一部の学生がわいせつ事件を起こし、この度、これに関与した男子学生が逮捕されるに至りました。本学学生が決してあってはならない事件に係わったことについて、大学として誠に遺憾であります。

 大学としては本事件が人権を踏みにじる卑劣極まりないものと受け止めています。このような行為は到底許されるものではなく、深刻な被害に遭われた女子学生、ご家族、及び関係の皆様に対し、心よりお詫び申し上げます。加えて、関係学生に対する人権保護と二次的被害の防止、並びに学生生活環境の確保にこれまで大学として細心の注意をはらって参りましたが、今後ともこれらに万全を期す所存です。

 事件発覚後、大学として直ちにハラスメント防止委員会が調査を開始し、事件の事実関係の把握に努めて参りましたが、その結果に基づき、関与した男子学生に対しては学則に従って懲戒処分を行いました。教員養成を目的とする本学としては、一部の不心得な学生が起こしたこととはいえ、教育的責任を十分に果たせなかったことについてその責任を重く受け止め、今後、このような事件が二度と起きないよう、本学は人権に関する意識向上について全学をあげて取り組み、健全で快適な教育環境の保持に努めなければならないと考えています。

この度の学生の不祥事が社会をお騒がせすることとなり、関係の皆様にご迷惑とご心配をおかけしたことについて、大学として深くお詫び申し上げます。

 平成21年6月1日

国立大学法人京都教育大学長 寺田光世

http://www.kyokyo-u.ac.jp/KOUHOU/topics/10_0601.htm

じゃあ、「ハラスメント」委員会の構成とか報告とか見せてほしいものだ。
事件を「わいせつ事件」と捉えているところからが違う。暴力・傷害事件、性犯罪として捉えなければならないし、それは一般的に人権尊重を唱えるだけで「防止」できるようなものではないのだ。その証拠が「合意の上だった」などという発言や「わいせつ事件」という認識なのである。「わいせつ事件」は例のK君のように一人ででも成立するもので、今度の「集団暴行」「準強姦」とはまったく質的に異なる。
さらに、「卑劣極まりない」と「処分」された者たちが何ら反省していないということをこそ重くとらえ、再度声明されることを望む。