▼商品価値のない人間はゴミな日本

少年5人を逮捕、公園の男性に火つけ大やけどさせる…東京

8月6日11時33分配信 読売新聞

 「ゴミ掃除」と称して、公園で寝ていた男性にライターオイルを使って火を付け、大やけどを負わせたとして、警視庁少年事件課は6日、東京都北区の私立高1年の男子生徒(15)ら15〜17歳の少年5人を殺人未遂の疑いで逮捕したと発表した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070806-00000303-yom-soci
<殺人未遂>公園で寝ていた男性に火…少年5人逮捕 警視庁

8月6日11時22分配信 毎日新聞

 公園で寝ていた男性に火をつけたとして、警視庁少年事件課は6日、いずれも東京都北区に住む高校生やタイル工ら15〜17歳の少年5人を、殺人未遂容疑で逮捕したと発表した。少年らは他にも2件、ホームレスを狙って火をつけるなどしていた。リーダー格のタイル工の少年(17)は当初「こじきは死んでも構わないと思った」などと供述。しかし、男性の家族が同区内に住み、折り合いが悪く外で寝泊まりしていたことや、仕事もあったことを伝えると「申し訳なく思っている」と話したという。

 調べに対し、少年らは「追いかけられるスリルがたまらなかった」と供述。事件当日は、リーダー格の「ゴミを掃除するぞ」というかけ声で火をつけていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070806-00000026-mai-soci

少年たちの「少年」としての今後の処遇にも興味はあるが。
こうした事件は他の諸都市でも起こりうることであろう。私ははじめ名古屋あたりの事件かと思った。

ホームレスはゴミ、邪魔者という日本

日本ではホームレスを人を居させるようなところに収容せずホームレスのままにしておき、ベンチや空きコーナーで横になることができないようにモノを配置し、町からも排除している。
参照:排除系設置物の写真館


価値意識としても、子ども達は競争的な教育制度の下にあって、自らの商品価値(もしくは資産価値)を高める教育を受けている。その中心は「英・数・国」であって、芸術科目・体育科目、愛国心・奉仕活動等は子どもの評価においては、単なる副次的な補償となっている。

一歩間違えば自分もゴミ

重要なのは、子ども等にあって、自己評価の基準は他者評価の基準でもある。
今回の事件の当事者たち個別がどうであるかもちろん知らないけれど。
幸いにして私は成績序列のクラス編成も席次も体験したことがないのだが、想像するに、「落ちこぼれ」学級を編成し、そのままホームレスに移行させ、路上や空き地に住まわせる、というようなイメージが子ども等の価値意識体系の中にあるのではないだろうか。
ホームレスの人たち(子ども等にあってはもはや人ではなく「人のようなモノ」)は、時間を遡れば、学校の一番端のクラス、教室の一番後ろの人物ということになるのではないだろうか。
今「人のようなモノ」と書いたが、子どもたち自身の自己評価も「ホームレスでないモノ」にすぎないかもしれない。全日制の高校には通っていないらしい「17歳のタイル工の少年」に対する自己評価・第三者評価は「モノ」にかなり近いはずだ。かれが人でありえているのは、もしかしたら勤め人として得ている「金」かもしれぬ。

人をゴミ扱いしているのは社会

ニュースで明示的に報道されることはもちろんなかろうけれど(それは事件を直接に構成しないから)、こうしたホームレス・幼児・児童・高齢者など社会的弱者に対する遊び半分な(あるいはゆがんだ欲望を満たすような)虐待の背景は、日本社会の弱者に対する処遇がある、少なくとも無関係ではないということを真剣に社会は問題視すべきではなかろうか。
こうした犯罪を発生するがままにしておいて、当事者だけを社会から排除しているように思える。