▼誤解された子分の辞任

年齢的には子分というより兄貴分なのだそうだが。

原爆しょうがないは誤解なのか

今回の「原爆しょうがない」発言は、意外とその発言内容を非難から擁護する人たちが多いのに少し驚く。久間氏といっしょになって「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と言いたげである。また今回の辞任を「誤解・曲解がもとで、かわいそう」と思っておられることであろう。
その発言の擁護は、認識内容というよりは、読み方の厳密性をのみ追求するような立場、原爆を否定も肯定もしないか、原爆に関する態度を横に置くような態度が多い。実証主義というか解釈主義というか観察者のような立場。そのことによって公正で客観的な足場を確保したような感じがするのだろうか。または原爆投下を容認していても積極肯定していないから良いのだ(あないに非難せんでもええがな)というような方もおられるようだ。
日本には原爆や核武装容認の方も多数おられるようなので、原爆是認する人がいても不思議はないのだが、今のところ日本の国是は核兵器の廃絶なのであるから、原爆を消極的にでも容認するような発言は政府の人間には許されないはずである。
(わけのわからぬ)回りくどい論理で、「原爆容認(肯定)」から「発言」を救い出すことにエネルギーを費やさないで、もっと権力者の原爆や歴史や核武装やいうことにたいする認識や発言や行動について敏感になったほうが良い。そう思う。
「原爆が許し難いことである『気持ち』」と「アメリカさんがソ連から日本を守るために落としたんだからある意味『しょうがない』という認識」とは、(従ソ・従中以外には従米しか考えられない)従米主義者(の一部)にあっては無矛盾なのである。
ついでながら久間氏もそうだというのではないが、こういう人たちの15年戦争についての反省は、私個人の体験範囲内では「負ける戦争を始めたから悪い」というようなものをたぶんに含んでいる事が多い。

久間氏が辞めたわけ

彼が辞任したのは、自分の発言が閣僚として不適当であるというよりは、親分安倍首相と選挙とのためである。
別に彼は自己批判はしておらず、発言に気をつけるべきだったという認識であって、安倍首相も「その原爆投下についての認識は間違っている」とではなく発言に気をつけろとしか言っていないようだ。後任の小池氏も「<小池防衛相>就任へ抱負『言葉は選びたい』」(7/4 毎日新聞)」である。
感覚は子分のそれである。

……
「不用意な発言をして反省している。全国の被爆者、後遺症で苦しんでいる方々を軽んじたようにとられた節もあり、そういう人たちの心情を思うと申し訳ない」(ちょっとこれも私の感覚とは違うが。)
「今度の選挙で私が足を引っ張るようなことになっては申し訳ない。安倍晋三首相にマイナスにならないように、既にマイナスになったかもしれないが、身を引く決意をした」
……
−辞任後の心境は。
「ある意味ではほっとしている。これで選挙が戦えるという気持ちがある」

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/35915.html

なんか、ボーナス返上と感覚が同じ。問題のすり替え。